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【読書メモ】エリック・ホッファー著「大衆運動」#私の読み散らかし

#エリックホッファー #EricHoffer の『 #大衆運動 』は1951年に発表されたホッファーの主要論文ですね。原題が #theTrueBeliever -Thoughts on the Nature of Mass Movements。

翻訳版の後書きに書いてある『忠実なる信仰者-大衆運動の本質に関する考察』というタイトルを本題にしたほうが内容的にはしっくりくる。でも61年に初翻訳が出た時のタイトルは『大衆』だったそうだから『大衆運動』というタイトルでも多少はマシになったのかな。こちらは69年の改題版の03年復刊版。この紀伊国屋書店出版による悪訳は有名で、アマゾンレビューでも酷評されていますが、その辺を差っ引いてもまあ必読の書ではあると思ってます。(話逸れるが、70年代の紀伊国屋書店出版の人文系翻訳は総じて質が低いかもしれない。改訂前のロールズ『正義論』の悪訳は有名だった)

刊行された時代が第二次世界大戦直後だったので、主にナチズムそして共産主義革命への関心(≒恐怖)が高かった世論の後押しもあり、この論文とホッファーは一躍注目を浴びた。アーレントの『全体主義の起源』と同年の発表でもあって、世間の温度感の高さも感じる。さらにはアーレントの方は、アーレント独自の哲学的タームを駆使し組み上げた壮大な論考だったのに対し、ホッファーのこの論文はページ数も少なく平易な文体で書かれていて、だから広く読まれたという事もあったかもしれない。お互いの影響関係はどんな塩梅だったかよく調べていないのでちょっと不明ではあるんだが、55年にバークレーで邂逅しているらしい。どんな話をしたのでしょうか。

ホッファーの論調の特徴は、彼自身の出自に依るところがある。ホッファーはNYの家具師の息子として生まれて、15歳まで視力障害のため初等教育を全く受けていかなった。15歳で視力が回復してから貪るように本を読み、実父の死後NYを離れ炭鉱や季節労働者として農場で働き、アメリカ中と転々としながら40歳を超えてようやくサンフランシスコに定住した。その定住後、サンフランシスコ・ベイで湾岸労働者として働く傍ら独学でこの論考を組み上げたらしい。彼の愛読書はモンテーニュの『エセー』。エセー読みながらその日暮らしの肉体労働に従事していた若き日に、遠くドイツで突如現れたヒトラーの存在を知ってそれに驚き、それがこの思索の強い動機になったという。

さて”その出自に依る”という彼の論考の特徴とは、彼が労働市場の最下層で働きながら見てきた実体験が基調となっていることです。それは、ミスフィッツ(社会不適合者)が持つ劣等感と憎悪の熱量が社会を変革しうる、という主張です。この視点はこれを読んだ当時非常に感銘を受けた。社会を動かすのはエリートじゃない。虐げられて踏みつけられてきた人の怨嗟と自己嫌悪の熱量が大きなうねりになる、という論旨を、ホッファーはどこかで共感の眼差しを持って展開していきます。

第一章の扉頁にある引用文が全てを端的に表しています。

「人間は偉大であろうとして、自分が小さいのを見る。幸福であろうとして、自分がみじめなのを見る。完全であろうとして、自分が不完全にみちているのを見る。人びとの愛と尊厳との対象であろうとして、自分の欠陥が人びとの嫌悪と侮蔑とにしか価しないのをみる。彼が感じているこの困惑は、彼の想像しうるもっとも不正な、もっとも罪ある情念を、彼のうち生じさせる。なぜなら、彼は自分を責め自分の欠陥を自覚させるこの真実に対して徹底的な憎しみを抱くからである。」(パスカル『瞑想録』より)

さて、ホッファーについてもう少し触れると、彼は64年からカリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授になったが、65歳になるまで沖仲仕の仕事はやめなかった。60年代後期~70年代にかけて「沖仲仕の哲学者」として注目されてメディアにも広く取り上げられた。テレビ向けの論客としてミーハーな受容はあったようだ。

彼は当時のヒッピー等の対抗文化や学生運動には否定的で(若者の「人生の浪費」と思っていた)、ベトナム戦争にも肯定していたという。そのエピソードを知った時、僕は最初違和感を思ったんだが、彼の論旨のポイントを理解するとなんとなく腹落ちはする。これは保守/革新といったイデオロギーの話じゃない。彼は人の心の裏側にある“後ろめたい激情”“うすら昏い欲望”を見つめていた。公共正義の運動はその“主張の正しさ”だけでは、運動の火を燃え盛る焔へと昇華させるに足りない。ファナティックな妄信だけが持ち得る危険性こそが、結局は革新する力を秘めている、と考えていたからじゃないか。

#私の読み散らかし #読書メモ