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筋トレで人生が好転した人のストーリー

初めまして。こちらのページをご覧頂き有難う御座います。

株式会社WORKOUTLIFEの米田武史(ヨネダタケシ)です。

僕の今までの人生を振り返り、皆様にご紹介したいと思います。

現在、パーソナルジムを5店舗経営していて、現役のパーソナルトレーナーでもある僕が今までどんな人生を歩んできたか、長くなりますが読んで頂けたら嬉しいです。


生まれてから幼稚園時代まで


1987年1月6日。ポーランドのワルシャワで誕生。
僕は、日本人の父とポーランド人の母を持つハーフとして生まれました。
兄弟は、歳が一つ上の兄と、歳の離れた姉がいて、3人兄弟の末っ子。

貿易の仕事をしていた父は、海外に出張に行く機会が良くあり、
ポーランドに長期出張に行っていた時期に現地で母と出会ったそう。
(平たく言えば、日本人の父が、出張中にポーランド人女性をナンパしたんですね笑)

生まれてすぐ日本に帰国して最初に住んだ場所は埼玉の川口でした。
(小さい頃なので全く記憶にはないですが笑)

川口に住んでいた頃
段ボールの米田という字がじわります笑

その後、さいたま市に引っ越し、幼稚園時代を過ごします。

なんでもかんでも、窓から物を投げるイタズラ坊主だったようで、近隣住民に迷惑をかける可能性を危惧した父は、住居の条件を低層階に限定していたそうです。笑

程なくして、再び父の仕事の都合でロシアへの長期出張となり、家族一同引越すことに。この時は、日本を離れるのが嫌で死ぬほど駄々をこねた記憶があります。笑

小学校時代6年間


半ば強制的に連れられてきたロシアは、僕にとって全くの別世界でした。
雪が降り凍えるような寒さ、聞いたことのない言語が飛び交い、
ここで暮らしていくのかと絶望。

ロシアの方って、本当に銀のボトルにウォッカを入れて持ち歩いているんですね。タクシーの運転手が普通に胸ポケットから取り出して飲んでいたんですけど、冷静に考えると普通に飲酒運転。笑

そんなワイルドなロシア生活が始まることになったわけですが…

ロシアでの小学校生活は、「モスクワ日本人学校」という
現地に住む日本人が通う学校で始まることに。

ロシアに住む日本人の数は少ない為、学校全体の生徒数は多く
なかったです。学年によっては1学年10人前後しかいなかった事もあり、
学年や年齢の隔てはなく、生徒同士の絆やつながりは特別深かったように
思います。

小学校4年生の頃
手に鳩が止まった奇跡的な瞬間

小学校時代はとにかく体を動かす事が好きで、空き時間さえあれば外で
サッカーしたりしていました。というか、家に帰ってテレビをつけてもロシア語しか聞こえてこないから、外で遊ぶしかなかったんです笑

言語については、日本人学校に通っていた事もあり、満足に外国語が話せるようにはなれませんでしたが、なんだかんだ外国人の友達もたくさん出来たんですよね。

片言の英語とロシア語と身振り手振りを駆使して、どんな国の子供とも仲良く遊んでいました。

あれほど嫌がっていたロシアでの生活は、意外にも充実しとても楽しい思い出として残りました。

そんな、ロシア生活は小学校6年間で終わることとなります。

6年生の時に、父の仕事の都合で再び日本に帰国することが決まり、
嬉しくもあり寂しくもあり複雑な感情でしたが、懐かしい故郷に帰る事が
とにかく楽しみでした。

中学校3年間

日本に帰国後、地元の中学校に入学。

当時、僕みたいな「ハーフ」は日本では一般的ではなく、
好奇な目線をひしひしと感じた記憶があります。

ジロジロ見られることはしょっちゅう、
見知らぬ人から勝手につけられたあだ名は"マイケル"

「THE外国人」っていうイメージのあだ名で今となっては笑ってしまうんですが、当時の僕は結構それが嫌だったんですよね。

海外にいた頃には感じたことのなかった感情で、
初めて人の目を気にするという感覚を知る事になります。

それほど、日本の他と違う個性に対して向ける視線は厳しく感じました。

部活はスラムダンクの影響でバスケ部に入部。
あの漫画のかっこいいイメージとは程遠く、鬼のような監督に死ぬほど
走らされ、初めて運動で吐きました。笑

部活づけの毎日でしたが、代わりに勉強の方はからっきし。
特に数学が苦手で、嫌いな授業はまぶたが重くなって寝てしまう、
なんて状態。

体育を除いて大体の勉強は嫌いでした笑

そんな中学校生活でしたが、中学3年生の頃から心境に大きな変化があり
学校をサボるようになっていきます。

給食の時間に学校に登校して、1時限だけ授業を受けて彼女と帰るという
堕落したよくわかんないルーティンに突入することになります笑
(たまに朝から行く日もありましたよ!別に偉くない笑)

この頃から、頭をついて離れない疑問があったんですよね。
何で義務教育って、興味もない分野を学ばなければいけないんだろう、と。

全員同じ格好(制服)をして、全員同じ内容の勉強をして、
どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴のような学校生活は、
僕にとってとても苦痛でした。

そんな状態からクラスでは孤立するようになります。

やりたい事は決まらないまま、高校進学を進められてなんとなく志望校を
検討する事になるが、ろくに勉強をしなかったこともあり、

「いける学校ある?」

みたいな状態でした。

この頃の唯一の取り柄は、もうとにかくモテたことですかね。笑

学校から帰ろうと歩いていると、校舎の窓から知らない女子生徒が
手を振っているなんて事もあるぐらいでした。

人生最高のモテ期だったんじゃないかと思います。

卒業式の日
ボタンが全部なくなって満面の笑み
眉毛がなさすぎですねw


高校入学からスピード退学


何とか入学した高校は、埼玉県では有名な不良が集まる学校。

偏差値40ありませんでした笑
(これ、本当に嘘なんじゃないかと思われる話なんですけど、入試試験の英語のテストがアルファベットのAからZまで書けたら合格だったんです笑)

トイレでタバコは当たり前。
休み時間に喧嘩が勃発して割れたガラスにポタポタと落ちる血痕。
単車で校内に乗り込んでくる生徒。

今思えば、現代版クルーズなんじゃないかと錯覚するほどで。

特に目標もないまま入学した高校が続くはずもなく、半年ほどで自主退学。

というか、周りが凄すぎて良い意味で引きました笑
ここは僕の居場所ではないなと。

やりたいことがわからなくなり2年間のフリーター生活


退学後、地元の仲間たちとつるんで生産性のない日々を過ごす。
改造した原付で走り回り、行き着く先は大体ゲーセンか友達の家。

そういうグループで過ごしていると、結構すぐトラブルに発展するんですよね。何か気に入らない事があるとすぐ騒動に。

ゲーセンの裏でタイマン張ったり、なんて事も。
(タイマンという言葉がもう死語ですよね笑)

バイトはやっては辞め、やっては辞め、で何をやっても長続きしませんでした。

そんな私のバイト遍歴は、、、

〜米田のバイト遍歴〜
・建設現場で鉄筋工
・荷揚げ屋
・引越屋
・ガソリンスタンド
・酒屋
・精肉店
・弁当の配達
・不二家(可愛い女の子いるかなーという不純な志望動機)
・居酒屋(これが最後にやったバイトで1番長く続く)

そんな自堕落な生活にもようやく終わりがきます。
きっかけはボクシングとの出会い。

当時、兄がやっていたボクシングに興味を持ち、自分も何か夢中になれる事が欲しいなと思い、軽い気持ちで試合観戦に行ったのですが…

リングで戦うボクサーの姿に完全に魅了されたんですよね。

翌日、速攻でボクシングジムに入会していました。
思い立つと行動が早いんです。

その日からは、バイトとボクシング漬けの生活が始まります。
来る日も来る日もサンドバッグを叩き、スパーリングで打ちのめされる毎日。

僕が少し抜けている部分があるのは、殴られすぎたからかもしれません。笑

その当時のトレーナーさんが面倒見の良かった方で、
高校中退した僕に何度も言うんですよね。

コーチ
「米田、本当に高校行かなくていいのか?」
「お前、このままだと将来の選択肢が限られる事をわかってんのか?」
と。

今考えると本当に感謝ですよね。

決心した僕はすぐに中退した人でも通えるような高校がないか、探し始めることになります。

2回目の高校入学


無事に試験に合格して、通い始めた高校は昼間に通う単位制の学校。
3年間で規定の単位数を取得したら卒業、という大学みたいなシステムの
高校ですね。

特に部活にも入らずに、高校→ボクシング→バイトが僕のルーティンでした。

ジムには週5で通い、本格的にスパーリングもやっていたのですが、
一度日本ランカー(日本国内TOP10位の実力)とスパーリングをやった時に右ストレートを顔面にもらって鼻を骨折したんですよね。

それがもうめちゃめちゃ痛くて…
お陰様で今でも僕の鼻は湾曲しています笑

ボクシングは結構ガチでやっていたので、プロのライセンスまで
取ったのですが、結局卒業する前の年で辞めてしまいました。

理由は、日本チャンピオンがバイトと掛け持ちでやっている姿を見て、

「自分は、そこまでボクシングに人生を捧げる覚悟があるだろうか…」

そう、躊躇してしまったんですよね。

高校3年目からは、学校と居酒屋のバイトだけの生活。ここからは厳しい
ボクシング漬けの生活から解放されて、完全に遊びのリミッターが外れる事になります。

ひたすら飲み歩いて遊んでましたね。
いつもその瞬間瞬間を生きるタイプでして。

そんなふわふわした生活も、進路を決める時期に差し掛かると焦りへと変わります。

夏休みの宿題を後回しにする小学生と同じ思考回路だった僕は、
実は、卒業前年の夏頃まで進路について全く考えていなかったんです。

「どうせ仕事するならたくさん稼ぎたいなぁ」

なんていう動機から、
高額な商品を売ったらたくさんお金もらえるんじゃないかっていう
幼稚な発想で不動産業界に興味を持つ事になります。

ただ、問題なのは一度高校を中退している奴を雇ってくれる会社があるのか、と不安になったんですよね。

そこで、資格があったら同等に扱ってもらえるかもしれないと思い、
見つけた資格が国家資格の「宅地建物取引士」でした。

毎年1回だけ行われる試験が10月にあり、勉強を始めたのが7月。
試験まで残された時間は、たった3ヶ月間。

合格率が15%程度で結構難しい試験なのですが、

もうやるしかない!

と、そこからは猛勉強。1日最低5時間は勉強をしていたと思います。

スイッチが入ると異様な集中力とやる気を発揮できるのが僕の特徴で、
自分が必要だと納得した物事に対しては頑張る意欲が湧くんです。

ところが、不運なことに8月にバイク事故に遭い脚を骨折して
まさかの入院生活。(完全に自業自得)

終わったって思いましたよね。試験10月でしたからね。

手術後の安静期間などもあり、半月ほど勉強すらもできないまま、
10月の試験日を迎えたのですが…

なんと受かったんですよね。それも50点中43点獲得で。
(これ、わかる人には伝わると思いますが結構すごい点数です笑)

「何だ!おれ、超頭良いじゃん!」
とかめっちゃ調子に乗りました笑

いくつか面接を受けた中で、ボロボロの経歴にも関わらず
資格試験の合格のエピソードが響いたのかなんと内定を獲得。

晴れて社会人となり不動産の営業マンとしての日々が
スタートすることになります。

社会人生活「不動産の営業マン」


入社した会社は、当時でも社員が150名ほどいた業界では
中堅的な位置付けの不動産仲介会社でした。

超がつくほどの実力主義の営業会社で、電話営業から
飛び込み営業やポスティングなど本当になんでもやりました。

毎月の売上ノルマのプレッシャーは大きく、成果が出なければ自身の居場所はなく社長から電話で怒鳴られるなんて事もしょっちゅうでした笑

また、連続して売上を達成しない社員は、全体会議で全社員が見ている前で
給料手渡しとかいう見せしめもあったほどです。

今、そんな会社はないんじゃないかと思いますけど。笑

そんな会社に3年半もいて形成された僕の仕事の価値観は

結果を出さないと生きていけない。数字・結果が全て。

という事。

完全に実力・成果主義の価値観が刻まれた期間でした。

一度だけ単月で全社員1位の売上成績を取って表彰を受けた事があったんですけど、本当に感動しました。結果を出せばこんなに賞賛されるのか、と。

成果主義ってはっきりしていて気持ちいいんですよね。白黒ついて。

勤め始めてから3年ほど経った頃、他業界にも興味を持つようになり、
転職活動を始める事になります。

初めての転職「法人営業にチャレンジ」

次に入社した会社はITの法人営業。

ITは疎いし、特別IT業界が良いという理由があったわけではないんですが、
仕事の経験の幅を増やして、将来の選択肢を増やしたかったのが
1番の理由でした。

個人営業と法人営業を両方経験すれば、将来仕事の選択肢が
広がるんじゃないかと思ったんですよね。

ただ、ここで弊害になったのが個人営業の時の価値観。

個人営業は自身に裁量権があり、成果の全ては自身の手柄、という価値観。

一方、法人営業は上司の指示を受けながらチームで行動、という価値観。
「取れた案件の手柄は誰のもの?自身の貢献度の測定は?」
みたいな部分に疑問を感じ、自分の存在がどの程度会社にインパクトを残せているのか、わからなくなりました。

その結果、日に日にモチベーションを失っていくことになります。

自分が、組織に対してどの程度貢献出来ているのかが全くわからなかったんですよね。

実際に、サービスを使って満足している人の顔が見えないのも、大きな要因の1つだったのかもしれません。

結局、たった1年で辞めてしまったんです。
これは自分でも想像していなかった史上最悪のミスマッチでした。
(上司の村山さん、たくさんご迷惑をおかけしました><)

再び不動産業界に

不動産業界の経験を使って高給を目指そうと決め、大手不動産会社で
新築のマンション販売に努める事になります。

価格帯はどんなに安くても6,000万円以上。
お客様の属性は、大手企業の役職付きの方や、経営者の方ばかり。
たまに現金で一括で買います、みたいな謎の富豪が来たり。

そういう人に限っておっしゃるお決まりのセリフが、

「ええ、まあ手広くやってまして」

謎の金持ちが言うセリフ大体これです、ほんと笑

元々いた業界ですし、うまくやっていく自信はあったんですけど、
働いていく内に、日に日に感じる「これじゃない感」

最初に務めた不動産会社で感じたやりがいや楽しさは消失し、
この仕事に情熱を持てない事がわかり、1年で退職する事に。

この頃の写真

人生最大のどん底


この時期から、やりたいことがわからなくなり抜け殻のようになりました。

自分の居場所や情熱を燃やす手段がわからなくなり、
生きている意味すらわからなくなりました。

自分の事を好きになれないまま、何も行動できず引きこもり、
1人自分自身と向き合う日々。
食生活は崩れ、体はどんどん痩せ細りました。

ストレスから食べては吐いて、食べては吐いて、の繰り返しで
完全に精神的な病を発症していました。

176cmで51kgしかなかった病的に細かった身体

この時に感じたのが、ココロとカラダは繋がっている、ということ。
不思議ですが、ココロが弱ると、カラダもどんどん弱っていきました。

本当に遠回りしてばかりの人生ですよね。
何か状況を変えたい。新しい事を学びたい。自分の居場所を探したい。

そんな想いから、バイトしながらオンライン大学に通う事に。
新しい知識と向上心溢れる人に出会えば、

何か道が開けるかもしれない、
刺激がもらえるかもしれない

そう思ったんです。

初めて経営学を学び、多くの意識の高い学生とリアルで交流する機会もあり、とても有意義な期間でしたが、1年で自主的に退学する事になります。

やりたい事ができたんですよね。
それが現在の本業となるパーソナルトレーナーです。

コンプレックスの自覚〜トレーナーを目指す


実はこの時期から、自身の体型にコンプレックスを持ち始めます。
ストレスで崩れた食生活が原因で痩せ細った自分のカラダが嫌いで、
自分自身を好きになれずにいました。

そんな時に、ふと見ていたYoutubeにイケメンマッチョがトレーニングしている動画が流れてきてめちゃめちゃカッコいいなと憧れたんです。
(フィットネス業界では有名なカネキンさん)

フィジークという大会の存在を知り、

「自分でも出来るかな…」
と興味を持ち始めます。

そして、ある日から決心したようにトレーニングに夢中になるんです。
絶対フィジークの大会に出れるようになるぐらいマッチョになろう、と。
(突然スイッチが入ったように何かに熱中するのは、もうお馴染みのパターンです笑)

そう、僕は自己実現のベクトルを身体作りに向けたんです。
なりたい自分になれたら自信がついて自分を好きになれるかもしれない
って思ったんですよね。

僕が筋トレを始めた事の本質的な動機は
「自信をつけて自分の事を好きになりたい」
っていう事だったんです。
(パーソナルジムに通う方、ダイエットをしたい方、きっと多くは同じ動機なのではないでしょうか)

そこからは、毎日ジムに行って筋トレする日々が始まります。
全て独学で勉強しました。

Youtubeや本を読んでインプットした事をジムに行って試し、
インプットとアウトプットの繰り返し。

答え合わせができるような先生はいなかったので、

自分の身体の見た目と数値の変化を確認し、今実践していることがゴールに向かっているのか、ひたすら効果検証を続けました。

本当はこのタイミングですぐにトレーナーになりたかったのですが、実績もなくただただ身体が細い奴を雇ってくれる会社はどこにもなく…

面接に落ちまくります。というよりも応募してもほぼ返信返ってこなかったですね。
(結果にコミット!で有名なジムにも応募しましたが、敢え無く撃沈)

仕方なく始めた仕事がカイロプラクティック。(骨盤矯正をする整体院)
仕方なくなんて言ったら怒られますが笑

この仕事を選んだ理由は、身体の仕組み(解剖学)を学ぶ機会になり、それがトレーニング指導に活かせると思った事。

また、将来的にトレーナーになった時に、トレーニング指導と身体のケアを両面から見れると強みになるだろうなと思ったんですよね。

未経験の僕に一から施術の知識を教えてくれた先生方には
本当に感謝しています。

カイロプラクター時代
それっぽい格好してますね笑

2年間勤めて、身体の歪みの矯正・ほぐし・ストレッチの技術まで習得する頃には、少しずつ自身の身体も変わっていき、念願のフィジークの大会に
初出場して入賞する事になります。

NPCJフィジーク6位入賞

ここでパーソナルトレーナーへの転職にもう一度挑戦。

というよりも絶対受かるだろ、と思って臨みました。

営業職で鍛えた対人スキルに、整体の仕事で解剖学に熟知していて、
コンテストでも入賞経験があって、落ちる要素ないだろ、と
なんだか自信満々でした笑

お陰様で内定を獲得出来たわけなのですが、
トレーナーになるまでは本当に長く、
僕にとっては2年越しに叶った夢だったんです。

パーソナルトレーナー人生スタート

2017年7月〜
当時、業界2番手の大手パーソナルジムに入社しました。
入社後1ヶ月ほどの研修期間を終えた後に配属された店舗は、地元の大宮店。

オープンして間もない店舗で、これから新規集客をして
軌道に乗せていくところでした。

業務に慣れてから初めて頂いたお客様からのご指名。
今でもそのお客様の事をよく覚えています。

結婚式を控えた20代の女性。
痩せてどんどん綺麗になっていく姿に、トレーナーとして少しでも貢献
出来ているのかと思うと本当にやりがいで胸がいっぱいになりました。

このお客さまの接客体験がスイッチが入ったキッカケとなりました。

もっとお客様に貢献したい、
もっとお客様にトレーニングの良さを知ってほしい、

と全力でセッションを積み重ねていった結果…

500名のトレーナーがいる会社で、
年間最多の指名契約を獲得する事になります、

年間最多の指名契約を獲得

加えて、物販の記録でも突出した成果を出していました。
全社員年間販売数2位になり、また、当時月間300個のサプリメント販売を達成した事もあるのですが、これは今でも破られていない記録だそうです。

サプリの平均単価が8,000円ほどだったのですが、それを300個となると
サプリだけで月に240万円売り上げていた事になるわけですが、
そう考えると本当にコスパの良い社員だったのではないでしょうか。笑

パーソナルトレーナーでありながら、気持ちは営業マンでもありました。

良いものをいかにお客様に伝わるように話せるか
営業職時代に培った経験から
プレゼン能力に長けていたんだと思います。

また、マインド面でもそうでした。
営業マン時代に、結果を出さないと生きていけない環境だった事から、
自分の中では"結果にこだわる事が当たり前"だったんです。

毎日「誰にも負けない」「1番以外は許せない」
そういう気持ちで働いていました。

ところが、そんな結果を出しても他の社員と給料があまり
変わらなかったんですよね。

あぁ、このままここで頑張っても一生このままなのかな、と
思う内にモチベーションが激減。
(この会社が成果報酬型の給与を取れ入れていたとしたら、ここでのキャリアアップを目指したかもしれません)

そこから一気に転職を意識し始めます。

この頃の写真
2回目のコンテスト出場


リアルワークアウトとの出会い

2018年12月〜
転職を検討してから2ヶ月ほど…
知人からの紹介でリアルワークアウトと出会う事になります。

当時、五反田の1Rマンションに本社があり、面接で訪問してみると
ダンボールで積み上がった中に所狭しと机が並べられ…

一瞬ここ大丈夫かなと不安に。笑

そこで、めちゃくちゃでかい人(高田大輝さん)とめちゃくちゃ細い人(現CEO土屋さん)に面接してもらったのですが、第一印象は筋肉と知性の融合といった感じでしょうか。あとは、戸愚呂兄弟を思い出しました。笑 
これは怒られますね笑

高田さんを知らない方はこちらでわかる方もいるかもしれません。
世界仰天ニュースにも出演したMr.炊飯器です。

2021年2月9日放送


特に共感したのは長期継続型ボディメイクをコンセプトとした
顧客志向を持ったパーソナルジムだった事。

当時、業界としては短期集中ダイエットによる弊害が注目されていた時だったので、運動習慣の形成自体をサポートするのは良いミッションだと思ったんです。

後は、フィーリングでした。
なんかここで頑張っても良いかなって思えたんですよね。

2019年3月〜
恵比寿店の店長として、業務開始。
すぐに店舗運営を立て直し、半年ほどで全店舗で1位の売上出すまでに
成績を伸ばしていきました。

ところが、実は…
この時点で僕にとっては結構マンネリだったんです。

店舗の運営で成果を出すことはもちろん素晴らしいことだと思うんですけど、新しい業務がまったくないんですよね。毎日同じことの繰り返し。

2019年7月
最後のコンテスト出場
5位入賞
4年間の体型の変化
コンプレックスからの卒業。ベクトルは自己実現に。

現状を変えなければ収入も変わるはずがありません。

もっと稼ぎたい、もっと業務の幅を広げたい。
また、リスクを取らなければリターンは得られない事に、
この時期にはもう気づいていました。

そんな事を考えていた時に、フランチャイズの加盟制度が新設される事に。それを知った僕はすぐさま立候補しました。

2019年11月〜
入社して8ヶ月後には会社を退職して個人事業主となり
フランチャイズで恵比寿店の経営をスタートさせる事となります。

2020年1月〜
翌年の1月には2店舗目を目黒に出店。

既存の恵比寿店は他のTRに運営を任せた状態で、目黒のメインTRは僕が担当をする事に。面白いようにお客様が集まり、入会率も100%に近い状態で
推移していき、止まらない勢いに仕事が楽しくて仕方ありませんでした。

そんな時に事件が起こります。

コロナウィルスの脅威


誰も予想しなかった出来事だったと思います。
コロナウィルスが原因で発動された緊急事態宣言。

店舗経営者は軒並み大打撃。
当時はなかなか現実を受け入れられず苦悩する毎日でした。
このままお店が潰れるのかな、と考えた時期もあったり。

とにかくハゲそうなほどストレスを感じる毎日でした。

そんな中、通い続けてくれたお客様の顔は本当に忘れる事が出来ません。
感謝の想いでいっぱいです。

紆余曲折ありながらも、徐々に売上が安定していき、おかげさまであれから2店舗さらに出店をする事が出来、合計4店舗まで拡大する事が出来ました。

ずっと通い続けてくださるお客様に本当に感謝です。

現在地

2022年1月〜

今年のテーマは自己投資と新規事業立ち上げのチャレンジをする事です。

新規事業の一つ目のチャレンジとしては、ストレッチジムを新しく立ち上げる事となりました。既存のパーソナルジムと提携する事で、低価格で高品質なサービスの提供を実現しました。

2022年9月

パーソナルジム5店舗目を駒沢大学にオープン。

今後は、今ある店舗の満足度を高めながら、フィットネスを通して、一般の方の自己実現をサポートしていきたいと思っております。

これは、ボク自身が、自分のコンプレックスで苦しんだ実体験がトレーナー活動をやっている根源の想いなんです。
フィットネスを通して、自分のカラダが変わることで得られる成功体験を感じてもらうことが、ボクのやりがいなんですよね。

人生の振り返りと自己分析

ここまでノートを書いてきて、意外に多くの気づきがありました。
人生の棚卸し、というんでしょうか。

振り返って自己分析をしてみると、

一度夢中になった事にはとことん一点集中で突っ走る。
突っ走っている最中は、他のことは全く見えなくなる。

好きな事と嫌いな事がはっきりしている。

成長意欲が強く、理想と現実のギャップにいつも苦しんでいるタイプ。
その理想と現実のギャップの乖離が大きくなった時に
モチベーションダウンがやってくる。

それは、

僕にとっては成長が必要な時期が来たことを知らせるサイン

なんです。

「今のままでいいのか?」
って自分自身の心がアラートを出すんです。
僕に取っては一時的に心を病むような感覚。

「俺はこんなもんじゃない、もっとやれる」
いつもそう思ってます。

これからも挑戦を止めずに走り続けたいです。

最後に


自分を変えたくて
自分を好きになりたくて

始めた筋トレが
ここまで人生を大きく変えてくれました。

自分に自信を持つことで人生が
好転していくことを実感しました。


筋トレは
自信をつける為の手段の一つでしかありません。

身体を鍛える事だけが人生の全てではありません。

ある人にとっては、自信をつける為の手段が

資格を取ることかもしれないし
語学の習得かもしれないし
新しいスキルを身につける事かもしれないし
仕事で昇進することかもしれないし

それは人によって様々なのです。

ただ、一つ言えるのは
筋トレが持つパワーは凄いっていう事です。

自分自身をコントロールして、
自分とした約束を守り、
継続して結果を出すまでの過程が
自己実現そのものなんです。

筋トレは手っ取り早く成功体験を積む事が出来る
誰にでも出来る魅力的な自己実現の手段なんです。

こんな方にはぜひチャレンジしてみて欲しいです。

・特に趣味がなく生活に張り合いがない
・自分に自信が持てない
・身体的なコンプレックスを改善したい
・メンタルを強くしたい
・異性からモテるようになりたい
・痩せて綺麗になりたい

上記以外のどんな理由でもいいと思います。
きっとあなたの人生を好転させてくれるはずです。

長くなりましたが、ここまで読んで頂き有難う御座いました。
読んでくださった全ての人が健康で幸せでありますように。

あなたの挑戦を待ってます☺︎
体脂肪を最速で落とす専門家
米田 武史

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