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【第49話】飽くなき欲求の正体
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プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です
夏の真っ盛り。
茹だるような暑さの中、必死の営業努力も虚しく、全く契約が取れない。
紹介や資金面などでの後ろ盾を期待して構築していたはずの企業家たちとの人脈も、色々と力を貸してはくれるのだが、肝心なところで話がまとまらないなど、結局はあまり結果に繋がることは無かった。
紹介はしてくれても、その後にきちんと相手に納得してもらって話をつけるのは自分たちなのだから、これは仕方がない。
やはり、ここでも自分たちの読みの甘さが露呈した形になった。
この頃、私は営業活動をする一方で、とにかく精神世界の本を読み漁ったり、インターネットなどで、その方面の情報を貪るように収集していた。
当時はまだ、インターネットの常時接続という概念はなく、ダイヤルアップ方式で、接続時間で電話料金が課金された時代だ。
(今の時代、若い方なら、常時接続ではないインターネットなど、想像できない人も結構いるのではないだろうか)
そんな時代に、乏しい情報量の中から必死に心の世界を求めたのは、勿論、仕事のためでもあったのだが、
深い本音は、「自己探求への飽くなき欲求」が、やはり強かった。
自分の感覚として、そういう世界を求める時のその手法やノウハウを見定める私の着眼点は、ちょっと変わっていたと思う。
どんなに世間にもてはやされても、全く関心を持たないようなものもあれば、ほとんど誰にも知られていなくても、強烈に惹かれるものもあった。
そして、その分野での自分のセンサーには、絶対的な自信があった。
私を良く知る人からは、
「田久保さんは論理肌のように見えて、実は、かなり感性肌ですよね」
などと言われることがある。
恐らく、スピリチュアルや精神世界の分野では少し異色の、「真理を学ぶ上での知性」についてや、日常生活にどう生かすのかを中心とした、地に足のついたスピリチュアル情報を発信しているので、私を「論理タイプ」と思っている人も結構いるようだ。
しかし、私自身は、実はかなり直感で動くタイプと自分を分析している。
例えば、私の様々な情報への判断基準は、自分の深いところから来る感覚、つまり直感から、
「違和感を感じる」か。「全く迷いがない」か。
理由や理屈は抜きにして、ただその感覚だけで識別している。
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この感覚は、かなり昔からそうだ。
そして、今現在でも全く変わらない。
これは決して、私の直感や識別が優れている、という意味ではない。
他の人たちにとってはどうであれ、とにかく「私自身」にとって最も必要な情報や手法などを嗅ぎ分ける、自分自身の嗅覚に対し、絶対的な信頼があるのだ。
だから当時も、特に心の分野で自分が選び出す情報に対しては、迷いが全く無かった。
そうして、様々な情報収集の過程で少しずつ自分の興味対象が絞られていった。
そんな中で、自然と自分の中にある一つの結論が、浮き彫りになって見え始めたのだ。
以前の会社では、まだ社会人に成り立ての頃の自分が描いていた夢、「経済面での目標」を達成し、結婚して家族も出来た。
一見順風満帆な人生だったが、結局自分はその人生を捨て、更なる夢を抱いて新たなステージに足を踏み入れた。
しかし、再スタートを切ったはいいが、いざ、新生活が始まってみたら、なんだかちょっと様子がおかしい。
もっと自由で、もっとお金があって、もっとラクで楽しく幸せな人生の実現を願い、その実現の途中経過にまだ自分はいた。
私が気づいたのは、この先だ。
もともと、強烈な劣等感が大きなきっかけとなって始めた自己探求だが、自分探しと言いながら、振り返ると結局はその矛先は、常に外に向いていた。
人の評価、お金、物質面、彼女、自由な生活、安定した精神状態・・・
いろんなものを求めてきて、様々な手法に出会い、徹底的に実践し、一時は「信念の男」と呼ばれるまでになった。
ダメだった過去の自分と比較すると、達成できたらいいな、と思っていた多くの願望も実現した。
なのに、目標を実現した矢先に、まだ同じように、常に何かを求める自分がいる。
もっと、もっと・・・と。
この、もっと、もっと・・・という、飽くなき欲求の正体が、あくまでも理論上の結論には過ぎなかったが、腑に落ちたのだ。
世界中の様々な精神世界のリーダー達が著した、様々な書物を読んできたが、そのどれを読んでも、結論は「本当の自分」、つまり「普遍意識」「宇宙意識」に目覚めることだった。
その言葉は、「実相」「真理」「真我」「神意識」「アートマン」「サムシンググレート」……
とにかく表現は様々だったが、私自身が納得して「そうだな」と思える情報のどれもが、結局は同じことを指していると分かった。
そして「本当の自分」は、すでに完全で完璧で、何一つ欠けていない、始まりもなければ終わりもない、ただひとつの普遍意識。
すでに満たされた無限の存在であり、それこそが我々の実在であって、この肉体の自分は「本当の自分」ではないという。
この頃の私は、理論上の結論である「本当の自分」に目覚めるための手法を欲してならなかった。
その手法を見つけ出し、それを提供するサービスに取り入れることは、自分の望みと収入を両立させる最高の方法だと思ったのだ。
事実、今の私はそれを生業にし、サービスを提供している。
しかし、この時の私はまだ、特殊な「何か」の手法にこそ、その答えがあると信じていた。
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