【第12話】転職(適職)は情熱に訊け!
・・・話しは少しそれるが、
少し前、このブログを書きながら、自分の過去の体験を振り返っていた時に、ふっと、こんな言葉を思い出した。
「成功するには情熱と熱意を持つことが大切」
一字一句、同じ表現ではないが、ある成功哲学の教材に、同様の主旨の言葉が書かれていた。
ここまで、ダメな自分の人生ばかりを書いて来たが、実は、こんな私の、現在より以前の人生にも、世間一般で言う「成功」と、それに見合った収入も充分に得ていた時代があった。
その頃の話はもう少し先になるのだが、その時代に、私が成功を収めた背景にあったものは、先ほどの言葉が含まれた、成功哲学のノウハウだった。
当時、私はこの言葉に何の疑問も抱かなかった。
企業でも社訓に使われたり、偉い人が言ったりしそうな響きの良い言葉でもあるし、何の変哲も無い言葉に思える。
しかし、このブログを書きながら、ふいにこの言葉を思い出した時に、不思議と違和感を感じた。
「情熱を持つ」って、どうやって持つんだろう?
例えば仕事でも、商品そのものでも、もともと情熱や愛情を感じない物に、後から情熱を「持とう」とすることなど、果たして出来るのだろうか?
私も、以前は自分の部下に対し、「どうして情熱を持たないんだ!」と苛立を覚えたことは何度もある。
しかし、その私の思いは、果たしてあっていたのか?
彼らに情熱を強要することが間違っていたのではないか?
世の中に、「適材適所」という言葉があるように、彼らを生かせる適職を発見することが先ではなかったか?
これは、いつも私がクライアントに話していることだが、仮に、頭では「そちらの方が良い」と分かっていたとして、「そう思おう」と努力して、仮に一時、そう思えたとしても、ふと力を抜いた時、一人になった時、「やっぱりそうは思えない」という本音が出て来る。
そう思おうとする前に、すでに別の何かを「思っていた心」があるのだ。
そして、そちらの思いの方が強いことを、私たちは直感的に知っている。
だから色々なノウハウや手法、努力根性などを使って、湧き上がる「本音」に必死にフタをするのだ。
若かりし頃の私にはまだ分からなかったが、情熱など持とうとしなくても、最初から「情熱」を感じてしまう道がある。
それは職業の場合もあるし、趣味やスポーツだったり、主婦、地域活動、ボランティアなど、形は様々だ。
仕事で高収入を得ることだけが成功ではない。
どんなものであれ、大切なことは、その道をまず発見すること、つまり、「本当の自分を知る」ことが最も重要なのだ。
そしてそれこそが、成功への最も早道であり、真の意味で成功する唯一の道だと私は思う。
自分の本当の使命、役割を発見したとき、すでに最初からその道は用意されていたことに気づく。
このような話をすると、「今の自分の仕事は情熱を持てないからダメなんだ」と思い悩んでしまう人もいるかも知れない。
しかし、その「本当に自分が情熱を持てる道」にたどり着くために、「過程の道」を歩かなければならないこともある。
私の場合、それを実体験で味わった。
その過程の道にいるときは、迷いやマイナスの感情に襲われることもあるかも知れない。
だが私は、この「過程の道」がなければ、今の道へたどり着く事はなかったと確信して言える。
だから、今、目の前に開かれた道を確実に進む事が、結局は、使命へと導かれる道になっているのだ、ということを、事実としてお伝えしておきたい。
一つ言える事は、自分の今歩く道が、どこに続くのか分からず、不安を抱えて進むよりは、
確かにその道が、自分の「使命」へ続いていることをまず理解しておくことが出来たなら、その過程にある、あらゆることも、魂の成長を楽しみながら、歩む事が出来るだろう。
私は、あの頃、もともと情熱を持てない仕事に対してそこにあると思っていた「成功」の幻を追って、情熱を持とうとした。
結果的に、そのビジネスを通して自分がしていたことは、自分が最も嫌う自分の「姿」だった。
貧乏のフリーター生活を過ごした数ヶ月の間に、ネットワークビジネスへの興味は完全に消えた。
そして、新たな成功への手段を模索していた時に、以前、ローンで購入した能力開発教材の販売代理店として、コミッションを得る制度があることを知った。
その教材は、前回お話した「研修」の際に、女性営業社員に勧められて購入した教材だった。
その教材を聴くと、とてもポジティブな自分になれた。
この教材を売るのだったら、こんなにダメな自分でも出来るかも知れない。
いや、「これだったら今日からでも売れるぞ!」と本気で思ってしまうほど、モチベーションが湧いた。
この時に私は、ようやく「幻の成功」ではなく、その「商品」の販売へと、情熱がシフトしたのだ。
数十万の販売代理店の権利を、またしてもローンで購入。
ここからが、私の人生のターニングポイントになるのだが、前途は、まだまだ多難である。
自宅に送られて来た、ダンボールに詰められた、教材販売用の数百枚のチラシを前に、教材を人に売る術を全く知らない私は、すっかり途方にくれてしまうのだった。