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毎週一帖源氏物語 第三十五週 若菜下

 パリ五輪は時差もあるからそれほど見ないのかなと思っていたが、生活リズムこそ変わらなかったものの、何だかんだでテレビを見ている時間が長かった。その分、『源氏物語』を読む時間が減った。

若菜下巻のあらすじ

 小侍従からの文が何とも味気なく思われて、衛門の督はせめてあの猫だけでも手に入れたいと願う。そこでまず春宮に唐猫の評判を吹き込み、姫宮から献上される頃合いを見計らって参上し、人になつかせると称して引き取る。
 兵部卿の宮は相変わらず独り身だったが、式部卿の宮のもとで育てられている真木柱の姫君の婿となる。しかし、亡き北の方とは違っていたため、通い方も頻繁ではない。
 その後、年月が流れて、帝は在位十八年にして春宮に譲位する。「六条の女御の御腹の一の宮、坊(ばう)にゐたまひぬ」(151頁)。太政大臣は致仕の表を出し、左大将は右大臣に、右大将は大納言になる。紫の上は出家の希望をもらすが、源氏は許さない。
 十月、源氏は住吉に詣でる。女御、対の上、明石の御方、尼君も同行する。その威勢は目を見張るばかりで、世人は明石の人々の幸運をうらやむ。あの近江の君などは、双六でよい賽の目が出るように「明石の尼君」と唱えるほどである。
 朱雀院は出家したものの、女三の宮のことだけが気がかりで、もう一度対面したいという希望を抱いている。その意向を伝え聞いた源氏は、翌年が朱雀院の五十の賀に当たるので、その機会に若菜を献上しようと思い立つ。朱雀院は宮の琴(きん)を楽しみにしているらしいので、源氏は熱心に指導に当たる。帝による御賀と立て続けになるのは不都合なので、六条の院による御賀は二月十余日と定められる。
 それに先立って、正月二十日頃に女楽(をんながく)が催される。明石の御方は琵琶、紫の上は和琴、女御は箏、宮は琴を、それぞれ奏する。皆の見事な演奏ぶりに、源氏は深く満足する。調弦のために呼ばれた大将も感心するが、とりわけ紫の上の嗜み深さに思慕の念を深める。
 翌日、源氏は紫の上としみじみ語り合う。上は今年が三十七歳なので、源氏は気をつけるように諭す一方で、かねてからの出家の願いは聞き入れない。話を逸らすように、源氏はこれまでに関わりをもった女君たちについて寸評を加える。源氏が宮のもとに去ったあと、対の上はわが身の不確かさを思ううちに、「夜ふけて大殿籠(おほとのごも)りぬる暁(あかつき)がたより、御胸をなやみたまふ」(194頁)。源氏はつきっきりで看病に当たる。御賀は繰り延べになる。試みに二条の院に移してみたものの、紫の上の病状は好転しない。源氏は六条の院から遠ざかる。
 衛門の督は中納言になっていた。小侍従を丸めこみ、四月十余日、御禊の前日で人々が忙しくしている隙を突いて、女三の宮のもとに近づく。衛門の督は大それたことはしないと、小侍従にも女三の宮にも請け合っていたにもかかわらず、自分を抑えることができなくなる。一線を越えた二人は、それぞれ源氏を恐れる。衛門の督は女三の宮への思いを募らせつつ、正妻の女二の宮を落ち葉になぞらえる歌を詠む。
 紫の上が絶息し、二条の院は大騒ぎになる。源氏が加持をさせた結果、もののけが出現する。その様子は、「ただ昔見たまひしもののけのさまと見えたり」(216頁)。人払いののち、もののけは源氏に語りかける。女楽のあと、「思ふどちの御物語のついでに、心よからず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いとうらめしく」(217頁)思われたあまり、このようなことになったのだと言う。源氏は死霊の成仏のため、修法を加えさせる。息を吹き返した紫の上はいよいよ出家を願うが、源氏は五戒を受けさせるにとどめる。六月になり、上は小康を得る。
 姫宮は、思いがけないことがあった翌月に、体の不調を訴えるようになる。源氏は二条から六条に見舞いに訪れ、懐妊を知る。かの人は分不相応にも姫宮に文を寄越し、思いを切々と訴える。小侍従が取り次いだその文を読んでいるとき、「院入りたまへば、えよくも隠したまはで、御茵(しとね)の下にさしはさみたまひつ」(228頁)。翌朝、源氏がその文に気づく。何気なく見ると、「まぎるべきかたなく、その人の手なりけりと見たまひつ」(230頁)。その様子を眺めていた小侍従は、まさかそんなことはあるまいと思おうとしたが、女三の宮を問いただしたところ、茵に挟んだまま忘れていたという。これには小侍従も呆れるしかない。女三の宮も、事情を伝え聞いたかの人も、源氏にすべてを知られたと知って恐れおののく。
 二条の尚侍が出家したため、源氏は文を交わし、尼の装束を贈る。
 朱雀院の御賀は、延び延びになる。十月には女二の宮の御賀が太政大臣の力添えで盛大に執り行われるが、女三の宮は身重で苦しがり、その月には催せない。朱雀院は女三の宮を案じて文を送り、それを見た源氏は女三の宮に返事を書かせる。源氏は説教のついでに、盛りを過ぎた年寄りを軽んじるなと自嘲気味に諭す。
 衛門の督は源氏に顔向けできずにいたが、十二月になって六条の院での試楽に呼ばれ、源氏と対面する。差し向かいで相対したときにはよく自重した源氏だったが、試楽のあとの宴で衛門の督の若さを諷する。さらに酒を強いられ、衛門の督は宴半ばで退出し、そのまま病に伏せる。
 御賀は十二月二十五日に行われた。

折り畳み

 女三の宮の乳母子である小侍従と柏木のあいだのやり取りは、若菜上巻の末尾から若菜下巻の冒頭へとそのまま続いている。ともに膨大な量を誇る二つの巻にはさまざまな場面が盛り込まれており、明確な切れ目で上下を分かつこともできたであろう。あえてそうしなかったことには、きっと作者の意図が込められている。それは何だろうか。
 『源氏物語』全五十四帖のなかで、巻が上下に分けられているのは若菜だけである。これまでも紅葉賀と花宴(秋と春)、葵と賢木(神事に縁のある草木)のように対に仕立てられた巻はあったが、若菜ではそれらよりも緊密なつながりが意識されているのだろう。若菜上下巻を通じての大きな主題は、ひとことでまとめれば、女三の宮の源氏への降嫁と柏木との密通であろう。物語が大きく動くには、柏木の横恋慕がなければならない。その焦燥の念が高まるところで、上下が切り離されている。いや、むしろ上下がつながれていると言うべきかもしれない。柏木が女三の宮に文を送っても直接の返事はもらえないという一連の流れは、若菜上巻と若菜下巻を接着するのりしろであり、この部分によって上下は折り畳まれている。

猫の鳴き声

 女三の宮が飼っている唐猫を、柏木は策を弄して手に入れる。その猫が「ねうねう」(144頁)と鳴くのを聞いて、柏木は積極的だなと苦笑する。頭注によると「猫の鳴き声の「ねう」を「寝む」(共寝しよう)の意に取りなして」(同)いるらしい。
 ここで気になるのは、「ねうねう」という表記が実際にはどのような音を表している(いた)かである。この歴史的仮名遣いは、現代仮名遣いに改めれば「にょうにょう」であろう。しかし、今の私たちが「にょうにょう」と声に出したときの音と、平安時代に「ねうねう」と書かれた文字が表していた音が同じとは限らない。実際の鳴き声はどのようなものだったのだろうか。

若菜は献上されず

 巻名になっている若菜だが、上巻で玉鬘が源氏の四十の賀で若菜を献じたのに対して、この下巻では献上は計画倒れに終わっている。朱雀院の五十の賀を正月に行うはずが、帝主催の御賀と重ならないように二月にずらした時点で、女三の宮による御賀で若菜が献上される可能性はなくなった。それでケチがついたわけでもあるまいが、御賀は延期に延期を重ねて、年の瀬になってようやく実現した。暗転した女三の宮の人生を象徴しているかのようだ。
 もとはと言えば、朱雀院が愛娘に会いたいと前年の冬に言い出したことが発端である。何の趣向もなく会うだけではまずかろうという源氏の判断(「ついでなくすさまじきさまにてやは、はひわたりたまふべき、何わざをしてか、御覧ぜさせたまふべきと、おぼしめぐらす」(164頁))で、翌春の五十の賀が計画された。十月の予定が先延ばしになったときは、女三の宮の体調不良が原因だった(「姫宮いたくなやみたまへば、また延びぬ」(245頁))。十二月に御賀が挙行されたときには、女三の宮のお腹はかなり大きくなっていたはずで、琴(きん)の演奏などとても無理だっただろう。上達ぶりを披露する機会もまた、失われた。

紫の上に降りかかる災厄

 紫の上は「今年は三十七にぞなりたまふ」(188頁)。それは女の厄年であり、藤壺が亡くなった年齢でもある。源氏の嫌な予感は的中し、紫の上はいったん絶息する。その災厄を招いたのは、源氏が六条御息所について語ったせいである。それほど悪口を言っていたようには聞こえないのだが、御息所はひどい言いようだと思ったらしく、死霊となって紫の上に取り憑く。紫の上にとっては、とんだ災難であった。
 源氏のもともとの邸宅である二条の院が紫の上の所有になっていたことも、用意周到な設定である。そのおかげで、紫の上は療養のために二条の院に移されたのであり、源氏は六条の院から遠ざかり、女三の宮と柏木の密通が起きた。すべてつながっている。

冷泉院の血統は絶える

 源氏の実子である冷泉院は、在位十八年で退位する。この院には後継ぎがいない。

六条の院は、おりゐたまひぬる冷泉院(れせいゐん)の、御嗣(つぎ)おはしまさぬを、飽(あ)かず御心のうちにおぼす。同じ筋なれど、思ひなやましき御ことならで過ぐしたまへるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世(すくせ)、くちをしくさうざうしくおぼせど、人にのたまひあはせぬことなれば、いぶせくなむ。

若菜下、151頁

 源氏と藤壺との密通は露見せずに済んだが、その見返りとして不義の子(冷泉院)の血統は絶える。源氏の男系の子孫が皇位を継承する可能性は、この設定によって排除された。

因果応報

 若い盛りの源氏は、父桐壺帝が寵愛する藤壺と密通し、その結果として冷泉院が生まれた。五十を前にした源氏は、正室となった女三の宮を柏木に寝取られる。何という因果であろうか。自分がしたことをされたのだから、怒りの矛先を女三の宮と柏木だけに向けるわけにはいかない。どうしても、わが身を振り返らざるをえない。源氏は二つの秘密を抱え込むことになる。それに耐えるのは、並大抵のことではなかっただろう。出家の願望は単なる見せかけではなかったと思われる。

とどめの一撃は何だったのか

 女三の宮との逢瀬の直後から、柏木は源氏を恐れている。合わせる顔がない。ずっと避けていたが、試楽に呼ばれて六条の院に参上せざるをえず、そこで源氏の皮肉を浴びて精神的に打撃を受ける。大きな流れは理解できるが、柏木にとってのとどめの一撃は何だったのだろう。詳しく見てみよう。

主人(あるじ)の院、「過ぐる齢(よはひ)に添へては、酔(ゑ)ひ泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門(ゑもん)の督(かみ)心とどめてほほゑまるる、いと心はづかしや。さりとも、今しばしならむ。さかさまに行(ゆ)かぬ年月(としつき)よ。老(おい)はえのがれぬわざなり」とて、うち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈(くん)じて、まことにここちもいとなやましければ、いみじきことも目もとまらぬここちする人をしも、さしわきて、空酔(そらゑ)いをしつつかくのたまふ。たはぶれのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃(さかづき)のめぐり来るも頭(かしら)いたくおぼゆれば、けしきばかりにてまぎらはすを、ご覧じとがめて、持たせながらたびたび強(し)ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。

若菜下、258-259頁

 源氏の言葉そのものは、客観的にはそれほど痛烈ではない。歳を取ると、酔って泣くのを止められない。若い柏木がにやにやしているので気が引けるが、時の流れには逆らえない。いずれ柏木もそうなる――そう言って一瞥をくれる。これで柏木は「胸つぶれて」しまうのだ。
 密通の事実を知ってから、源氏は何かにつけて自分の老いを意識し、抗おうとしている。女三の宮に説教を垂れる場面では、「さだ過ぎ人」(248頁)と自嘲している。分別の足りない女三の宮と柏木の幼さは、人生経験を重ねた自分の老いを際立たせる。老いゆくことへの苛立ちが、源氏の言葉を険のあるものにしている。源氏がその憤懣を柏木にぶつけたのは、このときが初めてである。それでも、源氏をずっと畏怖していた柏木は、源氏の内心にたぎる怒りを敏感に察知したのだろう。
 酒の強制も効いたかもしれない。今でいうアルハラ以外の何ものでもない。盃に注がれる酒は、文字通り体に毒となったことだろう。また、源氏も酒の力を借りて酔ったふり(「空酔い」)をしなければ、心に渦巻くどす黒い感情を表に出すことはできなかった。

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