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【小説】 人のない病院 【ショートショート】

 季節はいよいよ春を迎え、陽射しも和らいで来た昨今。私は突然の発熱により布団から出ることさえ叶わず、体温計を見て眩暈を起こしそうになっていた。

「39度8……俺、死ぬのかな……」

 その声に「そうだよ」と返してくれる同居人もなく、6畳のワンルームを這ってでも病院へ行くことにした。
 近所には二軒内科院が在るのだが、優州クリニックは常に人気で連日超満員。電話で発熱のことを伝えてみると、外来受付から呼びつけるまで中へ入らないことが必須だと言う。
 流行病の残り香はこんな時に人を今だに苦しめることに憤怒しそうになったが、いつ呼ばれるか分からない時間を耐えられるだけの体力はない。
 仕方ないのでもう一軒の方、全く人気のないことで有名な藪腹医院に連絡してみると、いつ来ても大丈夫とのことでそちらへ赴くことにした。 

 4枚もの重ね着の後、ダウンジャケットを羽織って歩くこと5分。二階建てでやけに薄暗い藪腹医院の自動ドアを抜けると、人が全くいない状況下で受付の女が目を丸くし、すっくと立ち上がった。
 傍目に見ても私の状態はそんなにひどいものなのだろうかと思いきや、違っていた。

「ええー!? お客さんが来た……! あっ、ここは病院だからぁ、患者さん?」

 なんだこのアーパー女は。私は眩暈の状態から酩酊を起こしそうになったものの、こんな頼りなくか細い藁に縋る他なかった。
 
「申し訳ないんだが、すぐに診てくれませんか……とにかく熱がひどくて、死にそうです」
「あははー! 超大袈裟まじウケるんですけどぉ。うちはぁ、前に38度も熱出たけど今はぴんぴんしてますよ?」
「家で測った時は39度8分だったんです……」
「え、やばっ! それって死ぬんじゃん!? じゃあ熱お熱はかってぇ、待っててくださーい」

 ダメだ。これでは具合が悪くなる一方だ。既に評判通りとんでもない対応であることは間違いないのだが、さらなる問題が起きた。

 熱は40度1分を記録し、体温計をアーパー女に手渡すと、なんとスマホで写真を撮り始めた。

「すっご! やっば! おじさん記録更新じゃん! 熱のオリンピックでなよ!」
「……考えておきます」
「あ、先生が来て〜! って言ってるから、行って!」
「……はい」

 熱のオリンピックとは一体どこの国のどんな場所で行われているのだろう。ふざけ倒すのもいい加減にしろと思いながら診察室の扉を開けると、医師が私を待ってくれていた。

「やぁ。はじめまして、藪腹と申し訳ます」
「あ……あぁ、どうも……あの、先生ですか?」
「そうですねぇ……そう呼ばれるのは好きではないですね、アーティストとして」
「…………」

 藪腹医師は白衣は着用しておらず、短く刈った頭に鋭角な黒縁メガネ、口元の髭は整えられて折。灰色のタートルネック、黒の細パンツという格好。
 医師というより、どこぞの先端企業のやり手社長のような風貌である。
 病院よりも港区のカフェで意味不明にやたらパソコンでも広げてる連中の中に居そうだと思っていたが、あながち見当ハズレではなかった。

「えー、笹塚さん。まず、お伺いします。悪寒はある?」
「はい、あります」
「そうですか。パッションが……足らない、と。ちなみに私、「オカン」がいます」
「はぁ……」
「笑う所ですよ。ユーモアも……足りない、と。よしっ! では診察券を作る所から始めます!」
「えっ!?」
「顔をこちらに向けて!」
「あのっ、診察は……」
「向ける!」
「はい……」

 藪腹は顎髭を弄り倒しながら私の顔をまじまじと見つめ、手元の手帳にドイツ語で何やら書き書きし始めた。
 もう、死にそうだ。熱で頭がくらくらして現状把握もままならない。
 さっさと診てくれ……いよいよ耐えきれなさそうだとうんざりしていると、藪腹はパンッ! と手を鳴らした。

「浮かんだ! 笹塚さんが見えました。えーっとですね、5時間かなぁ……うん、5時間あれば大丈夫です」
「5時間……何がですか?」
「笹塚様専用の診察券を私が今からデザインして、完成するまでのお時間です。思ったよりだいぶ進みが良さそうだ! どんどんインスピレーションが浮かんで来る……ラッキーですね、笹塚さん!」
「……あの、診察は……?」
「もちろん! 診察券が完成した後に行います。私の医療方針は患者一人一人の人生に向き合うこと。それがモットー、そしてパッションです!」
「…………」

 私は診察室を出て待合室で「またねー」とアーパー女に声を掛けられ、その足で優州クリニックへ向かった。
 1時間ほどの待ちで診察が始まったが、発熱はあるがインフルエンザなどでは無いとのことで薬をもらって帰宅した。
 優州クリニックではこんなことも言われた。

「笹塚さん、ゆっくり静養して下さい。あと……肩が異常に強張っていますけど、最近強いストレスを受けたりしましたか?」
「あぁ……直近で……」
「そうですか。心も休めてください。お大事に」

 最初から優州クリニックへ行っておけば良かったと思いながら床に就き、その二日後に身体は見事に快復した。
 三日目の朝はまだ警備のアルバイトも休みをもらっており、ゆっくり寝込んでいると突然辺りに一帯に妙に陽気な不協和音めいたメロディが鳴り響き、私は目を覚ました。
 ガラス戸を開けて外を眺めてみると、スピーカーのついた軽バンが走っており、こんな声が聞こえて来た。

「先生がぁ〜、すごいパッションが出来たから早く取りに来て〜って言うからお伝えに参りました〜! 先生がぁ〜、すごいパッションが出来たから早く取りに来て〜って言うからお伝えに参りました〜! 先生がぁ〜、すごいパッションが出来たから早く取りに来て〜って言うからお伝えに参りました〜!」

 私は身を隠すようにしてガラス戸から離れ、布団を被って強く目を瞑った。
 およそ15分ほどして聞き馴染みのある喧しい声が去って行くと、ようやく私は安堵した。 
 同じ文言が何度も繰り返された所為で、気が狂いそうになった。
 住民達が大声で「うるせえ!」と抵抗しても、お伝えの声は止まなかった。

 久々の一服に頭をクラクラさせながら藪腹の「パッション」を痛感していると、今度は携帯電話が鳴り出した。
 藪腹医院からであった。
 私はその日、25回もの着信を無視し続けた。
 
【了】

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大枝 岳志
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