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独立心旺盛な喜多方商人 〜喜多方ワーケーション日記 ♯2〜


壮大なる “オール喜多方”

1790年創業の大和川酒造さんは地酒という概念から一歩先へ進んだ〝郷酒″という概念にこだわっている。
お話しを聞いたのは 現在9代目 佐藤 弥右衛門(さとう やうえもん)さんの息子さんであり現在の社長でもある佐藤雅一さん。

大和川酒造の大きな特徴は、自社で米づくりを行なっていること。
地元雇用の蔵人が田植えから乾燥、精米、製造、販売までを行い、原料用水は飯豊山(いいでさん)から流れ出る伏流水を使用している。
喜多方の米、喜多方の水、そして喜多方の人で酒を造っている〝オール喜多方″の地酒だ。
これを雅一さんは〝郷酒″と呼んでいるのだ。

さらにスケールの大きい話を聞いて驚いた。
雅一さんのお父さんである弥右衛門さんは酒造りの現場から離れ、“木こり”になっているという話をきいた。

うん?えーと。。。 

今回伺ったのは、酒造りメインの蔵「飯豊蔵」
まちの中心地にある「北方風土館」は、歴史の見学や試飲ができる観光スポットとして人気だ。

聞くところによるとこうらしい。
弥右衛門さんは東日本大震災の経験をきっかけに、自分達でコントロール出来ない原子力に頼るのはやめて、再生可能エネルギーへの転換を図るべきだと決心した。
そして地元・福島県会津の自然を活用した新しい電力構想を進め、2013年に会津電力を設立した。

ここまで聞いただけで何という行動力なんだと内心思った。
その行動力を掻き立てるぐらい、震災の影響は多大なものだったんだろう。

会津には季節を問わず豊富な食料と水、木々がある。
厳しい冬を迎える盆地だからこそ食料の自給には固執していたが、エネルギーの自給については国や企業に依存していた。原発事故をきっかけにそのことにようやく気づいた。

巨大なダムを要する水力発電を減らし、太陽光発電や地熱、森林資源を利用した木質バイオマス発電などの持続可能な再生可能エネルギーへ転換をすること。そして、今まで電力会社に奪われていた大きなエネルギーの余剰を売却すれば、国の交付金を得ずとも会津の自治が可能だと考えているそうだ。

この話をきっかけに後々見学に行くことになった雄国地区の山にあるソーラーパネルの姿は圧巻だった。
この太陽光発電をさらに展開するために弥右衛門さんは“木こり”になったんだと。。。(この時点では冗談かと思った)

一旦酒づくりに話を戻すと、この酒づくりにおける電力さえも近いうちにはこの会津電力のエネルギーで賄い、自給自足、正真正銘の〝オール喜多方″を目指しているそうだ。

ここまでくると、大和川酒造の酒を飲むということは、「喜多方を飲む」と言っても過言ではないだろう。

「酒造りは微生物相手、掃除が八割です」と佐藤雅一さん
現代の設備のおかげで、この広大な酒蔵で働いているのはわずか5人(昔は15人ほど)ときいて驚いた

この話を踏まえて現場を見学させてもらい、菌によって生きている米を見ると余計に感じるものがあった。
一粒一粒、一滴一滴が喜多方なんだなぁと。

大きなタンクを覗き込むと、ふつふつと生きた菌を感じることがでできた

そんな風に見入っていると、「このお酒は今夜の会(交流会という名の楽しい飲みの席だったのだが笑)で出ますよ」と雅一社長。「あ〜そうなのね〜、後でねー」という想いで、もう既にここのお米に対しては親近感増し増しだった笑。

いやぁ、まさか酒蔵さんを訪れてここまで地域の自立を目の当たりにするとは思わなかった。

ラベルには「大和川ファーム栽培山田錦100%使用」
奥で腕を組んでいるのは雅一社長。自信作をありがたく、そして楽しく頂いた。

ラーメンのまち、ではなく「蔵のまち」

初日だけでも喜多方の気質や商人の想い、自立心にかなり刺激を受けたがこれだけではなかった。
次は老舗煎餅屋さんが蔵宿泊施設を開業したという話だ。
またまたこれは、いったいどういうことだ笑

喜多方はラーメンのまち、ではなく「蔵のまち」だと言ってもいい。
人口約4.2万人に対し、蔵の数は4千棟あまりが現存しており、その数は日本一だ。(固定資産台帳を基にした数字らしいので、かなり正確だと思う)

埼玉県川越市、岡山県倉敷市と並び「日本三大蔵のまち」といわれている。
理由はいくつかあるようだ。

喜多方は米や麦、大豆の育成に適した気候と飯豊山系からの良質な水に恵まれた土地ならではの酒や味噌、醤油などの醸造業が栄えた。それらの産業には温度や湿度が一定に保たれやすい蔵が最適であり、重要な役目を果たしてきたといえる。

また、男たちの一つのステータスとして、「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」とまでいわれ、自分の蔵を建てることが情熱をかけた誇りの対象でもあったことで蔵が数多く生まれるに至ったと言われている。

まだある。
明治十三年に市の中心部を巻き込み約三百棟の家々を焼き尽くした大火事が起きた。そのとき、くすぶりながらも厳然と残ったのがまぎれもない蔵の姿だったとし、蔵の建築がさらに進んだ。蔵を誇りとして、蔵とともに喜多方の生活は今日まである。

決して観光目的で作られた蔵ではないので、毅然とした姿で凛々しくも自然な風景として喜多方のまちの景観として溶け込んでいる。

重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)である、小田付(おたづき)通り

蔵の前置きはここまでにして、古くから喜多方の人々の暮らしや商いに深く根付いてきた蔵を宿泊施設として開業させたのが、創業から120年余の老舗である炭火本手焼 山中煎餅本舗だ。

代表である渡部ひとみさんは「蔵を身近に感じられる存在にしたい」という想いから一念発起し、移転先の店舗と同じ敷地内にある蔵を改装、蔵一棟貸しのプライベート宿 MARUTOKO(まるとこ)を開業したばかりである。
本当に伺った翌日に開業という日で、真新しくも歴史を感じる趣と現代のインテリアが融合した空間を見学させてもらった。

一階はワークショップもできることを想定した広い空間となっていた

同敷地内の店舗にも伺い、昔ながらの煎餅焼きの体験もさせてもらった。
これが意外と僕の子供心をくすぐった。

焼く前の煎餅はペラペラの硬いガムみたいな(失礼。。)ものだったが、
これを七輪の上でテンポ良く一定のリズムで裏返していくと、途端にブワッと勢いよく大きくなるのだ。(思わず声がでるほどの!)

これが何とも言えない感動というのは大袈裟か、驚きというか、一種の小学生の頃の実験のような体験で小学生の様な言葉で言うと「すごく楽しかったです!」と言うしかないぐらい楽しかった笑
これは体験してみないとわからないので、是非体験してほしいし、日本人でも外国人でも絶対にうけると思った。

喜多方はほぼ会津エリアの中心的な場所に位置している。
渡部さんは、ここを宿泊拠点として会津周辺の観光を楽しんで欲しいという想い、また休眠状態にある市内の蔵を活用した宿泊施設を増やしたいという想いもあり、これからも喜多方の魅力を見つめ直し、国内外に積極的にアピールしていきたいという。

「休眠状態」と言う言葉が出てきたが、喜多方の顔である蔵をまだまだ活かしきれていない、醸造貯蓄であった蔵自体の在り方をまさしく醸成させていく必要があると言う課題があることを知ったのだった。

#3へつづく

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