写真と絵を往還する。
30年ぶりに絵を描き始めて1週間ほどになる。
少しずつ鉛筆が手に馴染むようになってきた。
眼と手と脳の連携が良くなってきた。
そして疲れにくくなってきた。
そして改めて思う。
紙と鉛筆があればすぐに作業に取り組めるなんて、
なんて簡単で素早いんだと。
私の場合、写真はカメラとフィルムを用意し、しかるべき場所に移動し、
ポートレートを撮るなら被写体を探し、交渉し、ようやく撮影できる。
そしてフィルムを現像に出し、出来たら取りに行き、暗室作業に取り掛かる。
モノクロは暗室作業を自宅でやるので準備に30分、そしてようやくプリント作業へ。
数時間プリントしたら今度は後片付け。30分ほど。
印画紙の種類によっては工程が増える。
カラー写真をプリントする場合はレンタル暗室を利用している。
移動に1時間。
このように写真はカメラのシャッターを押せば写ると思いがちだが、作品や依頼仕事の写真を仕上げるまでにかなりの工程を経て、かなりの時間と労力をかける。
いまは落書き帳に好き放題にスケッチしているだけなのでそう感じるだけかもしれない。
水彩や他の道具を使っていけば準備や後片付けも大変になるだろう。
版画や彫刻もしかり。大変だろう。
まだまだ序の口なので写真と比べて新鮮に感じることが多い。
そして絵を描く時には当然ながら対象をじっくりと観る。
写真を撮るときもじっくりと観るが、私の場合はどちらかと言えば暗室でプリントしているとき、仕上げの段階に最も良く観ているかもしれない。
やはり写真も撮る前にもっとじっくり観る必要があると改めて感じている。
毎日少しずつ絵を描いていってどうなるかは解らないけど、毎日自分の手から何かが作り出されている充実感がある。そして開放感もある。自分の内面の何某かを外の世界に脱出させている開放感だ。精神衛生上にとても良いだろう。私は幼少時からこうやって自分をなんとか保ち、バランスを取り、世界と対峙していた。増え続ける孤独を埋めようとその都度絵を描き、凌いでいた。
写真もそうだが、ただ楽しくやればいいと思うけど、知らず知らずに思いの丈やこれまでの人生の来し方が漏れ出てゆく。それも楽しさのひとつだと私は思っている。
絵のモチーフは昔から野球に関するものが多い。高校まで10年やっていたのでそれなりに天国と地獄を観た。その振れ幅がそのままその後の人生とリンクし、解釈や想像の幅を拡げてくれる。
大学を卒業した後、5年ほど会社員をした。忙しすぎて何かを創り出すことはほとんどなかった。精神のバランスがずっと悪かったかもしれない。会社を辞める1年前にカメラの使い方を教わった。簡単に暗室も教わった。
これだ!と思った。
ようやく本来の自分を思い出したように感じた。
何かを作り、掃き出し続けるのが自分なのだと。
以来20年以上掃き出し続けてきた。今後もそうだろう。それが一番心地よいのだから仕方がない。
写真と絵の往還。
近年料理や畑も始めたので、自分のなかに様々な往還が今後観られることを楽しみにしている。自分が知らなかった自分にもたくさん会えるだろう。