エゴを手放そうとするよりも面白がる
「幸せになるためにエゴを手放す」
みたいな考え方がある。
エゴがあるから苦しみが生まれて、不幸になる
っていう話ね。
僕もそう思って生きてきた。
だから、苦しみから抜け出すために頑張ってエゴを手放す努力をしてきた。
そもそも、
「何を幸せと呼ぶか?」「手放すってどういうこと?」みたいなことを掘り下げていくと、色んな解釈ができるから、そういう話をし出すと終わりが無くなるんだけど、、
ここではそういう細かい話は無し!
僕が言いたいことは、
「エゴを手放せば、、」っていう考え方自体が非合理的じゃない?
っていう話。
エゴなんて無限にあって、いくら手放しても無くならない。
少なくとも、僕自身は今のところそう感じている。
瞑想センターにこもって、膝が壊れるまで瞑想して、
泣いたり叫んだり踊ったりして!色々吐き出して、
思い込みを外すために、あえて世間的タブーを犯したりして、
20年以上、努力と挑戦と挫折を繰り返してきたけど、、
今現在の自分自身を正直に見つめてみると、
全然エゴは無くなりませんよ😭
今の自分は、やっぱりうんざりするほどのエゴにまみれていて、毎日の何気ない生活の中で、意識的、無意識的、大小関わらず、自分のエゴによる面倒くさい反応が起きまくっている。
むしろ、あるのに見ないようにしていた自分のエゴや思い込みまでハッキリと自覚できるようになった。
誰かの些細な仕草や一言にイラッとして、
思い通りにいかないことにモヤッとして、
理想通りじゃない自分に落ち込んで
つい他人と自分を比べて焦ったりしている。
でも、鋭く醒めた(心の)眼を以て、それを直視し続けることができれば、
そういった体や心の反応を、意識的に自分の内側だけに留めておくことはできる。
自分の中で起こっている(面倒くさいことも含めた)様々な反応に、ちゃんと気づいて、感じて、受け入れながら、
それに飲み込まれず、振り回されず、映画でもみているかのように眺めていることはできる。
エゴはあるし、無くせない。
だったら、自分がエゴまみれであることを潔く受け入れて、そんな自分を面白がる方がいい!
と、まあ、
僕はそんな風に自分のエゴと付き合っている。