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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run15

⭐知恵は経験の娘である⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

定期考査前になると、「授業の振り返り」や「生徒自身の理解度の把握」という狙いで、オリジナル問題を作成してもらうようにしています。以前は「短答式の一問一答」を作ってもらっていたのですが、最近は「誤文問題」を作ってもらう形にしています。今回は、テスト範囲をいくつかのテーマに分けて、それぞれのテーマで4問の誤文問題を作ってもらいました。

勤務校でこの働きかけをスタートしたのは1学期期末考査からで、その後2学期中間考査、そして今回の2学期期末考査と、生徒たちはこれまで3回の誤文作成の経験を積んでいます。

自分自身が生徒のときに同じような課題を出されていたら、どのような問題を作るかイメージするのは難しいですが、クイズなどが好きだったので、一問一答と勝手が違う「誤文問題」の作成は苦戦していたのではないかと思います。そう考えると、勤務校の生徒たちはとても頑張っていて感心させられます。

そして、浄土宗の宗教家である住岡夜晃の言葉を借りるならば「継続は力なり」、ガリレオ=ガリレイの言葉を借りるならば「知恵は経験の娘である」を、この働きかけの中で体感しています。

最初に誤文問題を作ってもらったときに比べて、生徒たちの誤文作りの感覚が研ぎ澄まされてきているのです。例えば、人物の入れ替え、首都の入れ替え、対置される宗教や民族の入れ替えなどの問題について、以前は、とりあえず別のカタカナや単語を入れて、単に間違いの文章にするだけのものが多くありました。しかし最近は、同じ王朝の皇帝だが時期が違う人物、近い地域の都市など、曖昧な知識だと引っかかってしまいそうなポイントで問題を作ってくれています。

それから地理的な内容に関わる誤文では、大雑把に国・地域が違うものだけでなく、南部が正解のところを北部にしたり、川の上流が正解のところを下流にしたりと、これも引っかかりやすい問題を作ろうとしている意図が伝わってきます。

さらに時期・時間に関わる内容についての誤文では、以前は単に12世紀を11世紀にするなど、機械的な誤文作りが目立ちました。また、あまり時期を近づけすぎると、問題が不成立になるリスクがあると、前回のアドバイスしていたのをしっかり覚えてくれていて、正解が9世紀前半のところ、それを10世紀後半にずらして誤文にするなど、工夫が感じられました。

このような誤文作りの変化から、「主体的に考える」姿勢が垣間見えて、非常に頼もしく感じています。それと同時に、生徒たちは授業で私が伝えている情報をどのようなレベル(細かさ、因果や時系列の階層性)で受け取っているのかを知ることができ、自分の授業展開を考え直す重要な機会となっています。

私が事実を羅列するような雑な授業展開をした単元(時間がなく詰め込んだり、自分自身がかみ砕いて理解していない内容だったり)は、彼らの作成する誤文問題も同様に雑な印象があります。逆に、自分が丁寧に授業展開した単元(時間に余裕があったり、自分が好きで話している自分自身も楽しくなっていた内容だったり)は、色々な角度の誤文問題ができていました。

ただ「過ぎたるは及ばざるが如し」という点もあり、いかに自分が好きな内容だとしても、好きすぎて饒舌になり、受け取る側にとっては単なる情報過多となっていて、それほど良い誤文問題を作ることができていない単元もあったので、同じ好きな内容でも、伝え方の工夫が不可欠であることにも気づかされましたね。

生徒に教える側ではありますが、その生徒たちから教えられることもたくさんありますね。

#哲学   #住岡夜晃
#ガリレオガリレイ

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