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丁寧に生きる

気持ちのいい朝。おはようございます。

このnoteでは旅の記憶を綴っていくと書いたように記憶しているけど、「雑記もまたいいではないか」と思い始めたので旅に加えて日々の雑記もお届けすることにした。

うちにはネコが白いのと黒いのと二匹いるのだけど、毎朝4時半に黒い方の「むーちゃん」に起こされる。決まって4時半に僕の耳元で「飯くれにゃー」と鳴くもんだからたまったもんじゃない。愛してやまない愛ネコに対してもあの瞬間だけは「まじでやめて」と思わずにはいられない。

あまりにも「朝4時半耳元飯くれにゃー」が毎日続くのでどうしたもんかと思っていた。僕は毎朝できれば6時に起きたいんだけど、4時半に一度飯くれにゃーと起こされ、飯の用意をして(1分とかからないのだが)、また布団に入って「よし6時まであと1時間半ほど寝れる」と思うのだけど、そんな日はたいてい目が覚めたら9時を過ぎる。

「あー寝坊だ、、、また時間を無駄にしてしまった。。。」と後悔する日々が続くもんだから、どうしたらこの「朝4時半耳元飯くれにゃー問題」を解決できるかなと考えあぐねていたんだけど、解決策はなんてことない簡単なものだった。

僕が4時半に起きればいいんだ。

たったこれだけのことだった。そしてそれは早速今朝実行されたんだけど、なんと清々しい朝だろう。今は朝の6時半。僕はこの文章を書いている。4時半に気持ちよく起きるためには、僕の場合、睡眠時間が7時間必要なため、21時半には床に就くことになる。昨晩はなんやかやで22時半に布団に入ったのだけど意外と気持ちよく4時半に目が覚めた。

感覚としてはむーちゃんの「朝4時半耳元飯くれにゃー」の2秒前に目覚ましが鳴り、「はーよく寝た」と思った瞬間「朝4時半耳元飯くれにゃー」がやってきた。今日は僕の勝ちだ。

コロナが始まってから多くの人が自分の生活、人生、生き方を再確認していると思う。例に漏れず僕もそうなんだけど、目下僕の目標は「丁寧に生きる」だ。それがどんなことを意味するのかはまだまだ模索中ではあるけれど、朝4時半に起きるのもきっと丁寧に生きることに繋がっているような気がする。

4時半に目を覚まし、むーちゃんに丁寧に朝飯をやり、花ちゃん(白いほう)を丁寧に撫でて朝の挨拶をし、寝ている妻の両ほっぺを丁寧につまみ(熟睡している)、ホットコーヒーを丁寧に淹れる。コーヒーを丁寧に淹れるというのがどういうことかはよく分からないけど、それなりに丁寧に淹れる。

二人分のコーヒーを淹れ(妻は10時頃に起きてくるので当然コーヒーは冷めるけど気にしない)、昨日友達にもらった男性ファッション誌を丁寧に読みながら(写真のお勉強)丁寧に煎れたコーヒーを丁寧に飲む。その時点でまだ5時台。なんて丁寧な朝だ。

丁寧に文字を綴る僕の横では猫による丁寧な殺し合いに似た取っ組み合いが繰り広げられているけど気にしない。いつものことだ。

朝からこれだけたくさんのことをしたのにまだ7時にもなっていない。それだけでワクワクしてくる。今日はどんな一日にしよう。やりたいことは山ほどある。ひとつひとつ丁寧にやっていこうと思う。

サポートしてもらえるなんて、こんな嬉しいことはない。