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【小説】 ワニと盲目、そして棍棒 【ショートショート】

 ロダは細工にちょうど良さそうな木の棒を村の隅で拾い、誰かの落とし物ではないことを目線をあちこちに這わせつつ確認し、年長者のイムラを探して歩き出す。
 イムラは生まれつき目が悪かったが、その分手先の仕事に長けていた。
 木の棒を持主の手にぴったり合った棍棒に変えてしまうことは朝飯前で、木片から本物と見分けがつかない程のナナフシやトンボを作ることも出来た。

 村の中を探し歩いてもイムラは見つからず、洗濯物を干す母にロダは訊ねた。

「母さん、イムラを知らない?」
「また細工を頼むのかい? ちゃんとお礼はしなきゃならないよ」
「わかってるよ。なぁ、イムラがどこにもいないんだ」
「さぁ、私は見てないよ。水でも汲みに行ったんだろうよ。狩りもせずブラブラしてるなら、あんたも水を汲んで来たらどうなんだい」

 母はそう言って提案しておきながらも、空になったポリタンクをロダの足元に放って寄越した。

「分かったよ。イムラを探すついでに汲んで来てやるよ」
「ついでに? 水汲みは大事な仕事なんだからね! 分かったならさっさと汲んで来な」

 ロダは返事もせず不機嫌に鼻を鳴らして水場へ駆け出した。村の掟で十二歳を迎えた男子は皆、成人とみなされた。
 その為、ありとあらゆる仕事が当たり前のようにロダには押し付けられるのであったが、ロダはまだまだ遊んでいたかったので村の掟を大いに不満に感じていた。

 裸足の底に土がまとわりつく湿地帯を通り過ぎ、水場へ向かう。白く大きな鳥がロダに警戒もせず悠々と泳ぎ水面を揺らしていたが、一瞬のうちに激しく白く美しい羽根を羽ばたかせ、ギャーッという悲鳴を辺り一帯に轟かせた。
 ロダは考えるよりも先に、水場の異変をほとんど本能で察知した。ワニが出たのだ。
 今水を汲みに行ったらヤラれるかもしれない。
 そう思いながらワニが鳥を食らって水に沈むのを待っていたが、ワニは鳥に逃げられた。
 そのまま水の中に戻るとばかり思っていたが、ワニは水から出ると全速力でロダ目掛けて走り出した。
 まずい! ロダは母親に激怒されることを覚悟でポリタンクを放り投げる。
 水も汲めず、ワニから逃げ出すなんて! このテイタラクめ! そう言われるであろうことは承知でワニに背を向けて走り出したものの、妙な声が聞こえて来て振り返る。

「ロダ、逃げてくれるな! 私だ、イムラだ!」
「イムラ!?」

 振り返る視線の先。ワニが大きく口を開いたその奥に、イムラの顔があった。
 ワニも「早くこいつを取ってくれ」と言わんばかりに、走るのを止め、ロダの前で口を開けたまま立ち止まった。
 おかげで、ロダは比較的落ち着いた精神状態でイムラと話すことが出来た。

「ロダ、私は今どうなっている?」
「どうって……その、間違いなくワニと一体化しているよ」
「やはり、そうか。では、ここから引っ張り出してはくれまいか?」
「そ、そんな! 僕には怖くてできないよ」
「成人のおまえに怖いものがあるか。それに、ワニの中にいる私の方が、おまえの何倍も恐ろしいのだ。さぁ、今こそ勇気を見せる時だ。ロダ、私と私に成り代わろうとするワニに、勇気を見せるんだ!」
「無理だよ、噛まれるかもしれない」
「イライラする奴だ。一体何の為におまえに何本も棍棒を作ってやったと思っているんだ」
「狩りに使うためじゃないの?」
「違う。あれは己の頭を叩き続け、己を鍛錬する為にあるのだ。見損なったぞ」
「そんなこと、村の大人はみんなやっていないよ」
「昔はやっていた! おまえのオヤジがまだ小さな頃、「痛いから」という理由で誰もやらなくなった」
「それはそうだよ。だって、絶対に痛いじゃないか」
「だからこそ、私は村の連中全員を見損なっている。外来の文化に染められ、おまえのオヤジなどはTシャツなぞ着ている始末だ」
「別に、過ごしやすければ良いじゃないか」
「うん。あれは、良いものだ。だが、私は戦士だから、うらやましくはない。それが、戦士だ」
「イムラ、何を言ってるのか全然分からないよ」
「真の戦士は、あの村にいない。だからロダ、早くしろ」
「そんな……あ、良い方法がある!」
「聞かせろ」
「今から村に戻って、大人たちを大勢連れて来るよ! みんなでイムラを助ければ怖くない!」
「おまえ、私の話しを聞いていたのか!? おまえがやらなければ意味がないのだ!」
「だって……」
「真の戦士になるのだ! というか、本当のことを言えば村に帰られると時間が掛かりすぎて私がワニの胃袋に飲み込まれてしまうだろう! それは嫌だ! 絶対的に嫌だ! だから今すぐ、さぁ!」
「分かった! イムラ、絶対助けるから待っててね!」
「あっ、ロダ! おまえ、逃げたな! 気配でわかるぞ! ロダ!」

 ロダは焦った。ポリタンクのことも何度か頭をよぎった。しかし、すぐにでもイムラを助けなければワニがその身体をたちまち飲み込み、溶かしてしまう。
 肩で息をしながらロダは村の大人たちに水場の出来事を伝えた。大人たちはすぐに駆け出した。ロダは母親にポリタンクを持っていないことを咎められ、野太い一発を脳天に喰らってから、皆に遅れて水場へ急いだ。

 水場へ着いてみるとワニはまだ口を開けていたのだが、大人たちはワニを取り囲みながら悲しみに暮れていた。口の中にイムラは既にいなかった。
 せめて魂だけでも救い出すことにして、大人たちとロダは協力してワニをこらしめた。なかなか手強いワニだったが、硬い背中に槍を刺した瞬間に、少しだけロダは戦士に近づけた気がしていた。

 村に持ち帰ったワニを丸焼きにして、その晩はイムラの弔いついでの宴となった。
 我々を生かす天使の化身であるワニを焼く火の煙と共に、イムラは空へと昇るのだ。
 そんなことをポツリと村長が言ったものだから、ロダは切ない気持ちになった。
 これが、きっと死を伴う悲しみなのだろう。
 ありがとう、イムラ。棍棒は鍛錬の為に使うことにするよ。僕、絶対に戦士になってみせる。
 空に向かい、ロダは心に誓うのであった。
 ワニの消化力はズバ抜けていたのか、イムラはワニの中にその欠片すら残してはいなかった。
 だから、ロダの持つ形見らしい形見は手製の棍棒だけとなった。
 
 翌朝。ロダは見慣れた顔に起こされ、仰天した。 
 眠りこけるロダを起こしたのは生きた姿のイムラだったのだ。

「生きてたの!?」
「あぁ。結局吐き出されてな、この世界に戻って来た。おまえは食えないヤツだと、ワニに言われた気分だ。それより、おまえ……」
「待って! イムラ、違うんだ! 僕一人じゃきっと力が弱くて無理だからだと思って、そのっ」
「焦るな。聞け。おまえ、良い木の棒を拾ったんだって?」
「えっ? あぁ……そう、これだよ」

 枕元に置いてあった木の棒をイムラに渡すと、イムラはゆっくりとした手つきで撫で始める。
 うん、これは良い。良いものを拾ったな。
 そう独り言を何度か呟いた後、こう言った。

「こしらえてやる。うちに来い」
「えっ! 良いのかい?」
「早く支度をしろ。昼になるぞ」
「うん!」

 イムラは冗談一つ言わず、何も喋ることなく木の棒を削り続け、見事なまでにロダの手に合った棍棒に仕立て上げて行く。
 ロダはその傍で息をする音にさえ注意を払いながら、流れ落ちる汗も拭うことなくイムラの作業をじっと見続けていた。
 緩い流線を描く棍棒を手に取ると、イムラは満足そうに頷いた。
 その姿に「わぁっ!」と声を上げたロダの脳天目掛け、イムラは出来上がったばかりの棍棒を容赦なく振り下ろした。
 まるで母の野太い一発を百発もいっぺんに喰らったような鮮烈な痛みに、ロダはのたうち回った。
 木屑に塗れた床を這うロダに、イムラはこう伝えた。

「早く戦士になれ。私は、今度こそ水を汲みに行って来る」

 ロダは声こそ聞こえていたものの、まともな返事は何も出来なかった。
 ただただ強烈に、痛かった。
 それと同時に、戦士になるのはやはり諦めようかとも思いながら、イムラが帰って来る頃になるとヒリヒリと痛み続ける脳天を摩り続けていたのであった。

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大枝 岳志
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