毎週一帖源氏物語 第三十一週 真木柱
この真木柱巻をもって、玉鬘十帖は一区切りとなる。私は胡蝶巻の冒頭で「今のところ、玉鬘十帖のよさを感じられない」と書いた。ここまで読んでよさを感じるようになったかと問われれば、必ずしも印象は変わっていないと答えるしかない。しかし、玉鬘という人物を導入し、この姫君をめぐる人間模様を描き出すことが、物語に深みを与えていることは感じられた。
第一に、直接的な血のつながりよりも実質的な後見の有無のほうが重要であることを、改めて確認できた。玉鬘の実の両親は内大臣と夕顔だが、源氏が引き取って世話をしたことが重みを持っている。「改めて」と記したのは紅葉賀巻の記事で書いたことの繰り返しになるからである。冷泉帝は源氏が藤壺とのあいだにもうけた不義の子でありながら、世間では桐壺院の皇子だと信じ切っていて、それで支障なかった。
第二に、緩やかに世代交代が進んだのは、物語の展開にとって大きな意味を持つ。玉鬘を軸に据えることで、源氏の子の世代の人々の存在感が高まった。野分巻で夕霧が目立ったのが、その典型だろう。
真木柱巻のあらすじ
事もあろうに、女君は大将と契る羽目になった。女君にとっては、心外な成り行きである。源氏の大臣にとっても帝にとっても、不本意である。〔兵部卿〕宮や兵衛の督も落胆している。その一方で、父の大臣は喜んでいる。
大将は女君が尚侍として出仕するのは形ばかりにして、自邸に引き取ろうと考える。しかし、北の方が実家に帰るかどうかで一悶着起きる。北の方は物の怪に取り憑かれており、ふだんは正気を保っているが、時々乱心する。ある雪の夜、尚侍(かむ)の君のもとに通おうとする大将に向かって、北の方は「にはかに起き上がりて、大きなる籠(こ)の下(した)なりつる火取りを取り寄せて、殿の後ろに寄りて、さと沃(い)かけたまふ」(218頁)。灰まみれになった大将は出かけるのを取りやめ、加持を行う。この一件に懲りて、大将は北の方に寄りつかなくなる。伝え聞いた式部卿の宮は、娘を実家に引き取る。大将と北の方のあいだには、娘一人と息子二人がある。父にかわいがられていた姫君は、邸を立ち去りかねる思いを歌に込めて、真木の柱の隙間に紙を押し入れる。
式部卿の宮の北の方は背後で太政大臣が糸を引いていると勘ぐるが、宮はそれをたしなめる。大将は宮の邸を訪れるものの、北の方や娘には会えず、息子二人だけを連れ帰る。紫の上は自分までが恨みを買っていることに困惑するが、いずれ誤解は解けるだろうと源氏は慰める。
尚侍としての出仕を自分が妨げていると思われるのは具合が悪いと察した大将は、年明けの男踏歌にあわせて出仕を認める。内裏では中宮以下の方々が風雅を競い、華やいでいる。尚侍が承香殿の東面にいると、兵部卿の宮から歌が届き、さらに帝がお出ましになる。恨み言を言われて、尚侍は男女の仲の難しさを思い知る。大将は、半ば強引に尚侍を自邸に引き取る。源氏は尚侍を偲び、二月、三月と歌を贈る。尚侍は今さらながら源氏の風雅を懐かしむが、もうどうにもならない。
尚侍はその年の十一月に若君を産み、大将も父大臣も満足の体である。公務は自宅で執り行っており、宮中への参内はもうないだろう。
それに先立つ秋のこと、女御のもとで奏楽の遊びがあり、堅物の宰相の中将が珍しくくつろいでいる。近江の君がこのときとばかりに、自分に乗りかえるよう歌を詠みかけるが、中将は軽くいなす。
台詞で始まる衝撃
この巻は、源氏の台詞で幕を開ける。「内裏(うち)に聞こしめさむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ」(203頁)――帝のお耳に入れるのは畏れ多いし、世間に伝わるのもまずいというのだから、穏やかではない。何かとんでもないことが起きたという緊張感が伝わってくる。これまでの三十帖で、冒頭に台詞が置かれていたためしはなかった。イントロを省いていきなりサビが鳴り響いたような衝撃がある。
相手が髭黒であると明示しない書き方
今に始まったことではないが、『源氏物語』では主語を書かないことが多いので、そういうときは誰のことを話題にしているかを文脈で判断するしかない。冒頭の台詞は「いさめきこえたまへど」(同)という敬語表現から源氏の発したものと分かるのだが(といっても、私のような素人は専門家のつけた傍注で気づくにすぎない)、諫めた相手が誰かは分からない。「おぼろけならぬ契りのほど、あはれにうれしく思ふ」(同)まで来ると、玉鬘をわがものとした喜びを感じていることが読み取れて、ここでようやく相手は髭黒右大将らしいと気づく。弁のおもとへの感謝も表明されていて、藤袴巻の記述と合わせて確信に至る。
それでも、紫式部は絶対に「大将」と明示しないのだ。藤袴巻の末尾で玉鬘は兵部卿の宮にだけ返事をしていたし、源氏が髭黒を玉鬘の相手としてふさわしくないと思っていることも書かれていた。それだけに髭黒が競争に勝ったことは読者にとっても意外な展開であり、明示を避ける筆法には読者を宙吊りにする効果がある。この物語が作られた当時、聴き手はどう感じたのだろうか。「え、まさか?」と思いながら、「でも、この語り方は右大将のことでしかありえない」と、じわじわと自分を納得させていたのだろうか。
女君の悲哀
玉鬘の気持ちは兵部卿の宮に傾いていたように見える。また、源氏に対しては親代わりという立場をわきまえてほしいという態度が見え隠れしていた。少なくとも、髭黒の大将に惹かれていた様子はない。それなのに、玉鬘はよりによって髭黒の手中に落ちたのである。それもこれも、弁のおもとの手引きがあったからである。
思い返せば、源氏が藤壺と密通したときには王命婦がいた。その役割を果たしたのが、このたびは弁のおもとだった。口説きにかかるほうにしてみれば、うまく立ち回る女房を手なずけるのが近道ということになる。しかし、女君の立場になれば、身近な女房の心がけ次第で自分の運命が決まってしまうのだ。やりきれない。
冷泉帝の後宮
真木柱巻の出来事は、年立の上では源氏が三十七歳から三十八歳にかけてのことを語っている。紅葉賀巻で藤壺が皇子を産んだとき、源氏は十九歳だった。この皇子は、その十年後に十一歳で即位している。したがって、真木柱巻における冷泉帝は、十九歳から二十歳という計算になる。まだ若い。
玉鬘が尚侍として承香殿の東面に落ち着いたときの後宮の顔ぶれが、整理されていて分かりやすい。「中宮、弘徽殿の女御、この宮の女御、左の大殿の女御などさぶらひたまふ。さては、中納言、宰相の御女(むすめ)二人ばかりぞさぶらひたまひける」(233頁)。源氏の養女の秋好む中宮、内大臣の姫君に当たる弘徽殿の女御、式部卿の宮の王女御、系図不詳の左大臣の女御あたりが、後ろ盾のある人々ということになる。玉鬘としては、親代わりの源氏が養女とした中宮と実父の内大臣の娘である弘徽殿女御に遠慮がある。一歩間違えれば、桐壺更衣と同じようなつらい目に遭わされていたかもしれない。