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❖責任は積任、自由は自遊❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月13日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

やりたいこと、すぐできるし、いつやめても大丈夫。やらねばならないこと、なかなかできないし、やめていいわけでもない。やりたいことは、動機づけがあってエネルギーに満ちているから、どんどん突き進んでいける。だから、色々なことにチャレンジしていけるように見えるが、実は、いつでもやめられる気楽さが創作意欲に繋がっているのではないだろうか。好きなことだからというよりも、一定の質が求められていないから、悩まずに思うがままに、自由に、表現したり作ったりしても構わないからでは。逆に、やらねばならないことには、責任が伴う。ただ取り組んでいればそれで良いわけではなく、一定の質を確保する必要がある。また、取り組みたくない分野にも関わる場面もあるだろう。表現したいこと、作りたいものとは異なる要求に応えなければならない場面もあるだろう。自分のインスピレーションで表現したこと、作ったものが、ニーズに合わないということで、修正せねばならないこともあるだろう。しかしそれが不本意だとしても、衝動的に投げ出して、やめてしまうわけにはいかない。やらねばならないことは、自己都合で完結しない。仕事ならば対価を受け取る以上は責任が伴うし、質やニーズに応える必要もある。投げ出すようでは、仕事を請け負う資格がない。好きなことが仕事になるという場合でも、完全に自由で自己都合で、責任もなく、質やニーズもないというのは考えにくい。瞬間瞬間の単発の仕事なら、レアケースでそんな仕事もあるかもしれない。ただ、継続的な仕事では考えにくい。完全な自己満足と、他者の要求が重なり合う部分は、それほど多くはないはずだ。それ以外の部分の一つは、仕事ではないから自由に表現し作る世界だから、いつでもやめられるもの。もう一つは、仕事として責任が伴い、質やニーズに応えるため、他者の側を優先するのが当然の世界で、安易に投げ出せないもの。仕事と呼ばれるものの多くは、後者だろう。重なり合う部分が、仕事としてメインになったら幸せだが、それはなかなか実現しない。自己満足としての表現、仕事としての表現。私の表現は、前者だから気楽なままなのである。そこに後者も含めたいというのは、都合が良すぎる話であろう。

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