毎週一帖源氏物語 第四十八週 早蕨
本業で原稿の締切を抱えていて、今週は二、三日ずれ込むかと思った。そちらの目処が立ったので、こちらも何とか木曜に間に合わせることができた。
早蕨巻のあらすじ
春になっても、世の辛さを分かち合ってきた大君を失った中の君の悲しみは癒えない。阿闍梨からは例年通り初蕨が届けられるが、中の君はそれを見せる相手がいないことを嘆くばかりである。
年初の騒がしさが過ぎた頃、中納言は兵部卿の宮を訪れて大君の思い出を語る。宮は中の君を京に迎え入れる仕度を進めている。移転は二月初めと決まる。
中納言は、大君が中の君を自分の身代わりにと繰り返していたことを忘れずにいて、後悔を引きずりつつも、中の君のために実生活上の世話を焼く。
浮き立つ周囲をよそに、中の君は不安を抱えている。宇治の留守を預かることになった弁の尼だけが、同じように悲しみを忘れていない。
二月七日、中の君は二条の院に迎え入れられる。その丁重な扱いを見て、世人は中の君に寄せる宮の思いの強さに驚く。面白くないのは、右の大殿である。六の君を宮に奉るつもりでいたのに、これ見よがしに別の女君が輿入れしたからである。いっそのこと中納言にと画策するが、すげなく断られる。
花盛りの頃、中納言は二条の院を訪れて宮とあれこれ語らう。宮が内裏に参上する準備を整え始めたのを機に、中納言は西の対の御方のもとに挨拶に出向く。御方は感謝の気持ちを伝えたいと思いながらも、御簾の外に席を用意させる。出かける前に顔を出した宮は他人行儀な扱いを咎める一方で、心を許しすぎてもいけないと釘を刺す。
三角関係の予感
薫は世をはかなむ気持ちが強く、色めいたことにはあまり興味がなかった。しかし、宇治の八の宮の大君のゆかしさには惹かれるものがあった。その大君は自分ではなく妹の中の君を幸せにしてほしいと望んでいて、自らは身を引こうとした。薫はそれを承知せず、匂宮と中の君のあいだを取りもつことで大君のたくらみを無効化し、大君が自分になびくように事を運ぼうとした。しかし、匂宮の訪れが途絶えがちであることを苦にした大君は、病に伏して帰らぬ人となった。――ここまでが宇治十帖最初の三巻の概略である。
薫は大君を忘れてはいないが、中の君を匂宮に譲ったことを後悔している。たとえば、匂宮を相手に宇治の思い出を語っているとき、薫の想念は中の君のことに向かう。
大君の言う通りにしておけばよかったと、悔しさが込み上げてくるが、後の祭りである。と同時に、自分の心の動きを警戒してもいる。その辺りは薫らしい。中の君を前にしても、やはり同じ考えが頭をよぎる。
「くやし」や「かひなし」という語彙が先ほどと重なっている。つまり、後悔と諦念である。しかし、本当に諦めきれるものだろうか。匂宮は、自分の性分もあるが、その危険を本能的に察知している。だからこそ、軽口に紛れさせて牽制するのだ。
表向きは薫の献身ぶりを評価しながら、下心があるのではないかと警戒せずにはいられない。静かな緊張が走る。
みねのさわらび
下の写真にもあるように、宇治十帖の碑の前には説明板が置かれている。それぞれの巻のあらましとともに、巻名歌が掲げられている。子供の頃から何度となく目にしていても、物語の全体像を把握していないうちは内容が頭に入って来ない。その中にあって、「みねのさわらび」と「消えし蜻蛉」だけは最後の七音の響きが記憶に残っていた。
文脈を無視して、和歌を味わうことは難しい。早蕨の巻名歌も、誰が誰に向けて誰を思って詠んだのかをふまえてこそ、玩味できるというものだ。
詠み手は中の君である。宇治山の阿闍梨から初蕨が届けられ、添えられていた歌に対してこの歌で応じた。蕨の献上は八の宮存命中からの習慣で、宮亡き後もそれが続いている。つまり、歌に見える「亡き人」は中の君の父宮を指す。そして「たれにか見せむ」という反語で念頭に置かれているのは、姉の大君である。亡き父宮を思い出すよすがとなる早蕨を前にして、一緒に偲んで悲しみを分かち合う姉君すらもういなくなってしまった――そんな中の君の心情が歌われている。筐(かたみ=竹かご)に入れられた蕨という形見(かたみ)を中心に、宇治の人々の過去と現在が浮かび上がる。中身が分かってみると、いい歌だなとつくづく思う。
宇治十帖の碑、訪ね歩き(四)早蕨
早蕨の碑は、総角の碑から歩いて二、三分の場所にひっそりと佇んでいる。総角巻の次が早蕨巻という物語上の順番が、石碑の設置場所にも反映されているように感じられる。これまでそんな目で見たことは一度もなかったが、石の大きさまで巻の分量に比例している。立て札がなければ気づかずに通り過ぎてしまうくらい、早蕨の碑は目立たない。
『源氏物語』の順序としては総角巻の次が早蕨巻だが、神社に参拝する人は逆の順路を辿ることになる。一般的には、宇治川のほとり、朝霧橋のたもとから鳥居をくぐって宇治神社に参拝し、本殿の脇から出て宇治上神社に向かう。その途中で早蕨の碑を眺めて、宇治上神社にお参りしたあとで源氏物語ミュージアム方面に足を運ぶと、大吉山の入口で総角の碑に行き会う。
一説によると、八の宮の山荘は宇治神社と宇治上神社のあたりに比定されているらしい。だとすると、椎本、総角、早蕨の碑が川東に設置されているのもうなずける。