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誰かが遺してくれた写真
冒頭の写真は、私が大学生の頃のもの。ゼミの授業のあと、こうやって誰かの部屋に流れて鍋をやったり、誰かが車を出して海に行ったりと、かなり楽しい時間を過ごしました。
この写真は誰が撮ったのか、全く覚えていませんが、こうやって写真が残っていると、こんな仲間とこんな楽しい時間があったんだと思い出させてくれます。
写真は記憶を補強してくれる機能があります。記憶がなくなれば、その出来事自体がなくなってしまうのが人生なので、愛するひとや愛する時間を写真に残す行為は後々すごい働きをします。
自分が忘れてしまったことを、誰かが覚えていても、それが真実であるかどうかは実証出来ず、でもそれが真実として人生は進んでゆきます。しかし、写真があればその真実を検証したり、実証するのを助けてくれます。
私は学生時代、全く写真に興味が無かったので、誰かがこうやって写真に残してくれたことは、楽しかった時間を追体験することにもなり、豊かな気持ちになります。普段そんなに会えなくなった仲間と写真のなかで会えるのも素晴らしい体験です。
この写真1枚からも、色々想像することができます。誰が撮ったんだろう。男性、女性?誰か特定の仲間の姿を遺したかった気持ちもあったんだろうか。
私は大学を卒業する少し前、初めてカメラを買いました。日米野球で野茂が凱旋するというので、慌てて買いに行きました。機械オンチなので、富士フィルムのAPSカメラです。それ以前に海外旅行では使い捨てカメラを使っていましたが、フィルムを交換するカメラを使ったのは初めてでした。
それ以降、ゼミの仲間と吞んだり、旅行する際にこのカメラを使っていました。でもそれは年に数回程度で、きちんとしたポートレートを撮ったり、風景を撮ったりする意味や必要性もなく、写真は趣味にすらなっていませんでした。みんなが集まったときに、記念に撮るもの、という程度でした。
それが25歳のころ、心斎橋のカメラのナニワでニコンのFM2を買ってから、少しずつ変わってゆきます。操作がよくわからないなりに、愛するひとや時間を遺そうと撮るようになったのです。
そしてずっと覚えていたいことや、逆に忘れてしまってもいいくらいのことを、残された写真が記憶を補強するのです。
写っている人達や撮った本人が死んで、記憶もろとも消滅しても、写真はその事実や豊かな時間を遺し、伝えていきます。
私はその25歳くらいまでは、ほかの誰かに撮ってもらい、写真を頂くことが圧倒的に多かったですが、それ以降は差し上げる側に少しだけまわれていることを嬉しく思っています。そして写真やネガフィルムを残していると、ちょっとした記憶の番人を気取ることもできますね。