毎週一帖源氏物語 第四十週 御法
新学期が始まった。これから年末まで、授業をこなしながら『源氏物語』を読む日々になる。宇治十帖に入ってから、時間のやり繰りに苦労しそうだ。
御法巻のあらすじ
紫の上はこのところ病気がちで、かねての望み通りに出家を果たしたいと願っているが、相変わらず源氏が許さない。源氏もまた仏道専心の意向を持っているが、出家したあかつきには今生の別れとして別々に暮らすべきだと考えており、どうしても踏み切れないのである。
弥生の花盛りに、紫の上は二条の院で法華経千部の供養を行う。花散里や明石の上も二条に渡り、紫の上はこの方々と歌を詠み交わす。「絶えぬべき御法(みのり)」(106頁)に、法会が今生最後であることとこの身がもう長くないことを込める。
夏の暑い盛りに、紫の上の衰弱はいよいよはっきりしてきて、中宮も内裏から退出して見舞う。紫の上は、自分が死んだ後の女房たちの処遇を中宮に依頼する。中宮腹の三の宮は紫の上がとくに目をかけていて、「ここに住みたまひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花のをりをりに、心とどめてもて遊びたまへ」(110頁)と言い残す。
秋の涼しさとともにやや持ち直したようでも、全快には至らない。中宮も内裏に戻れずにいる。八月の夕暮れ、紫の上は庭先の萩の露を眺めながら、源氏や中宮と唱和する。加減がよいように見えたのも束の間、紫の上は消え入るように息を引き取る。
源氏は紫の上が髪を下ろす手配をするよう大将に命じて、生きているうちに叶わなかった出家を遂げさせようとする。大将は取り乱す女房をたしなめるふりをして、几帳を引き上げて紫の上の顔を見る。茫然自失の源氏は、制止することも忘れている。大将の目に映る死顔は、たぐいない美しさである。葬儀はその日のうちに進められ、十五日の暁には終わる。
内裏をはじめ、方々から弔問が続く。致仕の大臣は、大将の母が亡くなったのもこの季節であったことも思い起こしつつ、細やかな言葉を寄せる。冷泉院の后は、春を好んだ故人を偲んで、秋の無情を嘆く歌を詠む。
源氏は勤行に専念する。「千年(ちとせ)をももろともにとおぼししかど、限りある別れぞいとくちをしきわざなりける」。出家の思いは募るが、悲嘆に暮れた結果と噂されるのを憚って、思い止まっている。
紫の上、逝去
紫の上が亡くなった。「雀の子を犬君が逃しつる。伏籠(ふせご)のうちに籠めたりつるものを」(若紫、第一分冊、190頁)と泣いていた少女は、すでに四十三歳に達している。源氏より八つも若いが、四年前に大病を患って以来、ずっと体調はすぐれなかった。若死にという印象を受けるが、三十七歳の厄年で逝った藤壺中宮よりは少し長生きだった。
辞世の歌は、
である。露のようにはかない命。源氏を愛し、源氏に愛され、そして源氏に悩まされた生涯であった。
作者の紫式部は、紫の上を悪く書かない。そのために人物像の輪郭がややぼんやりするきらいはあったけれども、この巻での描写を見ると、紫の上の奥床しい性格を引き立たせることに意を用いていたように思われる。紫の上の美質は、周囲の人々の言動から読み取れる。そのような書きぶりである。源氏の寵を競うライバル関係に当たる女君たちも、紫の上には一目置いている。
源氏については事あるごとにその美しさが強調されていたが、紫式部が作り出した非の打ち所のない理想的な人物は、源氏ではなく紫の上だったのではなかろうか。
崩御、薨去(こうきょ)、死去
ところで、私は前項に「紫の上、逝去」という小見出しを掲げたが、厳密に言うと「逝去」は適切でない言い方なのかもしれない。新潮日本古典集成第八分冊の巻末には「年立」という年表のようなものがあって、そこでは「紫の上、死去」と書かれているのだ。注意して年立の表記を見ると、厳密に使い分けられていることが分かる。新潮日本古典集成の校注者が、この点で無頓着であったはずがない。時系列に沿って掲げると、以下の通りである。
整理すると、天皇と皇后は崩御、その他の皇族や三位以上の上達部は薨去、それ以外は死去、という使い分けがなされているようだ。急死や急逝は「急」にポイントがあり、そこを強調しないなら死去と記されていたはずだ。
「逝去」という表記は避けられている。敬意は込められているが、位に応じての使い分けにはそぐわないのだろう。「紫の上、逝去」と書いても、やや客観性に欠けるだけで、悪いわけではなさそうだ。個人的には「死去」だと素っ気ない感じがするので、「逝去」という言葉で紫の上をあの世に送り出したい。
エンドロール
御法巻の冒頭の一句は「紫の上」である。こうした名指しは原文では非常に珍しく、この人について何か重大なことが語られようとしているという予感がして、のっけから緊張感が走る。
紫の上だけではない。「花散里(はなちるさと)と聞こえし御方、明石などもわたりたまへり」(104頁)や「明石の御方に、三の宮して聞こえたまへる」(同)、「花散里の御方に〔以下、紫の上の歌〕」(106頁)といった具合に、六条院の女君たちが名前で呼ばれる。これもまた珍しいことだ。ゆかりのある人々の名前がエンドロールで表示され、紫の上を見送っているかのようだ。
夕霧の思慕
野分巻で紫の上の姿を垣間見た夕霧は、何とかして声を聞きたい、顔を見たいと思っていた。その念願が、紫の上の死によって叶う。声は聞けずじまいだったが、美しい死顔を拝むことができた。気の確かな折なら源氏はそうならないように配慮したであろうが、もはやそこまで気は回らない。夕霧は過度に悲しんでいるように見えないように注意するが、そのように意識すること自体が思慕の強さを物語る。
私はここで、どうしても柏木と夕霧を対比せずにはいられない。柏木は女三の宮に、夕霧は紫の上に、心を奪われていた。相手はいずれも源氏の正妻格である。柏木は強引に女三の宮と契り、身の破滅を招いた。源氏は夕霧が紫の上に恋慕することを警戒しており、だから何も起きなかった。柏木に対してはその注意を怠った。その差は紙一重である。さらに言えば、夕霧が女二の宮(落葉宮)に恋したのは、紫の上への思慕が満たされないことの代償行為だったのかもしれない。
源氏の悲嘆と出家への思い
気の多い源氏であるが、紫の上という揺るぎない拠りどころがあればこその浮気という側面がある。誰か一人に決めなければならないなら、源氏は迷いなく紫の上を選ぶだろう。極楽でともに過ごす相手は、この人を措いて他にない。「後(のち)の世には、同じ蓮(はちす)の座をも分けむと、契りかはしきこえたまひて、頼みをかけたまふ御仲」(102頁)とある通りである。
極楽で永遠に一緒にいられるなら、今生の別れも悲しくはないはずだが、そういう理屈では割り切れない。源氏は現世でも紫の上とずっと一緒にいたいのである(「かくて千年(ちとせ)を過ぐすわざもがな、とおぼさるれど」(113頁)、「千年(ちとせ)をももろともにとおぼししかど」(124頁))。
これだけ紫の上に執着していれば、失った悲しみはひとかたではない。気を強く持って「人にほけほけしきさまに見えじ」(120頁)としても、「ことのほかにほれぼれしくおぼし知らるること多かる」(124頁)有様である。
もはや生きていても甲斐はない――源氏はそう思う。「今はこの世にうしろめたきこと残らずなりぬ」(120頁)。しかし、出家にはまだ踏み切れない。それには二つの理由がある。一つは内心の惑いで、執着を断ち切ってからでないと修行に差し障りがある。「いとかくをさめむかたなき心まどひにては、願はむ道にも入りがたくや」(同)と反省するのである。もう一つは周囲の目である。紫の上を失った悲しみが理由で出家したと思われることを、源氏は極端に嫌う。
ここまで気にするかと呆れるほど、外聞を憚る心情が繰り返される。裏を返せば、少し時間が経てば――「このほど」を過ぎれば――、源氏は出家するだろう。