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【コラム7】「脳」を創造した偉大なる"何か"と ~成功法則・願望実現法 その2~(後半)

注:この物語は、私の身に起きた「完全実話」ですが、
プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です

コラム『心の旅の協力者』7


(前半より続き)

「成功法則や願望実現法の落とし穴」とは、前半の話で分かった方もいたと思うが、つまり、「成功の定義」だ。

私自身も成功法則を扱って生業にしていた時代から、「成功とは物心共に豊かであること」「心が大事」「何かを犠牲にして成功しても意味がない」ということを話していた。

だから、成功法則で言う「成功」の定義が、単に「物を得る事」や「目標達成」だけではないことは良く分かっているつもりだ。

当時から、「成功」することの定義を「目標達成」に置いてしまうことの危険性を、私もお客様の前で話していた。

極端に言ってしまえば、単に「目標達成」を「成功」の定義にしてしまうと、「目標達成」のためには手段を選ばない、という解釈にもなりかねない。

すると例えば、「億万長者になる」という目標達成のために、どれだけ周囲を犠牲にしても、お金さえ手に入れれば、「成功した」と言う表現すら出来てしまう。

これはあまりにも極端な例なので、「そんなことをしてまで目標達成しようとは思わない」と普通は思うだろう。

しかし、意外にも人は無意識に、『目標を達成すること=成功』だと思い込んでしまうフシがある

どんなにお金があっても、どんなに栄誉を与えられても、どんな家に住もうが、どんなに有名になろうが、自分自身が「幸せ」だと思えなければ、そんなものは何一つ価値がないということは、本当は誰でも分かっているはずだ。

だから、真の成功を得るためには、精神的な豊かさを切り離して考えることは出来ない。

「目標」を達成することで「幸せ」になれなければ、まるで意味のないものになってしまう可能性がある。

しかし、自分が立てた目標が、自分の人生にとって絶対に「幸せ」の方向へ向かっていると、誰が断言することが出来るだろうか

通常、私たちは往々にして、「成功者」と呼ばれる人や、自分の尊敬する人物などを参考にして、

「あの人のようになれば幸せになれるんじゃないか」
「あのような物を手に入れればきっと幸せになれる」

といった具合に、自分以外の周囲の人と比較して目標を定める。

だが、それはあくまでも自分とは違う個の人間であって、自分自身がその人と同じようになったからと言っても、「幸せ」になれるという保証はどこにもない

前半に書いた「起業」の例などはまさにその一つだ。

また、その瞬間は価値があると思っていたものでも、自分が成長する仮定で価値が変化する場合もある。
 
事実、私の「自分探しの旅」の中で、学生プロレスをやっていた頃、後楽園ホールの夢の舞台でチャンピオンベルトを防衛した時にも、

また、営業マン時代に、昔「これだけの収入を得たら幸せになれるはずだ」と思って立てた目標を達成し、更に新たな目標を立てて達成することを繰り返しても、

むしろ強烈な空虚感に襲われて苦しむという経験を、私は幾度も体験した。

つまり、成功法則や願望実現法を実践し「幸せになろう」と思って立てた目標、自分が思う「成功」と呼べるゴールが、「幸せを実現する」ことと常にイコールであるとは限らないのだ。

中には、たまたま立てた目標と、精神的な幸せがピタリと当てはまる人もいると思うが、(一般的に天才と呼ばれている人たちは、その可能性が高いと言えるのではないだろうか)

残念ながら全ての人が必ずしもそうなるという保証は、どこにもない。

では、本当の「成功」を「幸せな人生」とするならば、私たちはどこに目標を立てれば、本当の幸せを手に入れることが出来るのだろう

そもそも「幸せ」とは、自分以外の何か外のものに起因するのではなく、自分の「心」で感じて決めるものだ。

全く同じ環境にいても、同じ物をもらっても、幸せと感じるかどうかはその人の「心」次第だ。

そう考えると、やはり「幸せ」という真の成功は、自分の「心」に答えがあることが分かる。

では私たちはなぜ、「幸せになりたい」と願うのだろう。

「幸せ」の定義とは何なのだろうか

お金を手に入れることも、栄誉を得ることも、他人から注目されることも、やりがいや達成感が欲しいのも、人に愛されたいと思うことも、すべてそれは、「満たされたい」という、人間の根源的な欲求の顕れが形を変えたものだ。

私たちは、みんな満たされたいと思っているのだ。

では、更に奥深く、その欲求について考えてみよう。

その欲求はどこから来て、なぜ人は「満たされたい」と願うのか。

私たちの本当の姿、「本当の自分」は、既に最初から何一つ欠けていない、宇宙意識・普遍意識そのものの存在であり、つまりは満たされた存在そのものだ。

しかし、通常の意識状態では私たちはその真実を自覚できず、「自分は欠けた(不完全な)存在だ」と思っているから、「外」にある何かでその欠けた穴を埋めようとする

まるで禅問答のようだが、実は「最初から存在そのものを知らないもの」は、私たちはそもそも「欲しい」と思わないのだ。

渇望感や欲求とはつまり、

「本当の自分は完全で完璧な、満たされた存在である」

ということの現れだ。

「お金が欲しい」「注目されたい」「愛されたい」「やりがいを得たい」などの全ての欲求は、突き詰めて考えれば「本当の自分に出逢いたい」と言っているようなものだ。

私たち人間の欲求を満たすための全てのものは、すなわち「本当の自分」の代替品なのだ。

ここで、「目標」という部分に話を戻すと、「本当の自分」を知らずに、自分の脳で考える「成功」という目標を立ててしまうと、

「本当の自分」「普遍意識」が指し示す、あなたの生きる使命や、役割りの方向からズレてしまう可能性がある。

すると「本当の自分」は、常に自分を本来の使命へと導こうとする「元に戻そうとする働き」があるために、

障害と思われるような人や出来事を通して示したり、身体的な現象を通して現したりして、苦痛などを与え、「自分の進むべき道はそっちじゃないよ」と教えてくれる。

ちゃんとそちらに行かないように仕向けてくれるのだ。

だから私たちは、まず目標を設定する前に、己を知り、己の使命・役割を知る必要がある。

そして、自分の「脳」で考えた仮定の成功に目標を置くのではなく、「本当の自分」を知り、その「脳」を作った偉大なる “何か” から導き出した答えに沿って、目標を立てなければならないのだ。

あなたの本当の使命・役割りという究極のゴールの方向に沿って進めば、その過程における一つ一つのステージをクリアしていくために、

もしかするとあなたがこれまで学んで来た「成功法則」や「願望実現法」などのあらゆる有効的な手法が、真の意味で生きて来る。

全ての人間は、「本当の自分」に目覚めるために生きている

そしてその自覚があるかないかの違いはあれ、必ずその方向へ導かれている。

あなたの足元に示されている現実は、それが失敗でも成功でも、すべてが「本当の自分」からのメッセージなのだ。

私は以前、「本当の自分」を知らずに、徹底的に身につけてしまった「プラス思考」の誤った使い方によって、「本当の自分」からのメッセージを受け取れないほど、感覚を麻痺させてしまった。

しかし、それすらも「本当の自分」が私を本来の役割へと導くために仕組んだ、大いなる神(本当の自分)の計らいであったと今は思える。

そしてまた、現在のこの自分の役割すらも、「私」という個が生まれて来た使命を全うするための、一通過点に過ぎないのだろう。

(本編へ続く)


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