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❖着手点しかない危ういパス❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年1月12日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆着手点しかない危ういパス◆
昨年末、オミクロン株感染者の濃厚接触者について、無症状でも本試験の受験を認めず追試に回ってもらうとの方針が発表された。

それはオミクロン株の拡大に何らかの対応を迫られた行政による発表だった。しかし、世論の反発を受けてすぐに撤回となった。なぜこのような事態が起こるのか。試験本番三週間前での発表が受験生にどんな心理的影響を与えるのかであったり、その方針によってどんな追加対応のケースが考えられるかであったりを、なぜ発表前に十分に検討しなかったのだろうか。

もし、十分に検討していたならば、3日後に撤回というのは不自然である。オミクロン株拡大に何か対応わや示さねばということで、それが場当たり的な発表だったのではと思われても仕方のない出来事だった。

そして試験本番を4日後に控えた直前も直前に、新たな発表がなされた。今回の発表内容は、新型コロナで共通テストを受けられない受験生について個別試験のみで合否判定を可能にするよう全国の国公私立大に要請するものだった。さらに、個別入試が受験できない場合、追試験で4月以降の入学ができるような柔軟な対応を求めるという発表もあった。

これは新年に入ってからの新規感染者の急拡大が関係していると思われる。年末の発表と同様、報道で今回の発表が取り上げられると、ネットニュースのコメント欄に様々な反応が飛び交っている。

十分な検討や想定をした上での発表であるならば、世間の反応でこの後、また方針転換はないとは思うが、共通テスト直前である。なぜこのタイミングなのかという疑問は残る。

これまでの日本の歴史を振り返ると、「何をしたいか」という着手点(始点)だけしかはっきりさせず、かつての戦争も、様々な政策も、以前のコロナ対策も、着手点の衝動性だけで進めてしまっているような印象がある。

残念ながら「どうあるべきか」という着地点(終点)のような当初の目的や目標といったものを最初から見据えているようには思えなかった。

その目的や目標が達成されたから終了するとか、目的や目標が達成できそうにないから目的や目標を変更(下方修正)して現状を達成と捉えて止めるとか、途中の事情変更を受けて目的や目標を追加(上方修正)し新たな着地点まで継続するとかがないのである。

先は分からないが、とにかくまずは着手するという事実だけあればいい、その事実がほしいということで、行動開始をしてしまう。

つまり場当たり的、行き当たりばったり、後先考えずである。俯瞰された目的や目標が明確にないわけだから、実行した後に起こる状況の変化に対して、次はどうするか、目的や目標と繋がる合理的な答えが導き出せるはずはなく、結局、目の前に広がる状況変化だけに引きずられた場当たり的な対応をする。

着手点と着地点を結んだしっかりとした線がないのだ。だから、途中の状況変化という新たな1点について、当初の線との関係でどういう線に切り替えるか判断はできない。

着地点がなく着手点しかないから、着手の時点でイメージされていた線が時間とともに現実の線として描かれていかない。もしくは手探りの線が右往左往、ウロウロする。つまり着手点の先の方向性がしっかり決まってないわけである。

「見切り発車」または「出たとこ勝負」という表現も当てはまるだろう。そして、始めてしまった以上は、良い結果を手にしないと引くに引けないという心境になる。引かない代わりに、楽観論や希望的観測を現実にせざるを得ないという強引な行動になってしまう。

最初に目的や目標が決まっていたら、そして、そこに要する期間や資源や人員や場所が決まっていたら、状況の悪化によって、当初の目的や目標が達成が困難であると見通すことができる。そして、期間や資源や人員や場所のこれ以上のロスを避けるため、行動を中止できる。既に発生したロスは事実として受け止め、それは別の機会に別の行動で取り返すとして、とにかく今の行動でいたずらに余計なロスを増加させ続けないようにする。

なぜそれができないのか、なぜそれをしてこなかったのか。現状のミスを正しく認識せず、大逆転で既存のロスを帳消しにできるという奇跡の選択肢しか認めないからではないか。

昔から日本は変わっていないし、これは政治や軍事の分野だけではないようだ。元ユーゴスラビアのサッカー選手で、名古屋グランパスで選手としても監督としても活躍したストイコビッチが、以前インタビューで話していた内容を思い出した(情報のソースは思い出せないので、不確かな部分もある)。

彼は、日本人選手は非常にテクニックがあるのは間違いないと評価しつつ、典型的な弱点を指摘していた。日本人選手は、プレッシャーをかけられると、その時点で思いつく目先の選択肢しか考えず、とりあえずどれかに飛びついてしまう。大切なことは、即座に目の前の選択肢から選ぶことではなく、一歩引いてより多くの可能性をイメージしてから選択肢を考えることだと、ストイコビッチは話していたと思う。

昨今のコロナ対応は、このストイコビッチが指摘した弱点そのものではないだろうか。パス出しは遅いよりは、早い方が良い。しかしそれ以上に、パスコースの妥当性は検討しないよりは、した方が良い。最近のパスは、果たしてうまく繋がっているだろうか。
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#危機管理   #楽観論   #希望的観測
#学問への愛を語ろう

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