【絵から小説】 空を取り戻す日
サンタクロースのジェフは冬までの間、子供達へプレゼントする為の玩具を作る職人として過ごしている。
車や飛行機、小さな家や人形、それらを木材を使って丁寧にひとつひとつ、心を込めて仕上げて行く。
木の角で子供が傷つかないようにヤスリ掛けを行い、角が丸みを帯び始めるとジェフは子供達の笑顔を想像し始める。どんな年も、クリスマスには子供達の笑顔があった。
今からおよそ八十年も昔の事だ。
ある街の夜へ降り立ったジェフは、その姿に気付いて外へ飛び出して来た子供達に囲まれていた。子供達は窓辺から空を駆け降りる彼をずっと待ち焦がれていたので、ジェフは街へ降り立つと煙突に入る暇さえ無かった。
大きな袋の中から玩具を取り出して子供達へ手渡すが、ひとりだけ近寄ろうとしない内気な男の子がいた。その子は皆が作る輪の中へは入って行けず、母親の背中に隠れたまま少しだけ顔を覗かせている。母親は少年の頭を撫で、優しい声でこう伝えた。
「ヨハン、サンタが来ているのね? 私にはもう見えないけれど、大丈夫よ。行ってらっしゃい」
「でも……いいのかな」
「サンタは子供に区別なく、等しいのよ。安心なさい。さぁ」
ジェフはまるで不安を隠せていない表情のヨハンを手招きすると、笑顔になって腰を屈めた。目を泳がせるヨハンが顔の前に近付くと、その頭を静かに撫でた。
「君は、ヨハンか?」
「はい、あの……五歳です」
「あぁ、知っているとも。まだ君が生まれたばかりの頃、君の家の煙突に入り損ねてしまった事がある」
「入れなかったの?」
「あぁ。この大きなおなかが引っ掛かってしまってね」
ジェフがおどけながらそう言うと、ぎこちなかったヨハンの表情はたちまち柔らかくなり、小さな両手に車の玩具が手渡された。
「ヨハン、メリークリスマス!」
「メリー、クリスマス」
「さぁ、私は次の街へ行かなければならない。さぁルドルフ、次の街へ行こう。ハイドー!」
ジェフが掛け声をあげると、ソリが天に昇って行く。まだ幼かったヨハンはその美しい光景を、延々と小さな目に焼き付けていた。
それから毎年、ジェフはクリスマスになるとその街を訪れた。
子供達が段々と成長して行く姿に声を上げて驚き、まるで我が子のように喜んだ。
戦火が世界を包んでいた年も、ジェフは子供達に希望を届けようとその街へ降り立った。
しかし、その年の街には聖夜を祝うための灯りがなかった。それどころか、街一面が焼け野原となり見る影も無くなっていた。
闇夜に漂うのは芳ばしいターキーの香りでは無く、燃え尽きた灰と死んだ肉の匂いだけだった。
例年なら各々の家から子供達が飛び出して来るはずだったが、その家のほとんどが焼け崩れてしまっていた。
ジェフは妙な胸騒ぎを感じ、ルドルフを駆って焼き尽くされた街中を走り回った。小高い山にある墓地へ足を運ぶと、真新しい墓標には数多くの子供達の名前が刻まれていた。
「そんな……なんてことだ……」
ジェフは激しく落ち込んだが、まだ街に残されている子供達を捜そうと気を取り直した。青暗い夜。廃墟のようになった街には傷付いた多くの人が残されていて、街のあちこちでうずくまり、酷い寒さに震えていた。大人には自分の姿が見えない事への苛立ちを募らせながら街を駆っていると、真っ暗闇の街中に突然大きなサイレンが鳴り響いた。
それからすぐに空を震わせる爆撃機のエンジン音が近づいて来た。街に残された人々が逃げ惑う中、サンタはある少年を発見した。
「ヨハン! 早く逃げるんだ!」
声を掛けられたヨハンは、道の真ん中でぽつんと立って上空を見上げていた。
「ジェフ、来てくれたんだね!」
「あぁ、今日は聖夜だから。それよりもすぐに逃げるんだ、ここは危険だ!」
「そしたら、僕のお願い聞いてくれる?」
「あぁ、願い事なら何でも聞いてやろう。だから早く」
「ジェフ、死んじゃった僕のお父さんとお母さんを返してよ」
「……」
ジェフはヨハンの願い事に声を失った。あまりに大きな願い事に、返す言葉が何も思い浮かばなかった。それでも、ヨハンは目を輝かせながら続けた。
「この為にずっとジェフを待っていたんだ! 会えてよかったぁ」
「ジェフ、それは……」
「いい子にしてたら願い事叶えてくれるんだよね? 僕ね、ずっといい子にしてたんだよ!」
爆弾が降る音が空を裂く。街の隅に爆弾が落ちたようで、衝撃が地面を小刻みに震わせる。
「君はいい子だ、だから……早く逃げるんだ」
「お父さんとお母さんは?」
「そうだ、ヨハン。次のクリスマスまでいい子に出来るかい? そうしたら、約束しよう」
「……分かった。次のクリスマスまで僕、いい子にしてるよ!」
「あぁ……だから、早く逃げるんだ。プレゼントが渡せなくなる前に」
頭上を無数の爆撃機が飛んで行くと、爆発の衝撃はスピードを増して近付いて来る。すぐ近くの通りで爆発音が響き、炎が噴き上がる。その明かりに照らされながら、ヨハンは微笑んだ。
「ジェフ、約束だよ? メリークリスマス!」
「さぁ、逃げるんだ! メリークリスマス」
駆け出したヨハンの姿が見えなくなると、立っていた場所に爆弾が落とされた。わずかに残された建物が一気に燃え上がり、崩れて行く。ジェフはルドルフと共に空へ駆け上がると、落ちて行く無数の爆弾の中を空に向かって飛び立って行った。見下ろす街に落とされる爆弾はまるで花火のようにあちこちで大輪の花を開かせ、街は火葬のように燃え上がっていた。
一年後のクリスマス。
ジェフは孤児院でヨハンと再会した。袋の中にはヨハンの父と母を模した人形が大事に仕舞われていた。一年間、毎日微調整を繰り返し丹念に作り上げた人形だった。
ヨハンにそれを手渡すと、ふたつの人形は勢い良く地面に叩き付けられた。
「嘘をついたんだね……ジェフ、サンタの癖に僕に嘘をついたんだね!」
「ヨハン……これは、違うんだ」
「何が違うんだよ! 僕のお父さんとお母さんは人形なんかじゃない!」
「すまない……私が君に出来ることは……これくらいしか」
「やっぱり嘘つきじゃないか! いい子でいたら願い事が叶う!? そんなの嘘っぱちなんだ! だってサンタが嘘つきなんだからね!」
「ヨハン、待ってくれ!」
「もういい! こっちへ来るな!」
泣きながら孤児院へ引き返すヨハンを、ジェフは止められなかった。地面に置き去りにされたふたつの人形を袋に仕舞うと、ジェフは人形の代わりに溜息を落とし、静かにその場を離れた。
さらに一年後のクリスマス。
ヨハンは街の郊外に作られたスラムの隅にいた。
ゴミ溜めのような据えた匂いのする場所で、ヨハンは素行の悪そうな大人達に囲まれながら、廃タイヤに腰掛けて煙草を吸っていた。
近づいて来るジェフに気が付くと、ヨハンが笑顔になって手招きをした。一瞬心を赦されたと思ったジェフだったが、すぐに違うのだと気が付いた。まだ小さなその手にはナイフが握られていたのだ。
「やぁ、ジェフ。今年もわざわざやって来たんだね」
「あぁ、プレゼントを……」
「玩具ならいらないよ。僕らは遊んでる暇なんかないんだよ。この国は戦争に負けてからずっとドン底なんだ。何か食べ物はないのかい?」
「ヨハン、すまない……食べ物は生憎……」
「なんだよそれ。玩具じゃ腹は満たせないだろ? じゃあ、お金でいいよ。お金を置いて行っておくれよ」
「それも、生憎だが……」
ジェフは何も出来ない不甲斐なさから、袋を握る手に思わず力が入った。
すると、ヨハンがすぐ目の前までやって来た。腹に何かを感じて視線を下げると、ナイフが突き立てられていた。
「ジェフ、あんたはもう用ナシだ。今すぐここから消え失せろ。そして、二度とその裕福なツラを僕に見せないでくれ」
「すまない、クリスマスなのに何も出来ずに……」
「一年中玩具を作って遊んでいるあんた達に、僕達の気持ちがわかるか? 街の人達が大勢死んで、食べる物もなくて、未来なんか何処に行ったって見えやしない! この気持ちが分かるか!?」
ジェフの姿が見えていない大人達が、ヨハンを取り囲んでげらげらと笑い声を立てている。
「独り言とは坊や! こいつ、ついに頭がおかしくなったぜ!」
卑下た笑いと共にそんな声を浴びせられても、ヨハンの握るナイフはジェフの大きな腹に突き立てられたままだった。
ジェフはゆっくりと後ずさり、振り返ってその場から去って行った。最後の最後まで、ヨハンは怨みの籠もった目でジェフから視線を外そうとしなかった。その目が、重たく辛かった。
さらに一年後。
ヨハンはある金持ちの家に売り飛ばされていた。寒さが厳しい聖夜。一人きりになったヨハンはボロボロの納屋で過ごしていた。
隙間風の入る納屋の真ん中で、ヨハンは何もせずに座ったままじっと壁を眺めている。
その後姿にジェフは声を掛けたが、ヨハンは何の反応も見せないでいる。
「ヨハン、君に会いに来たんだ。振り返ってくれないか? ヨハン? 君に無視されても仕方がないとは思っているが……だが……」
ジェフがその身体に触れようとすると、右手がヨハンの頭を擦り抜けた。
「ヨハン……聞こえてないのか? もう、私が見えていないのか? ヨハン……」
ヨハンの目にはもうジェフの姿は見えていなかった。無垢は実りを待たぬうちに運命によって粉々に壊され、既にその心を失っていたのだ。
夜に考えられる事を許されるのは、明日主人に怒られないように働く事だけ。そんな生活がヨハンから希望を奪い去ってしまった。
空へと引き返したジェフは後悔の気持ちに塗れていた。あれだけ大きな声で笑いながら子供達に囲まれていた日々が、おもしのように感じられた。
それから、ジェフは笑わなくなった。仲間内からは「陰気なサンタ」と笑われながらも、毎年プレゼントは配り続けていた。
それからさらに数十年が経ったクリスマスの事だった。
焼け野原の街に人々が新しい街を作り、聖夜は華麗なイルミネーションがあちこちで光り輝いていた。ジェフは子供の気配を感じ取り、ある一軒の家の煙突に入ってみる事にした。
入口へ腹を入れ、そのままゆっくり下ろうとしたがうっかり手を滑らせて暖炉へ一直線に落ちてしまった。尻餅をついてふと目の前を見上げてみると、木造の部屋の中で髭を生やした一人の男がロッキンチェアに腰掛けてこちらを眺めていた。
まさか自分が見えている訳がないだろうと思い、ゆっくり立ち上がると声を掛けられた。
「やぁ。ずっと、この日を待っていたんだ」
「君は……私が見えるのかね?」
「不思議な事に、見えているんだ。それでも、今夜は何故かあんたに会える気がしていたんだ。数十年ぶりにね」
「数十年ぶり……君はまさか……ヨハンか?」
「ジェフ、久しぶり。ずっと会いたかったんだ。ここへ座ってくれよ」
ヨハンは隣に置かれたもう一脚のロッキンチェアを指差した。言われた通り腰掛けると、ヨハンと横並びになって火のない暖炉を眺める格好になった。ジェフは額に手を置いて、首を振った。
「君は……あれからどうしていたんだね?」
「今は家族も持って、子供が二人いるよ。確か、最後に会ったのはスラムだったな」
ジェフの脳裏に、腹に突き立てられたナイフが思い浮かぶ。それと、怨みが籠められた幼い眼差しも。
「あぁ……あそこはひどい場所だった」
「あれから俺はあちこちに売り飛ばされた。ある時に金持ちの奴隷みたいになって、嫌気がさして逃げ出したんだ。その後、新聞屋に拾ってもらった。その縁があってずっと記者をやっているよ。とは言っても、地方の三流紙だけどね」
「ヨハン、人間というのは一流だろうが三流だろうがいつかは必ず死ぬ。何を成したかで名声を得るより、君は君の成すべきことを果たせ。あまり自分の職業を卑下するな」
「サンタにこんな説教くらうだなんて、俺も年を取ったってことだな」
「素晴らしいことだ。何もかも、こうして話せることも」
「ジェフ……」
「なんだね?」
ヨハンは立ち上がり、何かを言い淀んでから暖炉に火を入れた。乾いた木がパチパチと音を鳴らし始め、柔らかな炎が部屋を仄かに染めて行った。
ロッキンチェアに腰掛けたヨハンは、頬に手をついてからもう一度声を掛けた。
「ジェフ……実は、あんたにずっと謝りたかった。子供の頃、親を返せだなんて無茶を言ってしまった事、ひどい言葉で傷つけてしまった事……本当に、すまなかった」
まだ小さなヨハンが一年後の約束に目を輝かせていた光景を思い出すと、ジェフは首を振った。
「いや、私こそあんな中途半端な事をしてしまって……まだ幼かった君を深く傷つけてしまった。あれからずっと後悔をしていたんだ」
「あんたは謝らなくていい。俺の親が死んだのはあんたのせいじゃない」
「そうは行かない……君に叶わぬ願いや希望を抱かせてしまったんだ。一人きりで辛かったのに、私は答えに迷ってあんな約束をしてしまったんだ」
そう言うと、ヨハンは大人の声で力強く言葉を返した。
「ジェフ、それは違う」
「違う? 何が違うんだ?」
「俺は一人きりじゃなかった。だって、少なくとも一年に一度の夜にはあんたがいてくれたじゃないか」
「ヨハン……私を、許してくれるのか?」
「俺の事も、許してくれるかな?」
そう言ってから、二人はしばらくの間静かに笑い合った。過去が洗い流されて行く様を、二人は雪を溶かす春の陽射しのように感じていた。
「ジェフ、子供達なら二階の寝室にいる。プレゼントを渡してやってくれないか」
「その前に、大きくなった君にプレゼントだ。メリークリスマス」
すっかり笑顔になったジェフがヨハンに手渡しのは、あの日地面に叩き付けれた父と母を模した人形だった。それをヨハンが受け取ると、次々に溢れ出る涙が頬を伝った。
「ジェフ……よく似てるじゃないか! これは間違いなく俺の親父とおふくろだよ! 本当に、良く出来てやがるよ……まったく、俺ってヤツは……なぁ、ジェフ」
隣を見ると、その姿はもうヨハンの目には映らなくなっていた。気配すら感じられなかったが、ジェフは立ち去ったのだろうか、隣のロッキンチェアだけが静かに揺れていた。
しばらくすると二階から子供達の大はしゃぎする声が聞こえて来る。その声にヨハンはその目に再び涙を滲ませた。
ヨハンは二階の子供部屋で笑い声を上げているであろうジェフのために玄関の鍵を開ける。
扉を開くと凍えそうな夜の街にはイルミネーションが美しく輝いている。その光の明滅に、ヨハンは自然と笑みを漏らしてしまう。そうして扉をそっと閉めると、聖夜を祝福する馴染みの言葉が子供達の無邪気な声に乗り、家中に響き渡った。
あいさつ
読了ありがとうございました。
何か届く物があったなら、作者として幸いでございます。
今回は #清世のクリスマステロ に参加させて頂きました。
実は本日、大枝清世の小説がもう一つ投稿されます。
それが何時になるかはお楽しみにしていて下さいまし。
我々清世組は現在1月29、30日にジョイントHARAJUKUにて行われる「清世展覧会」に向けて精一杯奮闘しております。
そんな日々の奮闘をお伝えするボリュームたっぷりなマガジン兼入場チケットは以下で販売中です。
毎週土・火で大枝はエッセイを綴っております。
展覧会では清世さんが絵を担当している会場限定販売の絵本で原作を担当しております。
皆様のご来場、清世組一同お待ち申し上げております