毎週一帖源氏物語 第五十四週 夢浮橋
ついにここまでやって来た。
夢浮橋巻のあらすじ
大将は、女の異母弟に当たる小君を伴って横川の僧都のもとを訪れ、聞きつけた噂について問いただす。僧都は、事情を知らなかったとはいえ、宇治で助けた女を出家までさせたのは早まったかと困惑する。大将の懇請を受けて、僧都は月が変わったら下山して小野を訪ねると約束する。差し当たり、僧都は文をしたためて小君に渡す。
帰りゆく大将の一行が、小野の里を通り過ぎる。季節柄、松明の光が螢のように見える。大将が昼に横川を訪ねていたことは小野の人々にも伝わっていて、女は確かに先触れの随身の声に聞き覚えがある。
翌日、大将は小君を呼び寄せて、姉の様子を見て確かめてくるように言い含める。小君の到着に先立って、大将の使いがすでにあったという前提の文が横川の僧都から小野に届いていた。小野の人々は戸惑うが、小君が携えていた文は僧都のものにちがいない。それは還俗を勧めるものであった。姫君は弟を懐かしく思い出し、母の様子だけは知りたいと願うが、変わり果てた姿を見られたくないという思いが強く、対面を避けようとする。
小君は、姉の他人行儀な対応を恨みながら、大将から託された文を几帳越しに尼君の手から渡してもらう。大将は、さまざまな罪は僧都に免じてゆるすので、「今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに」(276頁)しようと呼びかける。さすがに涙をとどめがたいが、女は「いかなりける夢にか」(277頁)と言うばかりで、返書を拒む。小君は空しく帰るしかない。大将は「すさまじく、なかなかなり」(279頁)と複雑な胸中を持て余している「とぞ本(ほん)にはべめる」(同)。
愛執の罪
『源氏物語』は、やまとことばとかな文字が優勢な物語である。漢語にお目にかかる機会はそれほど頻繁ではないが、ここぞという場面で用いられると強く印象に残る。横川の僧都が浮舟に宛てた手紙にある「愛執」は、まさにそのような語である。
「愛執の罪を晴らして差し上げなさい」とは、要するに「還俗したうえで薫と復縁しなさい」ということだ。もっとも、それで救われるのは薫であって、浮舟ではない。
そもそも「愛執」とは何か。『日本国語大辞典』の説明に耳を傾けよう。
そして語義の説明の直後に、夢浮橋巻の上の一節が用例として引かれている。
冒頭に「仏語」とあるように、「愛執」は仏教用語である。「愛するものに心ひかれて心が自由にならない」のは、薫のありようそのものである。
薫は出生の秘密に悩み、心の平安を求めていた。そこから「俗聖」と呼ばれた八の宮と交わりを結ぶようになったのに、その縁で大君を知り、愛執にとらわれるに至った。大君を失った後は、その面影を求めて中の君、ついで浮舟を求めた。
薫の最後の歌(それは『源氏物語』全体の最後の歌でもある)は、直接的には横川の僧都を尋ねた結果、思いもかけず恋の山に踏み迷った、という内容である。しかし、この「法の師」には八の宮も含まれているだろうし、もっと一般的に仏道を求める心が込められているだろう。それなのに、人は「おもはぬ山に踏みまどふ」のである。
そして、思い返してみれば、薫以外にも愛執の罪にとらわれた人物が『源氏物語』には多くいた。あふれていたと言ってもよい。その意味で、「愛執」はこの巻だけではなく物語全体の世界観を凝縮しているように感じられる。
小君の活躍
薫の使者として、浮舟の異母弟の小君が立てられる。聡明な童で、立派な殿の役に立てるのがうれしそうである。それだけに、姉の対応には落胆を隠せない。
似たような構図は、空蝉巻でも見られた。源氏の文使いを務めたのは空蝉の実弟で、やはり小君と呼ばれていた。女が男と逢おうとしないのも、空蝉と浮舟で共通する。もう忘れかけていた最初の頃の話を思い出し、『源氏物語』のなかで積み重ねられた時の重みを感じる。
その後の浮舟はどうなる
『源氏物語』の終わり方は、何となく中途半端である。読み終わっても、完結したという実感に乏しい。薫と浮舟は、それぞれどうなるのだろうか。
薫については、あまり心配は要らない。身分が高く、公務も忙しい。何だかんだで宮廷社会を生き抜いてゆくだろう。たとえ心が満たされないとしても。
一方の浮舟については、いろいろな「その後」がありうる。薫によって強引に引き取られるかもしれない。今度こそ命を絶つかもしれない。あるいは、このままずっと小野でひっそりと勤行の日々を送るかもしれない。どれもありそうだ。
宇治十帖の碑、訪ね歩き(十)夢浮橋
訪ね歩きの締めくくりとなる夢浮橋碑は、宇治橋西詰に建っている。拡張前の宇治橋はもう少し上流側に寄っていて、西詰にこんな広々とした空間はなかった。今は碑よりも目立っている紫式部像も、拡張時の整備に伴って設置されたものだろう。
宇治十帖と言いながら、夢浮橋巻では宇治は舞台になっていない。だからゆかりの場所などないのだが、巻名に「橋」とついている以上、宇治橋の近くに碑を設置するのが妥当であろう。
よく見ると紫式部は手に巻物を持っていて、左手は軸を残すばかりのようでもある。結末に辿り着いたということだろうか。
むすびに
一年に及ぶ長旅が終わった。最後まで毎週一帖のペースを維持する自信があったわけではないのだが、『源氏物語』を大過なく読み切れたことに充足感を覚える。楽しかった。
最初のほうの記事を読み返してみると、あらすじを簡潔にまとめていたことに驚く。気がつけば長くなっていた。読み進むに従って、読書メモとして残しておきたい事柄が増え、その布石としてあらすじも詳しくなったのだろう。
あれこれ書けたのは、私が門外漢だからである。自分の専門領域やそれに近いことについては、裏づけを取らないまま迂闊なことは書けないという自制が働く。しかし、『源氏物語』については、好きなことを好きなように書けた。専門家から見ればつまらないことを書き連ねたかもしれないが、どうか笑って許していただきたい。
長いあいだお付き合いいただいたみなさんには、心より感謝申し上げます。ご愛読、ありがとうございました。