★我楽多だらけの製哲書(25)★~時間に追われる日々の活動とアウグスティヌス~
私が「授業者」として板書ノートを作り、黒板でそれを「表現」していることについては先日も触れた。この板書ノートに書かれた内容を単に黒板に示すだけならば、速度においても正確性においても、AIを活用した方が良いのではないかと時折思うことがあるが、もし授業というものが単なる情報の伝達活動ではないとすれば、そこに授業者としての人間の存在意義が見出せるのではないかと最近考えるようになっている。その際のキーワードが「表現」ではないだろうか。授業は決して「情報の伝達」に留まるものではなく、違