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●オリムピックこぼれ話●~その捌~

★1964年10月11日の朝日新聞…94か国、堂々の行進 天皇陛下、開会を宣言
1964年10月10日に東京オリンピックの開会式が行われた。開会式では各国の代表が入場し、競技場が世界の縮図のようになる。1964年の入場行進では、1960年の「アフリカの年」を皮切りに、多くのアフリカ諸国が独立国となり、入場行進も様変わりしたのであった。また、当時は冷戦の真っ只中であり、東西の中心的国家であるアメリカとソ連は、直接的な戦闘にこそ発展しないが、国連での拒否権の発動合戦であったり、朝鮮戦争やベトナム戦争に象徴される「代理戦争」を展開したりしていて、両国の間の緊張感を否定することはできなかっただろう。オリンピック直前にも「キューバ危機」が起こっており、第三次世界大戦の開戦をギリギリで回避していた。

そんな両国は、アルファベット表記すると、アメリカは「United States of America」で、ソ連は「Union of Soviet Socialist Republics」となるため、1964年大会では入場は両国が連続したようで、これがオリンピックという平和の祭典でなかったならば、緊迫したものになったのではないだろうか。

近年のオリンピックは開会式にテーマがあり、前回大会のリオ・オリンピックは「世界平和と環境保護」であった。そして、リオ・オリンピックの開会式は2016年の8月6日であり、この日が世界平和にとって忘れてはならない日であることを、リオ・オリンピックは明確に伝えてくれた。それは日本時間の8月6日、朝8時15分であった。そのとき、日本の歴史と関連させたパフォーマンスが映し出されたのだが、この8月6日の朝8時15分は、1945年に遡ると、世界が決して忘れてはならない出来事が起こった時間である。

平和の祭典であるオリンピックの期間中だけが、平和を強く意識するようであるならば、世界平和の実現は難しい。しかし平和について強く意識し、これから未来に向かっての行動を変えていく大きなきっかけとしてオリンピックを捉えることで、私たちは世界平和へ向かっていくのではないだろうか。

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★1964年10月11日の朝日新聞…5分でお別れ、実父と再会した辛選手
平和のきっかけとなるオリンピックが、1964年の東京大会でも大きな役割を果たした。1950年前後から冷戦構造の下で南北に分断された朝鮮半島であるが、1950年に勃発した朝鮮戦争は、現在でも休戦という状態である。冷戦期には、アメリカとソ連がお互いに拒否権を発動する機会が多く、国際の平和と安全の維持のために強力な措置を取ることができる安全保障理事会だが、その拒否権により機能不全に陥ることがほとんどであった。

朝鮮戦争もその可能性が高かったため、アメリカを中心に、安全保障理事会が機能不全に陥っても、国連総会の主導で集団的措置を取ることができるように、1950年7月に「平和のための結集」決議が採択されたのである。

この「平和のための結集」決議の内容は以下の通りである。
「安全保障理事会が国際的な平和と安全の維持に対する主要な責任を果たすことの重要性と、常任理事国が全会一致を求め、拒否権の行使を自制する義務を再確認し、(中略)
安全保障理事会が全加盟国を代表してその責任を果たせなかったとしても、加盟国はその義務を免れず、国際連合は国際の平和と安全を維持するという憲章上の責任を免れないことを意識し、
特に、そのような失敗が、国際的な平和と安全の維持に関する憲章の下での総会の権利を奪い、その責任を免除するものではないことを認識し、
安全保障理事会が、常任理事国の全会一致を欠いたために、平和への脅威、平和の破壊、または侵略行為があると思われるいかなる場合においても、国際的な平和と安全の維持のための主要な責任を行使しなかった場合、総会は、国際的な平和と安全を維持または回復するために、平和の破壊または侵略行為の場合には必要に応じて武力の行使を含む集団的措置について加盟国に適切な勧告を行うことを目的として、直ちにその問題を検討することを決議する。」

近年は南北の指導者が会談する機会も増えているが、戦争はあくまでも休戦である。休戦という性質上、戦争の再開という可能性が考えられるが、リオ・オリンピックの微笑ましい一場面のように、南北両国が笑顔で交流を重ね、休戦のまま終戦に達することを信じたい。

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★1964年10月11日の朝日新聞…中国の核実験、反対世論を盛上げ
この記事の数日後、ソ連の指導者であるフルシチョフの突然の辞任によって、中国に対する抑止力が弱まったことが関係したのか、中国はオリンピック期間中にも関わらず、核実験を行ったのである。

日本は人類史上、実戦における唯一の被爆国として、核廃絶や軍縮というメッセージを強く打ち出すことができる立場にあるはずである。

戦後、まずは自らが戦争と関わらないという理念を、日本国憲法前文や第9条によって示したものの、冷戦構造に翻弄され、その理念と実態は乖離してしまった。

それでも1971年に国会において決議した「非核三原則」は核廃絶や軍縮に対する大切なメッセージであった。

コロナ禍の中、世論の反対がありつつもオリンピックを開催した日本であるが、その是非やその過程については十分に議論されなければならないだろう。ただ、新型コロナウイルス感染症の世界規模での蔓延という未曽有の状況で、オリンピックを開催する立場になったことは、唯一の被爆国として悲惨な経験をした日本が何か特別な役割を求められているという運命ではないだろうか。

戦争は間違いなく人々を分断し、世界を不信に満ちたものにしてしまう。コロナの蔓延も同様である。そんな世界の中で、人類の団結を強く訴える責務を日本が持つことが大切ではないだろうか。

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