
毎週一帖源氏物語 第五十週 東屋
毎週一帖のペースで『源氏物語』を読んでみようと思い立って約一年、ようやくゴールが見えてきた。
東屋巻のあらすじ
守〔常陸介〕は、今の北の方が故宮とのあいだにもうけた姫君を他人扱いしている。守が頼りにならないので、母君は独力で姫君の婿を探さなければならない。弁の尼より中納言の意向は知らされているが、本気で心を掛けてもらえるとも思えず、左近の少将に姫君を許すことに決める。ところが、守の財力を当てにしていた少将は、姫君が守の実子でないことを知って立腹する。仲人は言葉巧みに守を説き伏せて、まだ幼い守の娘と少将との縁談をまとめる。あろうことか、御方のために整えた用意をそのまま取り上げて迎え入れることにしたため、御方は西の対の北面(きたおもて)に追いやられる。
母君はこの扱いを不憫に思い、方違えを口実に、兵部卿の宮の御方に身を置かせてもらうように取り計らう。西の廂の北側があてがわれる。宮の立派な姿を覗き見て、そのまばゆさに圧倒された母君は、わが娘のためにも高貴な方に縁づけたいと望むようになる。翌日、二条の院に参上した中に例の少将が混じっていたが、宮の前では何の見栄えもしない。そんな少将を立派な人物だと思っていた見る目のなさを、母君は恥じる。后の宮の見舞いに参上した兵部卿の宮と入れ替わるように、大将が二条の院を訪れる。母君は大将の挙措にも感銘を受ける。
守に催促されて母君が自邸に帰ろうとしたところを、内裏から帰参した宮に見咎められる。翌日の夕刻、宮は西廂に見慣れぬ美しい人がいるのを見つけ、袖をとらえて離そうとしない。そこへ大宮の病を伝える使者が届いたため、宮はやむを得ず内裏に戻る。動揺を隠せない姫君だが、対の上は絵などを見せつつあれこれと語らって慰める。乳母から注進を受けた母君は、またも物忌を口実に姫君を引き取り、三条の小家に移す。
秋深い頃、大将は宇治の御堂を見に行く。弁の尼のもとにも立ち寄り、かの三条の小家の一件を知ると、そこを訪れるよう弁の尼を説き伏せる。弁の尼が来訪したその夜、大将は尼に用があるように装って小家に車を入れさせる。南廂に席が用意され、遣戸(やりど)で隔てをしたものの、「いかがしたまひけむ、入りたまひぬ」(337頁)。翌朝、大将は女君を車に乗せて、宇治へ連れて行く。女二の宮の手前、三条の宮に迎え入れることは憚られ、しばらくは宇治に隠しておくつもりである。はにかんでばかりいるのが物足りないが、「教へつつも見てむ」(344頁)と思い直す。女君が東国育ちであることをふまえて東琴を勧め、さらに連想して「楚王(そわう)の台(たい)の上の夜の琴(きん)の声」(345頁)と唱えるが、その前の句が不吉であったことに思い至る。弁の尼からは、心変わりをさりげなく詠みかけられる。
町人貴族
常陸介は東国暮らしが長く、受領として財を蓄えたが貴人の嗜みには欠けている。京に戻ってからは、財力にものを言わせて娘にあれこれ習わせるが、その様子は傍目には滑稽に映る。
琴(こと)、琵琶(びは)の師とて、内教坊(ないけうばう)のわたりより迎へ取りつつ習はす。手ひとつ弾き取れば、師を立ち居(ゐ)をがみてよろこび、禄(ろく)を取らすること、埋(うづ)むばかりにてもて騒ぐ。〔……〕かかることどもを、母君はすこしもののゆゑ知りて、いと見苦しと思へば、〔……〕
娘が一曲弾けただけで常陸介は大騒ぎするが、心得のある母君は鼻白む思いでそれを眺めている。調度類も、よいものは愛娘・浮舟のために取り置いて、劣ったものを「これなむよき」(272頁)と言いくるめて常陸介につかませるが、本人はそれをありがたがっている有様だ。モリエールの『町人貴族』を思わせる。
仲人が常陸介と少将のあいだを行き来して、話を膨らませて縁談をまとめ上げるところも、狂言のようなおかしみがある。総じて、東屋巻の序盤には笑わせ所が多い。
理想の姫君に育て上げるという欲望
浮舟は田舎育ちという点が玉鬘と似ていると先週の記事で書いたが、玉鬘はその割には嗜みが深かった。浮舟はまだまだ足りないところが多く、薫はあれこれ仕込もうと考える。その発想は、若紫を一人前に育てようとした源氏と同じである。血はつながっていないのに、そういうところは受け継いでいるのが面白い。
催馬楽「東屋」
巻名歌は
さしとむるむぐらやしげき東屋(あづまや)の
あまりほどふる雨そそぎかな
である。雨降りの夜、薫が三条の小家に忍んで来たときに詠んだ歌である。これは催馬楽「東屋」をふまえている。総角のときと同じように、平凡社東洋文庫の『催馬楽』で確認してみよう。
あづまや(吾妻屋)の まや(馬屋)のあまりの そのあま(雨)そそき
われ(我)た(立)ちぬ(濡)れぬ とのど(殿戸)ひら(開)かせ
かすがひ(鎹)も と(鎖)ざしもあらばこそ そのとのど(殿戸) われ(我)さ(閉)さめ
お(押)しひら(開)いてきませ われ(我)やひとづま(他妻)
解説によると、この催馬楽は男女の掛け合いになっている。男が「わたしは濡れて佇んでいます。戸を開けてください」と頼むと、女が「遠慮なく押し開いてどうぞ。わたしがひと妻とでもいうのですか」と応じる。浮舟が東国育ちであることと隠れ家に十分なしつらえもないことが、「東屋」に響いている。雨が降っている状況も符合する。巻名歌ではそれ以上のことは語られていないが、催馬楽の後半によって、浮舟が「わたしは匂宮の妻ではないので、どうぞお入りください」と返事をさせられたことになっている。見事なものだ。
不吉な予感
大君への思いを別の形で遂げた薫だが、このまま順風満帆に事が進むとは思えない。早くも不吉な予感が漂っている。宇治に連れ出された浮舟は、九月なのに夏用の白い扇を持っている。それだけなら別にどうと言うこともないが、薫が口ずさんだ『和漢朗詠集』の一句がよくなかった。
班女(はんぢよ)が閨(ねや)の中(うち)の秋(あき)の扇(あふぎ)の色
楚王(そわう)の台(うてな)の上(うへ)の夜(よる)の琴(きん)の声(こゑ)
薫が唱えたのは後半だけで、琴を弾いたことからの連想である。しかし、前半は班婕妤(はんしょうよ)が讒言によって漢の成帝の寵を失ったことを、夏扇が秋になって捨てられることになぞらえて嘆いた故事をふまえる。薫はすぐにそのことに思い至り、「あやしくも言いつるかな」(345頁)と反省するのだ。浮舟も班女のように捨てられてしまうのか。
宇治十帖の碑、訪ね歩き(六)東屋
東屋観音と彼方神社は目と鼻の先である。つまり、東屋の碑は椎本の碑のすぐ近くにある。宇治橋が下流側に拡張されたとき、東屋観音の前を通る府道が少し北にずれて、東屋観音もそれに合わせて移された。


地元住民にとって、東屋観音は地蔵盆と結びついている。京都以外の地域ではあまり見られない風習で、本来的にはお地蔵さんへの信仰が形を取ったものであろうが、夏の終わりに行われるお祭りのようなものである。子供たちの楽しみは、何と言っても福引きである。
東屋観音の裏手を南北に走る道の一角に空き地があって、そこにテントが設営される。地蔵盆の本部のような場所である。川東に住む子供たちには福引きの引換券が前もって渡されていて、当日はくじを引くことができる。景品の渡し方には一工夫あって、それがワクワク感を高めるのだ。通り向かいの民家の二階の窓から本部に向かって、ロープが一本渡される。そのロープを伝って、かごに入れられた景品がつつーっとすべるように下ろされる。あれは一体何だろう? 自分の手許に届くまでのわずかなあいだにも、想像がふくらむ。自分がもらった景品が何だったかはもう思い出せないが、景品が下ろされるあの光景は今でも心に残っている。