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カフェで参考書を開いている女性を観て。

先日カフェに行った際、参考書を開いて一心不乱に勉強している女性に目が留まった。参考書には大きな文字で「臨床心理士」とある。
臨床心理士か。

どんな仕事内容なのかよくわからないし、精神科医との違いもよくわからない。でも、過去にその仕事に就いていた人をひとりだけ知っている。
大学の同級生で、卒業後に数年間、共に時間を過ごした女性だ。

参考書を開いていた女性を観て、当時のことを少し思い出した。

彼女は大学を卒業後、大学院に通った。
臨床心理士になるためには大学院で心理学を勉強する必要があるらしく、苦学して大学院に通っていた。

私が通った大学、学部から大学院に進学する者は少なく、私が知る限りわずか数人だった。そのわずか数人の中のひとりが彼女で、大教室での授業では決まって進学仲間と最前列で聴講していた。最後列で受けていた私はそんな彼女を遠目に観ていた。

長かった髪も随分短くなり、スカートをよく履いていた印象だったがそれもジーンズになっていた。卒業式もジーンズ姿で出席していた。

私と時間を過ごすようになったのは、彼女が臨床心理士として働き始めた頃だった。今はどうかわからないが、苦労して資格を取っても国家資格ではなく、給与も低かった。

職場ではまだ不慣れな患者の対応に苦慮していて、その様子を話してくれることもあったが、私も仕事が忙しく親身になって耳を傾ける余裕があまりなかった。そしてそのような仕事、世界に接点がなく、関心も薄かった。ただ、志高くその仕事に従事している様子は伝わってきた。それは素晴らしいことだと思った。


私が写真を始める直前に彼女とは疎遠になってしまったが、私が写真に興味を持ち始めた頃、雑誌をいくつか紹介してくれた。そのときはあまりピンと来なかったが、その数年後、それらの雑誌を紹介してくれた意味がわかった。その雑誌が、その情報が、将来の私に必要となることを彼女はわかっていたのだろう。

彼女とは聴く音楽や読む本のジャンルが全く異なっていたが、私のことを私以上にわかっていたのかもしれない。むしろ私が自分のことを解らなすぎたのかもしれない。

そのようなことは、それ以降にもあった。

写真を始めた頃、写真の「コア」な雑誌を読むよう、強く勧めてくれた女性がいた。当時の私は商業写真の世界で一日でも早く仕事がもらえるよう、現場での知識や技術を身に付けることに重きを置いていた。彼女が勧める写真作家の世界にはあまり関心がなく、余裕もなかった。

しかし数年後、彼女の部屋の本棚にあった写真雑誌の数々を図書館で熱心に読むようになった。彼女が勧めてくれた意味が、その時ようやくわかった。

私は写真に関する体系的な教育を受けていないため、過去にどういう作品があり、写真家がいたのか、全く知らなかった。目標にしていた雑誌で撮影させて頂いたり、著名人を撮らせて頂いたりと少し夢が叶った頃、写真に関する勉強が全く足りていないことを痛感した。足りていないどころか、ゼロだった。

多分このままでは長く写真を続けられないだろう。
危機感を持った私はその後、週に何回か写真美術館の図書館に通うことにした。過去10年くらい、主要な写真雑誌のバックナンバーに目を通し、そこで触れられている写真集を洗いざらい閲覧した。どれくらい通ったのか記憶にないが、焦りもあり、狂気の沙汰でもあったと思う。無料で勉強させて頂けたのも助かった。

そして写真展にもたくさん足を運び、活躍していた写真家との酒席に背伸びして参加させて頂いた。そうやって自分の進むべき立ち位置を見極めようと必死の毎日だった。


そんな方向に、私には何が必要でどこへ向かっていくのがベターなのか、彼女たちは解っていたのだろうか。今となっては解らないけど、多分出会った意味のひとつにはなるだろう。

私はいつも遅い。
いつも随分後になって、その言葉の意味を知ることになる。
すぐにそのアドバイスや助言の意味を理解できず、その度に彼女たちはがっかりしただろう。随分時間が経って、私もがっかりすることになる。毎度のことだ。

私もいい歳だから、せめてこのタイムラグを短くしていきたい。
成長したねと、たまには褒められたい。


随分長くなってしまったけど、カフェで観た参考書からの、私の個人的なささやかな話でした。





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