ふと流れる、他人の事情
掃除をするときや頭を使わない作業を家でする時、大抵ラジオを聴いている。というか、流してる。
何となく話の中に起承転結があることを望みながら、自然とお笑い芸人の番組を拝聴する機会が多くなった。
好きになった番組は過去の放送を聴くことも多く、先日掃除の手を止めてまで、つい耳を傾けてしまった番組があった。
お笑い芸人の空気階段による「空気階段の踊り場」という番組のコーナー(でもない)のひとつ「北野映画っぽい話」という幼少期の親の離婚やその後の再会など、どこかセンチメンタルなお話を募集するコーナーだった。
菊次郎の夏っぽい話しがメイン。
投稿主の通称:小銭(小銭)は生まれてこの方、父親に会ったことがなかったが、戸籍謄本を調べて父親に会いに行く。
何処か退廃的な雰囲気を漂わせつつも色気のあるその姿に、小銭は日頃父への恨み節を吐き続ける母が、惚れた理由を見出す。
思春期になると小銭は年上の男性と恋に落ちる。
その男性の両親も離婚しており、その親近感も手伝ってか二人は付き合うこととなる。
小銭にはある日、ふと男性の別れた父の名が気になって尋ねることに。
その名を聞いた小銭は、まさかと思いながらも驚愕の事実を知ることになる。
生まれて初めて恋に落ちた相手は、なんと自分の異母兄弟なのであった。
それから月日が経ち、大人になった小銭は父の逮捕に伴い再びその男性と、さらに別の兄と会うこととなる。
その際、店員にチェキを撮ってもらったという下りがなんだかイイなぁと思いながら聞いていたのだが、小銭に関しての話はこれで終わりにはならなかったのである。
その次の週の放送で、通称:河童というリスナーからこんな投稿が。
先日の放送の小銭という女性は、私の探している方に違いない。
同郷から共に上京し、好きな漫画や音楽の話し、小説の話しを通してずっと交流があったものの、一ヶ月前に突然連絡が途絶えてしまったと。
※小銭の巧みな文章力で気付いたようであるが、確かに小説家か何かしている方だろうかと思う程に小銭の文章はバランスが良かった。
河童は小銭への恋心をひた隠しにしながら、告白をしたら関係性が壊れてしまうと怯えながらも、小銭への憧れの気持ちを抱き続けていた。
一ヶ月連絡が途絶えている間、上の空で日々を過ごしていた河童。
その原因は自分の至らなさであると言い、もしも小銭が本当にその女性であるなら、きっぱりと諦めてどうか元気でいることを願いますと伝える河童。
投稿を読みながら、「どういうこと?」と困惑する空気階段の二人。
そして、もしも小銭が思い当たる節があるなら、再び投稿して欲しいと呼びかける。
そしてさらに翌週。
小銭から再び投稿が読まれる。
私こそが河童が探しているという、当の本人ですと。
そして、河童の勘違い(番組内で諺のように弄られる)がひとつ。
それは河童になんら落ち度はなく、連絡を絶ってしまったのは父の逮捕などから情緒不安定になり、春の陽気がそうさせたのか、何もかも絶ってしまいたかったからだと。
ただ、河童のことは一友人として思っていたので突然の恋心の告白に戸惑い、パニックを起こし、かつて二人で行った富士そばで相変わらずコロッケ蕎麦を食いながらその何処かに河童の姿を探して見たり、異母兄弟との恋愛以降ショックで恋そのものが分からなくなっており、無意識に河童のことを想う気持ちが恋なのか、いや、違うかもしれないと問答してみたり、様々な光景が頭を過り、思い出インマイヘッド状態になったものの、とにかく河童は悪くないと伝える小銭。
そして、いつか落ち着いた時にはきっと私はあなたを頼って、また連絡を取ってしまうでしょうと最後に書き残し、投稿は終わる。(他にもいろいろあるんだけれど)
これを持って話は終わるのだが、河童のラジオネームは「河童は死んだ」であり、思い出インマイヘッド状態はomoide in my headであり、つまりナンバーガールの歌詞や曲名で繋がっている。
それに気付いた空気階段の鈴木もぐらがひとこと。
「河童にとって、小銭は透明少女だったのかもしれませんねぇ」
相方の水川かたまりはハハッと笑うだけであったが、ナンバガ好きの私にとってはなんとも粋なひとことだなぁと感じた。
で、自分自身のことを振り返ってみるとやはり父が二人居る(た)上、強制的なクラスメイト達との突然の別れなどを経験している。
異母兄弟と付き合う経験はさすがになかったけれど、元父の新しい息子達は元クラスメイトであって、さらに妹が思春期になるとなんと付き合い掛けたこともあった。
兄と弟がいたのだれど私と同級生の兄は高校で再会。親父が一緒だという事実を周りに揶揄われ、一年時に彼は高校を辞めてしまった。
弟もその後入学して来たけれど兄と違って周りに合わせて愛想を振りまくのがとても上手な奴で、私が学校を卒業してからもたまに顔を合わせて近況を交わすこともあった。
その後は私の母が絶望的な経済状況の逆恨みから「たけし。元父から金をぶん取ってこい」と私に命じ、アレコレ理由をつけておよそ百万程絞った所で逃げるようにして疎遠状態となり、微かな偽兄弟めいた絆にすらなれない繋がりもなくなった。
それから会うこともなく、会いたいと思うこともなく、恐らく実父は私が金をふんだくって遊びまくっていたと思い込んだまま死んで行くのだと思う。
二番目の実兄(これまた縁が切れているが)は戸籍が元父方にあり、後に聞いた所「金を盗まれた」と私のことを恨んでいたらしい。
それはそうだろうと思うのだが、手にした金は一円も私の懐に入ることはなく、妹の専門学校の学費、火の車状態でなんとか払っていた親の住宅ローン、仕事口のない義父の稼ぎの代わりの食費と潰え、アレコレ理由をつけてぶん取った金は大半が親と妹の支払いに消え、結果的に住んでいた家は抵当に取られ、一番下の妹は家出をした。
まるで性格が曲がり曲がった捻くれ作家が書いた寓話のようだと思う。
突然すべてを捨てたくなった小銭の気持ちを、私は理解するし実際二度ほど同じことをした事がある。
一度目は途方もなく死にたいと考えていた際、もう一回は全ての人間関係に疲れ果ててしまった時だ。
親の離婚が全てだとは思わないが、幼少期に親が離婚! となると、多少なりとも周りの子供に比べて色々なことを子供なりに考えるようになる。
大人の頭と違って、まず一番に考えるのは友達のことだったり、どうしたら気まずい家の中の雰囲気を打破出来るのかとか、とにかく自分のセーフティを考えるのである。
それを聞いた大人達はほぼ大半が「優しい子だね」と言う。
しかし、それは違う。優しさではなくて、明日が壊れてしまうことから来る恐怖心から逃げたいが為の逡巡だったりするのだ。
他人のことなど心底実はどうでも良くて、自分の安全に全力なのに大人の力や事情があるから自分ではどうにも出来ないことにすぐにブチ当たる。
すると、その大人達のゴキゲンを伺って「なんとかな~れ!」という一縷の望みを薄ら笑いやお愛想に込める訳である。
しかし、判子をついた紙を役所へ出せば大人の要求は子供がどんな想いをしていようが容易く通ってしまう。
そんな現実の中にいると、自分の安全の為がいつの間にか自然と大人や周りに気を遣う方向へシフトしていってしまう。
最終的に、疲れてしまう。
愛想を振りまく相手に、答えを求める誰かに、そして、自らが招いた状況に。
話し泥棒なので小銭と河童の話しからだいぶ逸れてしまったけれど、様々な過去を振り返ったり照らし合わせたりしながら、センチメンタルかつ答えのないやるせない感じが、「笑うしかねぇよな、笑えよ、はは。おい、面白いか?」と問われているような感じが、なんだか北野映画っぽいなぁなんて思う次第なのでありました。
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