アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run29
⭐「学び×遊び」の仕掛け人を目指して⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)
昔から「学び×遊び」の枠組みのものが好きでした。庭や公園などで見かける昆虫や小動物の「観察」はその典型だったと思います。他にも「工作」における試行錯誤もそうですね。
「クイズ」も私にとっては「学び×遊び」で、特に「アメリカ横断ウルトラクイズ」という番組が大好きで、この番組のクイズ本も買っていました。そして、クイズ王の人が行っているトレーニングの話に影響を受けて、新聞や雑誌のスクラップを作ったり、新聞や雑誌からオリジナルの問題を作ったりしていたのは、まさに「学び×遊び」だったと思います。
それから、我が家にはファミコンはなく、兄の希望によりMSXというファミコンとパソコンの中間のようなゲーム機があったため、小学生の頃から「ベーシック」と接していました。そこでは、自分が何かゲームを作りたいという「遊び」先行で取り組んでいたものの、そのプログラムを組み立てる作業の中で登場するベーシック言語(IF、THEN、GOTO、SCREEN、DATA)といった英単語と繋がる「学び」の機会もありました。ゲーム内のキャラクターを表示する部分では、座標軸や2進法の考え方も知らず知らずのうちに学んでいたことになりますね。
またMSXのゲームは外国向けのものも多かったのか、ゲーム内のコマンドやメッセージが英語になっていました。さらに中古ソフトを買ったため、日本語の説明書がなく、ゲーム内での動き・結果などから英単語の意味を推測することを余儀なくされたのも、必然的に「学び×遊び」となっていました。
他には「ゲームブック」という文庫本も、私の「学び×遊び」に大きな影響を与えたものの一つですね。ゲームブックは、本の中の文章が、ある程度のまとまりごとにナンバリングされていて、それぞれのまとまりの最後の部分で選択肢が用意され、どの選択肢を選ぶと次はどのナンバーの文章に進むかが指示されています。そのような選択をしながら、話を読み進めていくものです。そしてゲームブックの内容は謎解きや迷路に関わるものが多かったですね。私が一番好きだったゲームブックは『ドルアーガの塔』という三部作で、塔は全60階あり、各階の部屋の広さはいずれも8×8=64ブロックで構成されている迷路のような構造なので、読み進めるごとに明らかになる情報を基にして方眼紙に部屋の構造を書き出していました。これによって「読解力」や「推理力」がかなり鍛えられました。
こういった誰かが作った「遊び」だけでは飽き足らず、自分でゲームブックもどきを作ってみたり、ボードゲームもどきを作ってみたりもしました。その際、ゲームを自分で作って遊びの感覚を持ちつつも、ゲームとしてきちんと成立させたいという思いから、「ルールの一貫性・明確性」と「ゲーム内の謎解きなどの難易度」のバランスを考えていたと思います。ここにも「学び×遊び」があったわけです。
私はこれまで20年近く、教育サービスに関わるお仕事をさせていただいています。このお仕事は他者に対する何らかの便益を私が提供しているからこそ、それに対する対価としてお金をいただけているものです。
その何らかの便益というのは、これまでに蓄積した既存の知識・情報を一方的に伝えるものだけではないと感じています。
確かに私の職業は「教師」と表現されることが多いです。しかし私は「一般探究人(いっぱんたんきゅうびと)」なので、「専門的な知識・情報を伝える存在」というよりは、子どもたちとともに「学びという遊びを共有する存在」として、「学び×遊びの機会・場を創り出す仕掛け人」の役割を果たすことが、私がお金をいただけている「他者への便益」なのではないかと最近感じています。
もちろん私の職業の報酬というのは、今述べた便益に対してだけ支払われているわけではないので、それだけに取り組んでいればよいことにはなりませんが、自分がこの職業をしていることの「軸」はそこなのかなと感じているわけです。
しかし、高校3年生を担当することが多くなると、どうしても一般入試に向けて情報量を伝えねばという気持ちが強くなってしまいます。そんな高校3年生への授業も3学期に入ると、海外の学校では一般入試を控えた生徒が一時帰国してしまうので、残っているのは総合型選抜や推薦入試などが終わり、進路が確定している生徒になることが多いです。
勤務校も現在そのような状態なので、これまでの知識の伝達よりも、「学び×遊び」の働きかけについて試行錯誤する状態になっています。
そのような試行錯誤の中で最近作ってみたのが「ドイツ観念論カードゲーム」です。ルールはみなさまにお知らせするほどのものではないので割愛させていただきますが、生徒はそれなりに楽しんで取り組んでくれました。
こうして試行錯誤できる状態になってから「学び×遊び」と向き合うのではなく、「学び×遊びの機会・場を創り出す仕掛け人」であることが自分の軸であるとはっきり言えるように、常に「学び×遊び」について考え、全ての授業が当然にそうなっているようにしたいですね。
「いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。」
これはスペインの画家であるパブロ・ピカソの言葉です。この言葉のように、何か新しいものを生み出そうとするときには、既存の枠組みを壊す必要があります。そのような破壊の段階は、これまで上手くいっていたものを失うリスクを感じるため、躊躇してしまうこともありますが、古い仕組みにしがみついたままでは、大きな変化には繋がらないものです。同様の考えは、経済学者のシュンペーターの「イノベーション」や「創造的破壊」という表現にもあらわれています。
安定とか既存といった場所であぐらをかかず、「学び×遊び」にこだわって、授業の創造的破壊をしていこうと思います。
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