【創業note】志に向かう経営者の想うこと~30代の振返りと40歳で決めたゴール設定
こんにちは。株式会社シンシア・ハートで代表取締役をしている堀内猛志(takenoko1220)です。
本日(2023年12月20日)、無事に40歳を迎えることができたということで、30代を振り返り、これからの人生のゴールを勝手に伝えたいと思います。
30代のハイライト
30代で起きた出来事をざっと振り返ると以下のような感じです。
■30歳:採用部長就任
前職ネオキャリアで新卒採用責任者になったのが29歳。30歳のタイミングで採用部部長というポジションで新卒採用、中途採用合わせて毎年300~1000人の採用を行いました。一番きつかったのは従業員が2000人前後のときですね。退職率が20%あり、かつ、毎年従業員数を20%増やすというミッションがあったので、合計800人を超える人材を採用していました。採用部にも人がいないタイミングだったので1日12時間以上面接をしていました。
全然寝る暇もなかったけど、めちゃくちゃ楽しかったのは、自分(堀内)がいることを理由に入社承諾をしてくれる人たちが少なからずいたことですね。20代で独立することを考えていたので正直、愛社精神はそれほどなかったんですけど、採用責任者になって、自分の出会いによって目の前の求職者の人生を変えてしまったという感覚を覚えてからは、絶対に良い企業にしようと思ってエンゲージメントが高まりましたね。
■31歳:痔の手術
大学時代からだましだまし耐えていた痔というダムが決壊しました。切れ痔、いぼ痔、痔ろうの全てをコンプリートしてしまったところに菌が入り、年中風邪をひいているかのように37度~38度くらいありました。それでも全国での採用活動があるので長距離移動をしていましたが、もはや限界を迎え手術に踏み切ります。
手術後に💩をするのは命がけでした。あの痛みを二度と繰り返したくないという思いで、その後は酒と香辛料を控えるようになりました。特に激辛な食べ物が大好きだったので、このタイミングで痔になり、食生活が改善されていったのは今となってはよかったのかもしれませんね。
■32歳:人事戦略管掌執行役員就任
役員になり、人事戦略本部を任されたことで、人事部、採用部、人材開発部、カルチャー推進部、広報室を管掌することになりました。採用、人材開発、組織開発のような攻めの人事に関しては得意でしたが、労務のような守りの人事は経験がなかったので、当時の部長たちに非常に助けてもらいました。年齢も経験も上の人材をマネジメントできる環境をいただけたことが自身の成長に大きくつながりました。
また、社内だけでは知見が足りないので、どんどん外の人に会いに行くようになったのもこの頃です。責任者以上の人材に向けてリファラル採用を促進していましたが、促進する側の自分が外部との関りが少ないと話になりません。毎日、wヘッダーは当たり前で、自社の1歩2歩前に進む企業の経営者や人事役員の方にアポをとって学ばせていただきました。ここでの経験は、1000人を超えた組織づくりや文化醸成にすごく役立たせてもらいましたし、独立後にもつながる縁も生まれました。
■33歳:問題続出の1年
急成長する組織には痛みも伴います。公の場ではとても言えない問題が山ほどありましたね。いや~、、、山ほどあったなー。。。広報も管掌していたので危機管理はめちゃくちゃ鍛えられました。万が一に備えて記者会見の研修も受けていました。結果的に自分が広報責任者として記者会見を仕切るようなことがなくて本当に良かったです(笑)
事業が多角化し、人事領域でも組織のモラル低下、ひとつのMVVで束ねる限界、制度のひずみ、採用基準のブレなど、カオスなことがたくさん起きましたね。ただ、組織の拡大、事業の多角化の中で、人事組織はどうあるべきか、事業戦略に人事組織戦略はどのように接続すべきか、人事の役割とは何か、ということに向き合い続けることができた良い期間だったと思います。
色々ありすぎたのでクローズドの場面でも話せないことの方が多いです。急成長ベンチャーでの問題は大体経験したと思うので、そういう痛みに苦しむ経営者や人事責任者の方はお声がけください。僕の経験からアドバイスできることは少なからずあると思います。
■34歳:採用部 全社年間MVP獲得
人事戦略本部全体を管掌してからも、全社戦略の一丁目一番地である採用にはずっと前線で携わってきました。ようやく採用部長の兼任を終わらせ、次のメンバーにバトンタッチしたタイミングで全社の年間MVPを獲れたのはうれしかったです。営業会社なので、設立以来ずっと事業サイドの部署がMVPをとっていた中で、初めて管理部門である採用部がMVPをとれたことはネオキャリア史に残る快挙だったと思います。
頑張ってくれたメンバーたちの頑張りはもちろんですが、写真のように多くのメンバーを事業サイドから異動させてもらい、協力があったからこその賞でした。採用人数は過去最大でしたが、採用期間を大幅に圧縮するとともに、採用基準もクリアでき、事業サイドに対して人材供給面で非常に貢献できた1年だったと思います。
■35歳:尿路結石&ファスティング
ある日の深夜4時頃だったでしょうか。猛烈な激痛が走ったことで飛び起きます。あまりの痛みに、これはタダゴトではないと思い、迷うことなく救急に連絡。119さえ思い出せないくらい痛かったのを覚えています。救急車を手配した後に起こったのは、入院が必要な場合の準備や、戸締り、お金の準備、会社への連絡などを全部自分がやらないといけないことでした。
当時は一人暮らしなので助けてくれる人はいません。付き合っている彼女(今の妻)は大阪に住んでいました。激痛に耐えながら準備をしていると、1人で生きていくことの限界を感じるようになりました。正直、そこまでは結婚する気はなかったのですが、結婚は必要だ、と考えるようになりました。
無事に尿路結石を粉砕する手術を終え、健康や体型について考えるようになりました。知り合いに教えてもらいファスティングを始めたのはこの頃です。単純に痩せるだけではなく、腸を蘇らせることで、身体を健康にする考え方に心を打たれて早速実践しました。4週間のファスティングはなかなかの苦行でしたが、12キロ一気に落とせたことも、余計なエネルギーを摂取しない方が頭がさえるとわかったことも非常に良かったです。しかし、一気に激やせしたので周りの友人からはめちゃくちゃ心配されました(笑)実際はすこぶる健康だったんですけどね。
■36歳:結婚
1年前まで結婚はしないと親にまで宣言していたのに人生は不思議なものだなと思いました。2年半の遠距離の付き合いを経てからの結婚だったので一緒に住むのは多少緊張がありましたが、やってみるとすんなりと進みました。今でも仲良しで、様々な面で支えてくれている妻には感謝です。
元々、僕は自己中心的で人の気持ちがわからない人間でした。そんな僕が少しずつ相手の目線を持てるようになったのは、日々、妻と暮らしているからだと思います。一人で生きていると、プライベート空間に限っては時間、習慣、価値観が自分の都合だけで生きようと思えば生きれます。しかし、共同生活を行えばそういうわけにはいきません。相手のそれに合わせるか、接着点を話し合う必要があります。
これを毎日続けるのは苦行と言えば苦行であり、シングルの時の方が楽でよかったと思うこともあります。一方で、この日々のトレーニングのおかげで、様々な場面で相手をおもんばかることができるマインドが養われているのだと強く思えます。相手のために生きたい、そう思う気持ちを僕に与えてくれた妻に心から感謝しています。
■37歳:コロナ、パラレル人事の開始
執行役員の責務を終えたタイミングで新規事業を行いたいことは、以前より経営に伝え、了承を得ていました。しかし、新型コロナの影響が大きく、新規事業に突っ込む予算が消滅したことで、自分のキャリアを改めて考えるようになりました。
コロナで大変な状況にある会社をすぐに辞めるということは当然できないですし、メンバーの雇用を守る必要があります。50人いた本部メンバーの約半数を営業職に異動させ、自身も人事を管掌しながら営業数字を持つことにしました。
ある程度コロナ禍での事業運営に組織が慣れてきたころ、これからのキャリアを考えて代表に相談し、正社員としての籍は残しつつ、外部へのチャレンジをすることを認めてもらいました。パラレル人事活動のスタートです。複数社の人事顧問をしながら、ネオキャリアの社長室や人事の遊撃隊としてヒヤリハットが起きる時にはフォローを行う、このような複数のわらじを履くキャリアが始まりました。
転職をしたことがない僕にとって、新しい会社で業務することは新鮮でした。不安がなかったと言えばウソになりますが、迎えてくれた会社全て、本当に良いメンバーがそろっていて、ジョインした会社すべてを「自社」と思えるようになりました。
ネオキャリアとは違う文化、事業、職種、制度、ステージ、の中で自身の経験、能力、視座を磨くことができました。関わらせていただいたすべての会社の皆さんに感謝です。
■38歳:早稲田ビジネススクール(MBA)へ入学
新卒で入社して以来、24時前に帰宅する方が稀だった自分にとって、コロナの影響で夜に時間が生まれたことは衝撃でした。テレビを見ながら夕食を見ていると自分が退化している感覚に襲われ、これはマズいと思いました。速攻でグロービスや英会話に申し込み、今までできなかった勉強を始めたところ、学習にハマりました。
しばらくこのような時代が続くと考え、出張が多い時代には絶対に無理だと思っていたMBAの取得を決意しました。いくつかの候補の中から選んだ早稲田ビジネススクールは非常に刺激的であると同時に、20年ぶりの学生生活は青春を思い出させてくれました。利害関係のない仲間と肩を並べて学習し、語り合い、飲み明かしました。学習コンテンツ以上に学友から学ぶことの方が多く、卒業後にも、会う人にはすべて、WBSへの入学を勧めているほどです(笑)
■39歳:ネオキャリア退職&独立
パラレル人事としての経験も1年半が経った頃、やはり自分で事業がしたいと思うようになりました。顧問先企業の経営者は皆さん素敵であり、学生時代にホリエモンに影響を受けて起業したいと思っていた気持ちが蘇りました。人事という仕事も大好きですが、自分のキャリアの目指す像は、CHROではなくCEOであると強く覚悟ができました。
新卒入社して17年、ずっと上司として、アニキとして支え、成長させてくれた西澤社長には感謝しかありません。一番最初に退職と独立の話をして、応援していただきました。退職後も様々な面で相談に乗ってもらっています。僕の尊敬する経営者の一人です。
■40歳:軸足の模索、会社の解散、リスタート
30代、人事業務に勤しみながらずっと人に向き合ってきました。その中で気づいた違和感や自分自身が感じていた痛みを解決したいという思いを持って起業したものの、具体的な解決方法はなかったので、最初は人事コンサル業と人材エージェント業からスタートしました。そして、日々、様々な経営者の方にヒアリングをさせていただき、ニーズの奥にあるインサイトを探る一年を過ごしました。
素敵な出会いもあり、Co-founderとしてもう1社会社を作りました。結果として、その人材とはお別れをし、もう1社は解散することにしました。仲が悪くなったわけではないですが、少しの価値観の違いを話し合うために時間を大きく取られることがお互いのストレスを積もらせました。スピードが必要なタイミングで時間がかかることは最善ではないという思いで話し合った結果、別々の道に進もうという結論に至りました。
価値観の違い以外にも会社運営するうえで色んな壁にぶつかりました。諸先輩方やアントレ専門の長谷川先生にも起業にあたってのしくじりポイントは嫌というほど聞いていたのに、大体やってしまいましたね(笑)まあ経験から学ぶタイプなのですべてが財産ですね。良い経験ができた創業1期目でした。
現在は、これまた数多くのサポーターやパートナーに支えられて生きています。ようやくミッションにつながるプロダクトやサービスのイメージが固まってきたので、24年はPoCを繰り返す一年にしていきます。新たなメンバーのジョインもありますし、目指すビジョンに向かって邁進したいと思っています。
40代の目標と人生のゴールについて
メインテーマはこちらだったはずなのに、30代を書き連ねるとまあまあ長くなっていることに気づきました。ゴールをテーマにして同じくらいの分量を書きそうなので、別のnoteで書くことにします。年末年始の休暇中に思考を整理しながらアウトプットに励もうと思います。
しかし40歳って言っても何も変わらないですね。noteを書くにあたり、昔の写真を整理しましたが、過去の方が若かったという感覚が全然ありません。見た目もマインドも体力も衰えている気がしない。四十肩とか都市伝説じゃないのって思うくらい元気で、尿路結石の手術依頼、風邪すらひいたことがない健康体です。最近は日々のルーティンのセットや、筋力トレーニングもあって疲れることすらなくなりました。丈夫に産み育ててくれた両親に感謝ですね。
そんなわけで人生のベストを日々更新し続けることを誓いつつ、50歳になって40代を振り返る際には、30代の10倍は人生を味わい尽くしたと言えるように精進していきたいと思います。
楽しみです!40歳の堀内猛志に乞うご期待ください!