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毎週一帖源氏物語 第三十四週 若菜上

  いよいよ第二部である。若菜上と若菜下は、その分量に圧倒される。しかし、読むのに意外と手間を取られないのは、物語の世界に引き込まれているからだろう。

若菜上巻のあらすじ

 朱雀院は病に悩まされ、出家の決意を固める。しかし、まだ十三、四歳と若くて後ろ盾のない女三の宮の行く末が心配でならない。婿として誰がふさわしいかをめぐって、乳母たちと意見を交わす。中納言〔夕霧〕、兵部卿の宮、藤大納言、右衛門の督〔柏木〕などが俎上に載せられるが、朱雀院の気持ちは六条の院に傾いている。それを後押ししたのが春宮で、朱雀院は意を強くする。左中弁を介してその意向を六条の院に伝えるが、承諾は得られない。ただし、関心がないわけでもなさそうだ。
 年の暮れに、太政大臣を腰結にして女三の宮の裳着が行われる。中宮からは「かの昔の御髪上(みぐしあげ)の具」(35頁)に手を加えたものが贈られる。中宮入内の折に朱雀院が賜ったものが戻ってきたことになる。裳着の儀の三日後、朱雀院は出家する。
 しばらくして、朱雀院の体調が少しよくなった頃合いに、源氏が見舞いに訪れる。朱雀院は遠回しに、内親王に目をかけてくれそうな人を選んでほしいと頼みつつ、権中納言が独り身でいた時分を逃してしまったことを悔いてみせる。その先をはっきりと言い出せない朱雀院の心中を推し量って、源氏は女三の宮の後見を引き受ける。
 やむを得ない決断ではあったが、六条の院は紫の上がこのことをどう思うかと悩む。翌日になってようやく事情を話して聞かせるが、紫の上は冷静さを保っている。しかし、内心の苦悩は深く、それを表さないだけである。
 年が改まって正月二十三日の子の日、源氏の四十の賀が盛大に催される。正式な宴に先立って、左大将の北の方〔尚侍の君、玉鬘〕が若菜を献上する。見た目はまだ若々しいが、源氏は老いを感じる。
 「きさらぎの十余日に、朱雀院の姫宮、六条の院へわたりたまふ」(53頁)。居室は寝殿の西にしつらえられる。源氏は作法に則って三夜続けて姫宮のもとへ通うが、姫宮が幼いのに飽き足らず、紫の上が健気にふるまっているのもいたわしいと思う。紫の上は寝つけない。その様子を女房たちに気取られぬよう、身じろぎもしない。そして夜明け前の一番鶏の声を聞く。一方の源氏は、夢に紫の上を見る。驚いて目を覚ますと、鶏の音が聞こえたので、そそくさと帰る。
 朱雀院はその月のうちに西山の御寺に移り、〔朧月夜〕尚侍は二条の宮に退出する。源氏は昔を思い起こし、「あるまじきこととはおぼしながら」(68頁)、密会を果たす。
 桐壺の御方は、夏頃に懐妊の兆しが見えたため、六条の院に退出する。部屋は寝殿の東に整えられる。紫の上は、この折に女三の宮に対面する。
 神無月に、紫の上は嵯峨野の御堂で源氏の四十の賀を執り行う。精進落としの賀宴は、二条の院で催される。師走には、中宮も六条の院の自らの町で御賀を営む。さらに、帝の命によって、中納言は右大将に昇り、丑寅の町で賀宴を催す。
 また年が改まり、桐壺の御方は「弥生の十余日のほどに」(97頁)男御子を産む。源氏をはじめ、人々の喜びはひとかたではない。
 明石の入道は、すべての願いが叶ったと思い、遺書をしたためて山奥にこもる。遺書には入道が見た夢のことが書かれていて、娘の御方も自分の宿縁に合点が行く。女御も涙に暮れる。源氏もまたこの文を読み、事情を了解する。
 大将は、姫宮に仕える女房や童女が軽薄なことを厳しい目で眺めている。衛門の督は、この姫宮への未練を断ち切れていない。のどかな春の一日、六条の院に若い公達が集まって蹴鞠に興じる。大将と衛門の督がひと息ついて寝殿中央の階段に坐っていると、寝殿西側で飼われている唐猫が別の猫に追われて走り出し、唐猫につけられていた綱が引っかかったせいで御簾のうちが丸見えになる。夕暮れどきとはいえ、大将も衛門の督も女宮を見てしまう。なまじその姿を垣間見たばかりに、衛門の督の懊悩は深まる。乳母子の小侍従に文を託すが、そこに蹴鞠の折の垣間見のことがほのめかされていたため、女宮は顔を赤らめる。かねてより源氏から大将に顔を見られないように注意せよと諭されていたので、源氏を憚る気持ちが強い。衛門の督への返書は、小侍従が代筆する。

なぜ女三の宮の婿として源氏は他の公達より好ましいと判断されたのか?

 藤裏葉巻で大団円を迎えたかに見える物語が、この若菜上巻とともに不穏な空気を漂わせ始める。そのきっかけは、朱雀院の女三の宮の婿選びである。朱雀院は乳母たちと婿候補の品定めを行い、源氏が最もふさわしいという結論に至る。その理由は、主に三つあるように思われる。
 第一に、源氏の血筋が高貴で地位が高いことが挙げられる。帝位に即いたことのある朱雀院の娘の相手として、身分の低い者はふさわしくない。「大納言の朝臣の家司(いへづかさ)」(28頁)では、上下の差がありすぎる。夕霧(中納言)や柏木(右衛門の督)なら血筋として問題はないが、官位がまだ低い(「まだ年いと若くて、むげに軽(かろ)びたるほどなり」(29頁))。五年後であれば事情が違ったであろうが、女三の宮が年少のうちに婿取りの話が持ち上がったせいで、彼らは候補から脱落する。
 第二に、幼かった紫の上を育て上げた実績が源氏にはある。「六条の大殿(おとど)の、式部卿の親王(みこ)の女(むすめ)生(お)ほし立てけむやうに、この宮をあづかりてはぐくまむ人もがな」(20頁)という朱雀院の言葉は、親代わりの役目を婿に期待していることの現れである。実際、源氏の目を通してではあるが、若紫は立派に育て上げられたのに対して、女三の宮は幼さが目立っており、教育者としての手腕は源氏が朱雀院を圧倒している。
 第三に、一度でも関係を持った女君を源氏が見捨てないことが評価されている。「院は、あやしきまで御心長く、仮にても見そめたまへる人は、御心とまりたるをも、またさしも深からざりけるをも、かたがたにつけて尋ね取りたまひつつ」(23頁)とある通りである。気が多いことは不安材料ではあるが、面倒見のよさは浮気性を補って余りあると考えられている。
 こうして見ると、これまでの源氏の生き様すべてが朱雀院の判断に影響している。さらに、これは朱雀院の与り知らぬところながら、女三の宮の母が藤壺中宮の異母妹であることは(「この皇女(みこ)の御母女御こそは、かの宮の御はらからにものしたまひけめ」(34頁))、源氏の関心を惹くのに十分だった。物語の流れからすると、必然的な展開と言ってよいだろう。
 ところで、女三の宮と源氏が三親等であることは、朱雀院には妨げとならなかった。先週の記事で、私はいとこ同士の四親等ならよいが三親等の結婚はまずかろうと記したが、この時代にあっては禁忌ではなかったようだ。

春宮の後押し

 朱雀院の決意を固めさせたのは、春宮の意見である。

春宮にも、かかることども聞こしめして、「〔……〕人柄よろしとても、ただ人(びと)は限りあるを、なほしかおぼし立つことならば、かの六条の院にこそ、親ざまにゆづりきこえさせたまはめ」となむ、わざとの御消息(せうそこ)とはあらねど、御けしきありけるを、〔……〕

若菜上、31-32頁

 人柄がよくても、所詮臣下は臣下であって、女三の宮を嫁がせるのであれば、親代わりとなる源氏に託すのがよい、というのだ。意見として筋は通っているし、これは朱雀院の本心にも合致する。しかし、春宮はこの年の二月に元服したばかりの十三歳である。帝王学を授けられたとはいえ、この歳でそのような大人びた判断ができるものだろうか。

朱雀院と源氏の駆け引き

 朱雀院としては、女三の宮の婿は源氏を措いて他にないと考えている。源氏との対面を望んだのは、直談判のためである。そのことは、源氏も分かっていただろう。しかし、会見の趣旨をお互いに了解していながらも、それをどうやって切り出すかは難しい。朱雀院はかなり回りくどい頼み方をする。

かたはらいたきゆづりなれど、このいはけなき内親王(ないしんわう)ひとり、取り分きてはぐくみおぼして、さるべきよすがをも、御心におぼし定めてあづけたまへ、と聞こえまほしきを、権中納言などのひとりものしつるほどに、進み寄るべくこそありけれ。

若菜上、41頁

 女三の宮の面倒をしっかり見てくれそうな方を源氏の判断で決めたうえで、その方に預けてくださいとお願いしたいところなのですが、権中納言(夕霧)が独身のときに申し出るべきでした――何という回りくどさであろうか。まず、「婿にふさわしいのはあなただ」とは言わない。「そういう人をあなたに選んでほしい」という頼み方をする。しかも、はっきりとも頼んでいない。「そう頼みたいところだが(聞こえまほしき)」という婉曲語法が用いられている。さらに、夕霧の独身時代を逃したと述べることで、有力候補だった夕霧を除外している。
 すでに左中弁から話を聞かされている源氏は、「婿になってください」という兄の心の声をはっきりと聞いたであろう。「かたじけなくとも、深き心にて後見(うしろみ)きこえさせはべらむ」(同、41-42頁)と答えるしかない。

紫の上の苦悩

 源氏は大勢の女君と関係を持っているが、その頂点に君臨しているのは紫の上である。女三の宮の降嫁によって、その地位が脅かされる。明石の上は源氏の子をなしたが、当人の身分は高くない。だから自分のほうが立場は上だと思うことができた。ところが、女三の宮が相手だとそうは行かない。紫の上にとって、自分より身分が上の内親王が源氏の正室に収まる事態は青天の霹靂だっただろう。実際、「かく空より出で来にたるやうなること」(45頁)と書かれている。
 源氏が朱雀院の頼みを断り切れなかった事情は理解できるので、紫の上は悩んでいる様子を見せまいとする(「をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人(よひと)に漏り聞こえじ」(同))。実にけなげである。
 紫の上の苦悩は、源氏がいないところでは、さまざまな形で現れる。独り寝の夜にまどろむことができず、女房たちにその様子を悟られまいとして寝返りも打たない。一睡もできないまま、夜明け前の鶏鳴を聞くのだ(源氏が同じ鶏の声を聞いているのも心憎い描写である)。また、手習いには意識下の思いが滲み出ると見えて、物思いを詠んだ歌を書きつけていることに気づいた紫の上は「さらばわが身には思ふことありけり」(78頁)と驚く。極めつきは次の歌である。

身に近く秋や来(き)ぬらむ見るままに
  青葉の山もうつろひにけり

若菜上、79頁

 季節は夏である。しかし、自分の身には秋(飽き)が訪れたように思われる。源氏の愛に頼るしかない危うさが読み込まれている。

四十の賀の競演

 若菜上巻では、源氏の四十の賀が年初から年末まで数度にわたって執り行われる。正月二十三日(子の日)を皮切りに、十月に紫の上が、十二月に秋好む中宮と夕霧(実質的には帝)が、それぞれ賀宴を催している。この手の祝い事は一度きりと思っていたが、そうでもないらしい。
 このうち、正月の賀宴の位置づけがやや曖昧に感じられた。玉鬘が若菜を献上したのは、言うなればサプライズである。「かねてけしきも漏らしたまはで、いといたく忍びておぼしまうけたりければ、にはかにて、えいさめ返しきこえたまはず」(47頁)。不意打ちだったので、源氏も断れなかったのだ。それで何が分かりづらいかと言うと、「御土器(かはらけ)くだり、若菜の御羹(おほむあついもの)参る」(50頁)という一文につけられた頭注「お盃が皆に下され、若菜の羹を召し上がる。これからが正式の賀宴で、前のは玉鬘との内輪の祝い。」で混乱させられるのだ。その「正式の賀宴」の主催者は誰なのか。働きぶりからして、玉鬘(源氏の養女)とその夫(髭黒)であるように読める。玉鬘が取り仕切ったのであれば、正月なのだから若菜の献上は源氏にも予期できたのではないだろうか。

朧月夜との再会

 朱雀院が出家して、院の尚侍の朧月夜は里に下がる。源氏はこの機をとらえて、いけないことという自覚がありながら(二度にわたって「あるまじきこと」と源氏の内心が述べられている(68頁、80頁))、末摘花を見舞いに行くなどという見え透いた嘘までついて(紫の上にはお見通しだったが)、二十年ぶりに朧月夜と密会するのである。四十になっても、源氏の好き心は健在なのだ。朧月夜の魅力は、女三の宮への物足りなさを間接的に浮かび上がらせている。

明石の女御の若年出産

 春宮が年齢不相応に大人びているという話を上に記したが、成熟は精神面にとどまらない。肉体的にも春宮は大人であり、入内した明石の女御も同様である。何しろ、数え年十三歳で出産しているのだ。
 正確に計算してみよう。澪標巻で明石の上が姫君を産んだのは、源氏が二十九歳の年の三月十六日であった。この姫君が長じて皇子を産んだのは、源氏四十一歳の三月十余日である。現代風に言えば、満年齢十二歳になるかどうかというときに出産したことになる。つまり、小学校六年生の少女が子供を産んだのだ。その相手は二つ年上である。ありえないことではないのかもしれないが、ちょっとやりすぎではないか。

姿を見られないという配慮

 高貴な身分の女性は、他人に姿を見られてはならない。男の目に触れるということは、その男から言い寄られ、ついには契りを結ぶ(露骨に言えば、強姦される)ことにつながりかねない。
 源氏は自分が数多くの女君をものにしてきただけあって、この点には極めて敏感である。過去には、紫の上を息子の夕霧に見られないよう気をつけていた(野分巻)。その延長上に、女三の宮に対しても同じ教訓を授けていた。

「大将に見えたまふな。いはけなき御ありさまなめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」と、いましめきこえたまふをおぼし出づるに、〔……〕

若菜上、135頁

 夕霧は女三の宮の婿候補として検討されており、そのことは源氏も承知している。源氏としては、用心するのが当然だろう。しかし、たまに客としてやって来る程度の柏木は、警戒の対象ではなかった。そこに落とし穴があった。
 女三の宮の不用心さは、夕霧の視点を通して紫の上の慎重さと対比されている(「いと端近(はしぢか)なりつるありさまを、かつは軽々(かろがろ)しと思ふらむかし、いでや、こなたの御ありさまの、さはあるまじかめるものを、と思ふに」(129-130頁))。しかし、それだけではない。明石の上もまた、そうした配慮が行き届いているのである。わが娘の女御が六条の院の西北の町に里下がりしているとき、母の尼君(女御の祖母)が間近にいて無防備になっている場面がある。そこに来合わせた明石の上は、こう注意する。

「あな見苦しや。短き御几帳引き寄せてこそさぶらひたまはめ。風など騒がしくて、おのづからほころびの隙(ひま)もあらむに。〔……〕」など、なまかたはらいたく思ひたまへり。

若菜上、95頁

 こうして見ると、女三の宮だけが無防備なのである。間違いは、起こるべくして起こるのだ。

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