横須賀恵コンピレーションアルバム 『時の扉』全楽曲紹介

せっかくなので、ご参考までにコンピレーションアルバム『時の扉』の楽曲について曲順に解説をさせていただきたい。

♯1 『GET FREE』
作詞 来生えつこ 作曲 来生たかお

80年代に不動のヒットメーカーとして一時代を築いた来生きょうだい(姉弟)が山口百恵に楽曲を提供していたという事実に、まずは注目である。中森明菜のデビューを飾る1982年の『スローモーション』に『セカンドラブ』。そしてなんといっても薬師丸ひろ子を一気にトップアイドル歌手にした1981年『セーラー服と機関銃』の作詞・作曲コンビだ。(いずれも山口百恵引退後)
そして掲題曲はアルバムのオープニングにふさわしい旅立ちの曲だ。これから起こる刺激的な未来を想起させ、ドライブにもぴったりのサウンド。同時に山口百恵を旅立ち、横須賀恵に向かうとも受け取れる暗示的な歌詞内容もある。

ブギウギのリズムも 踊り疲れたから
ロックンローラーの シャウトさえ聞きあきたわ

つまり、百恵ブランドをささえる天才『阿木・宇崎』の織り成すダウンタウンブギウギバンドのロックンロールサウンドからしばし離れて、横須賀恵の世界にトリップしようと誘っているのだ。

もう一つ注目点を上げさせていただきたい。この曲は、百恵ディスコグラフィーの中でも特異な位置にある『LAブルー』のオープニングを飾る楽曲なのだ。同アルバムは、全編オリジナル楽曲によるレコーディングで、シングル発売曲は一切含まれていない。山口百恵は、昭和二コパチアイドルの殻を破った最初のタレントだと、つとに思う。アド気ない笑顔(広告に見えない自然な笑顔)が昭和アイドルの定番(平凡・明星の表紙やマルベル堂のブロマイドに代表される)で、15歳のころまでは、もちろん同じニコパチ路線を走っていたものの、横須賀ストーリーあたりから笑顔は封印される。
そしてこれまでのアルバムでは、山口百恵の最新ポートレートが表紙を飾るのが定番だったが、こちらではロサンゼルスの印象的な夜景写真が用いられている。(イーグルスの『ホテルカリフォルニア』を意識したという)これらの点からも『LAブルー』は、サウンドにこだわるアーティストがリリースしたコンセプトアルバムとしてのスタンスが見て取れるし、事実そうだ。(ちなみに、シングル発売曲が含まれていない全編オリジナル曲によるアルバムは、阿木・宇崎天才コンビが全面的に楽曲提供を行った『百恵白書』、百恵引退後に発売されたラストアルバム『Thisi is my trial』、そしてこの『LAブルー』の三作品のみであり、異色の位置づけだったことがうかがえる。)
わたしは山口百恵のディスコグラフィーの中でも、この『LAブルー』を、ベストアルバムとして推したい。
楽曲、ミュージシャン、そしてボーカリストとしての山口百恵が、極めて高次元で共鳴する、ウエストコーストサウンドの魅力に溢れた名盤である。

♯2 『琥珀の季節(こはくのとき)』
作詞 うさみかつみ 作曲 萩田光雄

うさみかつみ氏(白井章生氏)は、山口百恵のデビュー当時から、この曲が収められているラストアルバム『This is my trial』まで楽曲を提供した数少ない作詞家である。そして作曲は特に説明の必要もないだろう萩田光雄氏である。 横須賀恵のボーカルが実に小気味よい。伸びやかな声。この声質がギターのサウンドと、とても調和している。『プレイバック』には、萩田氏が山口百恵の音域を知り尽くしていて、彼女が歌いやすい音域の中でのびのびと歌うことができたと書かれている。まさにその通りの印象だ。

二つの魂が溶け合って
互いに呼び合って 宇宙へ昇っていく

歌詞の道行きに沿って、横須賀恵のボーカルとギターサウンドがお互いに溶け合って、文字通り宇宙に舞い昇っていくのである。

♯3 『空蝉』
作詞 喜多條忠(まこと) 作曲 丸山圭子

ため息がでるような美しい、けれども悲しい曲。作詞は、かぐや姫『神田川』、キャンディーズ『暑中お見舞い申し上げます』、ショーグン『男たちのメロディ』など、多くの記憶に残るヒット曲を生み出した喜多條忠、作曲はシンガーソングライターの丸山圭子。彼女には『どうぞこのまま』という名曲があるが、この曲も甲乙つけがたいほど素晴らしい。70年代を象徴するといってよいヒット曲メーカーのみごとなコンビネーションによる名曲である。ちょっと調べてみたが、この二人のコンビによる楽曲は、ほかには見当たらない。どのような経緯でこの曲が生まれたのだろう。『プレイバック』を見ると、「喜多条氏と丸山さんが組んだらどんな曲ができあがってくるのだろうと、かなりの期待を持って依頼した記憶がある。」とだけ書かれている。期待を持って依頼したのに、レコーディングはどうだったのか、できた曲について川瀬氏はどのような印象を持ったのかなど、何も書かれていない。逆に解説がこれほどあっさりしていることが、『空蝉』という曲の不思議な魅力を深化させている印象さえある。
『ドラマチック』というアルバムの中の1曲という位置づけがあまりにもったいない名曲であり、この曲が生まれたこと自体がドラマチックだ。

声もない夢もない ののしる言葉もない
脱ぎ捨てたドレスの横で眠る 空蝉

横須賀恵の世界には失恋、悲恋、かなわぬ恋、こういう言葉はないが、「破恋(はれん)」にまつわる歌がなぜか多い。この曲はそうした彼女の世界観の象徴ともいえるほど美しく悲しい曲といえる。
にしても横須賀恵が歌うと、伝わってくる情感が尋常ではない。悲しみの淵の底に、ぬけがらのように佇む色彩のない女性の姿が浮かび上がってくる。

♯4 『センチメンタル・ハリケーン』

この曲から二曲続けて衝撃の梅垣達志サウンドが展開する。
一曲目は『センチメンタル・ハリケーン』。作詞はかの山川啓介(代表曲は、麻丘めぐみの『卒業』、青井三角定規の『太陽がくれた季節』、岩崎宏美『聖母たちのララバイ』など多数。)である。
エンジン全開、車はいよいよ加速度を上げて走り出す。ドライブに似合う楽曲で、横須賀恵のボーカルが走る、ひたすら走る。美しいコーラスを従えて、どんどん走っていく。行く手には怪しげな雲が立ち込め嵐の予感だ。けれどもサウンドはあくまで軽快なドライビングビートに乗って疾走していく。今夜は荒れそうだ、またもや破恋(はれん)の予感である。
そしてこの曲も『LAブルー』からの選曲であり、ウェストコーストのカッコいいAORサウンドなのだ。

♯5 『のぞきからくり』

曲調が転じてピアノのしっとりとした楽曲へ、と、思わせて不意に裏切る風変わりなイントロ。このねじれた転調つながりが絶妙だ。激しいエレキギターのサウンド。なんとも強烈な、それこそキッスやヴァン・ヘイレンばりのハードロックである。作曲は『センチメンタル・ハリケーン』に続き、梅垣達志。このアーティストの名前は記憶しておきたい。
それにしても素晴らしい曲を書いたものだ。山口百恵をロックに引き摺り込んだ阿木・宇崎作品でも、このハードサウンドに対抗しうるのは後期の傑作『絶体絶命』、もしくは『ロックンロール・ウィドウ』くらいではないだろうか。
タイトル『のぞきからくり』とは、江戸時代から明治にかけて盛んに行われていたエンタメのひとつで、のぞき穴の向こうで話者が節をつけた説明をしながら、次々にシーンを入れ替えて見せる絵芝居のような見世物である。

あなたは愛だと言いながら わたしに地獄を見せていた
わたしは闇と知りながら 眩しすぎると目を伏せた

冒頭からなんとも凄まじい、もの凄い歌詞世界だ。この世界観は、厭世的というか終末的というか、原色の油絵の具をそのまま塗り付けたような激しさ。こうした原色の激しさも横須賀恵の世界観に通じるものがあるように思う。

そして歌詞の第一節から第三節それぞれでののぞきからくりの向こうに見えるだまし絵について歌詞は以下のようなものになっている。

どうせこの世はだまし絵の 裏と表の見えかくれ
どうせこの世はだまし絵の 奈落の底の色模様
どうせこの世はだまし絵の 夢とうつつのあや錦

この世に対する、徹底した救いようのないほどの冷徹な目、ニヒリスティックというか諦めの境地であり、ある種の諦観であり達観でもある。

 それをなんと当時20歳のアイドル歌手が歌う、その歌詞で、古文の『係り結びの法則』が出てくるとは恐れ入った。作詞は伊藤アキラである。この作詞家は、後期の山口百恵のアルバム楽曲には欠かせない、彼女の歌に新たな奥行きと広がりをもたらした貴重な存在といってよいだろう。
わたし自身は、高校の古文の時間に初めて係り結びの法則を習い、そこで初めてこうした日本語の修辞法を知ったのだ。『仰げば尊し』という今ではほとんど歌われることのなくなった卒業ソングがあるが、第一節も第二節も最後の歌詞は以下のようなものだ。

今こそ別れめ いざさらば

この部分を、係り結びの法則(「こそ」という強調語の後は、已然形で結ぶという法則)を知るまで、「今こそ、分かれ目」(今が分かれるその場である)という意味だとずっと誤解していた。
「め」は意思を表す古文の助動詞「む」が、係り結びの法則により已然形の「め」になったものであり、だから歌詞の意味は、「今こそ、別れよう!」だったのだ。そのことを初めて知った高校生のある日、驚きとともに感動を覚えたのだ。その古文の修辞法が、山口百恵の歌、しかもハードロックに突如登場した時の衝撃は、思い出すと不思議なことに笑みがこみあげてくる。

夢の夢こそ あはれなれ

もちろん、これは「あはれなり」という形が、「こそ」→已然形の係り結びの法則により、「あはれなれ」に変化したものなので、「夢の夢は、あはれなものだ」という意味になる。しかも典型的古文語「あはれ」である。恐るべきは伊藤アキラという吟遊詩人だ。
不思議なもので、こうして傑作ハードロック『のぞきからくり』を文章でいくら説明しても、いったいどのような曲なのかは全くといっていいほどイメージが伝わらないだろう。聞いたことがない方は幸せである。ぜひ一度、聞いてみていただきたい。埋もれてしまうにはあまりにも惜しい正真正銘の傑作ハードロックである。
願わくば、ライブステージで、ロックバンドを従えた化粧マシマシの横須賀恵が、両手にマイクスタンドを握りしめ、仁王立ちして力一杯シャウトしている姿を目に焼き付けたかった。

♯6 『DANCIN‘ IN THE RAIN』
作詞 横須賀恵  作曲 浜田省吾

次は、うって変わって、静かなバラッドである。
イントロからしとしと降る雨音に観たてた(聴きたてた)静かなピアノの音が続く。そしてこの雨音はずっとこの曲のベースサウンドになっている。雨がずっと降り続くのである。『雨音はショパンの調べ』という名曲があるが、こちらは1984年のヒット曲なので、ピアノを雨音に観たてたのは、こちらのほうがずっと早い。そしてこの曲は、横須賀恵の作詞曲なのである。
横須賀恵の作詞技法の特徴のひとつとして、擬人法を効果的に用いる点があげられるだろう。ここではしとしと降り続く雨を自分に寄り添う存在に観たてて、本心をひそかに託すのだ。

お願い たったひとことでいいの
あの人に伝えて
“愛していたかった”と

そしてまたしても『LAブルー』なのだ。ウエストコーストサウンドの魅力(ベースギターとドラムによるキレッキレのリズムセクションと世界観を広げるコーラスが特に素晴らしい)にあふれたこのアルバムは、横須賀恵ディスコグラフィーの金字塔だ。なにしろこの曲と、もう一つの横須賀恵作詞曲『CRY FOR ME』、そしてこの後に解説をさせていただく彼女のテーマ曲『BACK TO BACK(背中合わせ)』に加え、阿木・宇崎による『タイトスカート』・『A GOLD NEEDLE AND SILVER THREAD』まで揃えているのだから名盤でないはずがない。

♯7 『幕間の風景』
作詞 伊藤強 作曲 杉真理(すぎ まさみち)

伊藤強氏は日本レコード大賞の審査委員長を務めたこともある音楽評論家という、山口百恵を取り巻く作詞家作曲家の中でも異色の人物だ。『プレイバック』によれば、プロデューサー酒井氏の推薦だという。不思議な魅力の世界を持つ歌で、かつ、とても爽やかなコーラスが気に入って、選ばせていただいた。
杉真理氏は、大瀧詠一氏、佐野元春氏と組んだユニット、ナイアガラトライアングルによる『『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』の参加アーティストだ。CMソング『ウイスキーはお好きでしょ』で知られるミュージシャンでもある。

おわかれです 次の夜明けまで
見ないでください 後姿は

枯れ葉舞う雲が飛ぶ季節の中に
バスが往く 夜がくる 私は歩きだす

この部分のコーラスがとても美しく爽やかで、印象に強く残ったので、何か情報があるかと『プレイバック』をチェックしたところ、なんと川瀬氏と萩田氏の即興よるもので、二人のコーラスチーム名として、たまたまその時飲んでいたジュースから『Guava』にしたという逸話があった。
実はわたし自身音楽作品のプロデュース経験があるので現場の状況はある程度はわかる。予算や契約を考えるプロデューサーや、より現場サイドで制作進行を務め、作品のクオリティに責任を持つディレクターは、制作に必要な段取りとしてミュージシャンやコーラスチームについてはあらかじめ条件やスケジュールを調整してレコーディングに臨むのが通例だが、時として、その場のノリに任せてスタッフがコーラスに参加するといったことはありうる。川瀬氏も萩田氏もともにプロミュージシャンでもあるので、こうした即興が印象に強く残る成果をもたらしたのだろう。計画通りにきっちり作ることも重要だが、時としてその場のノリというかグルーヴに任せたほうが良い結果に結びつく場合も多いのだ。
ちなみに、『Guava』としての参加曲は、この曲が初めてだが、これだけではないということで、この後に制作された楽曲から『Guava』参加作品を探してみるもの一興だ。

♯8 『嵐が丘』
作詞 松本隆 作曲 加藤ヒロシ

アコースティックギターの伴奏で優しい曲調のスローバラッド。こうした曲調では山口百恵の歌声が戻ってくるような気がする。
シンプルな楽器伴奏に、とても静かできれいなメロディ。そして優しい気持ちが伝わってくる歌声。これも横須賀恵の世界観の魅力のひとつである。
『嵐が丘』は、英国の古典的名作のタイトルであり、この点で阿木・宇崎の傑作嫉妬ソング『愛の嵐』と共通している、ともに古典的名作からタイトルを借りていて「嵐」がキーワードとなっているが、ともに曲自体は、原典の内容とは何のかかわりもない点でも共通していて興味深い。
コンピアルバム『時の扉』では、ちょうど真ん中の曲で、これが見晴らしの良い丘で一休みの位置づけとなり、優しいスローな曲調で気持ちを整えるのにうってつけの楽曲ということで、ここに選ばせていただいた。

♯9 『CRY FOR ME』
作詞 横須賀恵 作曲 波多野純

身じろぎもせず、部屋にひとり
あなたの手紙、何度も何度も
思いもかけない別れもあるのね

ピアノが奏でる静かな曲調に、横須賀恵のボーカルがしっとりと歌い上げる。この曲は、三十三歳のクラブシンガーが歌っていると仮想するのにぴったりの楽曲だ。バーボングラスを片手にうっとり聞きほれる。ただし、曲中で歌われている酒は「アニス」という。地中海で好んで飲まれる強い香りのするハーブ酒の一種とのこと。山口百恵のお気に入りのようで、ライブMCでこの酒のことを語っている。(ぜひお聴きいただきたいのでここでは内容には触れない)
もう完全に大人の歌だ。けれどもやはり横須賀恵の世界観、破恋(はれん)の歌、ど真ん中。独白調に思いを綴るニュアンスたっぷりの歌声、伸びのあるファルセットに惹き込まれる。
作詞は横須賀恵、作曲は波多野純とあり、聞き覚えのない作曲家ということで『プレイバック』を紐解けば、有望な新人アーティストだったが、家業の都合で自身のアルバムを1枚だけリリースして引退したとのころ。他の作品としこの曲ともう1曲(WIND & WINDOW)を山口百恵に提供しただけということで、なんとももったいない貴重なアーティストの作品であったことが窺える。
エンディングに向かう一節、「そんなにやさしくしないーでー」のファルセットの歌声も素晴らしいがその後の「おねがい」とセリフで言う部分は百恵自身のアイディアだという。このあたりの説得力も見事というほかない。

イントロは、ビリージョエルの『ストレンジャー』を彷彿とさせる。なんとも都会的な楽曲だ。こちらも傑作アルバム『LAブルー』から。

♯10 『愛のTWILIGHT TIME』
作詞 伊藤アキラ 作曲 浜田省吾

歯切れのよいギターサウンド、軽快なビートに乗って楽しそうに歌われるが、こちらも恋人との離別ソングである。

あのひともうこない 私も もう会いたくない
思い出みえかくれ 汚れた川面を見つめてる

バックコーラス“Woo ,La ,La“がビートルズそっくりだと思っていたら、『プレイバック』に、ビートルズ(ラバーソウル)の『You Want See Me』からアイディアをいただいたと書かれていて驚いた。ハーモニーのとても美しい、素敵な楽曲である。
シングルでの発売曲がないため、あまり知られていないことのように思われるが、特に後期の山口百恵に楽曲を提供した作曲家のうち、最も重要なアーティストはハマショーこと浜田省吾だろう。彼の提供した楽曲は、素晴らしい出来栄えのものが多くあり、『山口百恵・浜田省吾コレクション』というコンピレーションアルバムを企画してもよいのではないかと思うほどの名曲が揃っている。
現に7曲あるのでミニアルバムとして成り立つはずだ。もちろん、この曲もそのうちの一つである。
なお、この曲と同じ作詞家・作曲家の組み合わせで、もうひとつ『Air Mail』という大好きな曲があるのだが、アレンジが尖っていて、本コンピレーションの流れに組み入れづらく、泣く泣く選外とした。これはアルバム『Golden Flight』の中でトータル性を重視したアレンジと思われ、もちろんそれはそれで正しい。そして浜田省吾のお気に入りでもあったのだろう、彼自身のアルバム曲として別のタイトル、別の歌詞を添えて歌われている。『火薬のように』。こちらも名曲だ。ヒリついた心を持て余し、見つからない出口を探し続けるほろ苦い青春ソングに仕上がっている。

♯11 『BACK TO BACK(背中合わせ)』

この曲は、クラブシンガー「横須賀恵」のテーマソングだ。いくつか年上のバンド仲間であるギタリストとつきあいはじめて数年がたつ。始まりはとあるクラブ仕事での出会い。流れに任せて付き合い始めたものの、いつの間にか本気の恋に落ちていた。
ただ恋と仕事の両面で顔を合わせる中、時間が経たつほどにお互いの思いはすれ違い始める。

作詞 篠塚真由美 作曲 浜田省吾

ある日、川瀬氏が山口百恵自身に紹介されて山口百恵のアルバムに参加することになった篠塚真由美は、山口百恵自身がデビューするきっかけとなったオーディション番組『スター誕生』で、グランドチャンピオンになった経験もある歌手であり、その後、作詞家となって頭角を現す。
スタ誕の同窓会で山口百恵に近況を伝えたところ、「じゃあ今度私にも書いてよ」ということになったらしい。中森明菜や松本伊代に歌詞を提供するようになり、さらに80年代に入ると、なんと「ものまね女四天王」に昇り詰めるという異色の経歴の持ち主だ。
篠塚真由美は、山口百恵を理解する数少ない、同年代で共通目線を持つ盟友であり親友のひとりだと思われる。(ちなみに阿木耀子も、もちろん彼女の理解者だが、少し年の離れたお姉さんだ。)そして二人の間でこんな会話が交わされたものと想像している。

「みんなからアイドルっぽく百恵ちゃんって呼ばれてるけど、素のあんたは笑顔がぎこちない陰キャで、本当は、みんなが思ってるのと、キャラぜんぜん違うよね。」
「じゃ、あなたの言う本当のわたしが歌う歌詞を書いてくれるかしら?」
「いいよ。印税ちゃんともらえるならね。」
「もちろん!カッコいい歌詞書いてね」

で、出来てきたのがこの曲だと妄想している。笑
彼女の目から、山口百恵はこんな女性に映っているのかもしれない。山口百恵へ曲を提供した作詞家の中でも異例のキャリアの持ち主。ものまね女四天王としての彼女のパフォーマンスは、今でもYou tubeで観ることができる。
浜田省吾のなんともイカした曲に乗って、とても小気味のいいロックナンバーに仕上がっている。

口紅のついたカップを
あなたのシャツに 投げつける
鼻歌に悪口のせ
あなた待ってやるつもり

この歌詞、最初に聴いたときは、「口紅」・「あなたのシャツ」・「カップ」・「投げつける」のワード断片が印象的に耳に飛び込み、いくらなんでも彼氏にコーヒー?カップを投げつけるなんてずいぶん乱暴な女だと思った。しかし、これは誤解だ。そんなはずはない。口紅は投げつけたカップについていたのだから自分のものだ。まんまと引っかかったのかもしれない。
きっとカップはハンガーにかかったシャツに投げつけたのだろう。彼はすでに出て行って、部屋にはいないのだ。行きがけに何か気に障ることを言われたのだろう。この状況から、同棲してそれなりに時間がたっているカップルの姿が浮かぶ。描写が意外に(と言ったら失礼か)映像的で深い。

だめよ! かかとで蹴ってしかってよ
欲しいなら(おねがいよ)
こわしてよ(やさしさで)
愛し方 うらおもて Woo__

もちろん、アンディ・フグのかかと落としではない。これも最初はどういうシチュエーションなのか測りかねたが、ベッドで寄り添って寝ていた彼に(重なる足の)かかとでチョコンと蹴って(わたしのワガママを)叱ってと言っているのだと気づいた。おしゃれな歌詞ではないか。
ファルセットのWoo__の部分。何ともいえないオトナの女の色気が漂う。いらだち、もどかしさのニュアンスがみごと、というほかない。このひと声でハートを撃ち抜かれてしまう。

『プレイバック』によると、アルバム『L.A.Blue』のコーラスは、現地(もちろんLAだろう)の女性三人組ボーカリストによるものだという。この曲でもコーラスはその三人組によるもので、彼女たちはまったく日本語を解さないため、収録は日本語の歌詞に発音が近くなる英単語を並べることで(川瀬氏はこの方法を『空耳アワー』方式と呼んでいる)参加してもらったとのこと。まったく違和感なく日本語のコーラスとして聴くことができる。恐るべし空耳方式。(褒めるところがちがうか)

♯12 『crazy love』
作詞作曲 井上陽水

もっと粉々になれば、crazy love

けだるい雰囲気を醸し出すスローなブルース。この何とも言えないニュアンスと表現力。聴いているだけで鳥肌が立つ。仮想、三十三歳・横須賀恵の女盛りの色香が、どストレートに漂う歌声だ。心が本当に粉々になりそうな気持ちになる。
山口百恵は、素晴らしい歌唱技術と、幾多のドラマや映画作品の演技で培われた表現力で、どのような歌もあっというまに自分のものにしてしまう。名声を聞き、名だたる多くのミュージシャンが「この曲はどうだ!?」とチャレンジングな楽曲を携えてスタジオのドアを叩く。そしてついにニューミュージック/フォークのレジェンドがやってきた。
井上陽水である。
しかしすでに彼女は横須賀恵(三十三歳)として覚醒していた。こうしてレジェンド井上陽水さえも彼女の類まれな表現力の前に、粉々になったのである。
『プレイバック』によれば、三浦友和のお気に入りの曲だという。

♯13 『銀色のジプシー』
作詞 横須賀恵 作曲 浜田省吾

横須賀恵が初めて作詞家にクレジットされた楽曲。『プレイバック』によると、元は別の作詞家への発注が行われていたものの(伊藤アキラらしい、こちらも聞いてみたかった)山口百恵が曲にインスパイアされ、川瀬氏に自分の書いた詩を持ってきたらしい。そう、この曲は作詞家『横須賀恵』が誕生した記念すべき重要な楽曲なのである。
同じホリプロ出身で、音楽きょうだい(兄妹)とさえ評された二人の作詞・作曲による作品は、この曲と『Dancin’ in the rain』の二つだけだが、ともに素晴らしい出来栄えだ。
歌い手として時代の頂点にいたアーティストが描くにしては漂流者というか、流浪的というか、ひとり荒野を彷徨っているような世界観の歌詞だ。この世界観は、表でアイドル歌手として活動していた山口百恵のもう一つの顔であり、真実の顔でもあった可能性がある。そのように考えるととても貴重な作品である。

♯14 『CHECK OUT LOVE』
作詞 松本隆 作曲 加藤ヒロシ

横須賀恵の歌世界では、やはり離別ソングで終盤を迎える。作詞家は、もはや大御所の松本隆。作曲家は『戦争は知らない』の加藤ヒロシ。二人の組み合わせは、『嵐が丘』に次いで二曲目だ。
ホテルのロビー。AM10:00。過去のいきさつはわからないが、別れることになった男女。女には未練があり、涙のにじんだ手紙を、そっと男の荷物に紛れさせる。
そんな女の気持ちが訥々と謳われる。

こころはさざなみ 無口な時間が漂う
まさか涙にぬれた絵葉書なんてあなたに手渡せないでしょう
どうすれば愛を清算できますか

女の気持ちとはうらはらにCheck Outの時間は容赦なく近づいてくる。
Check Out Loveのコーラスのリフレインが続く。
そしてこの楽曲のエンディングが劇的である。唐突に切れるのだ。しかし、この無音の余韻が、ラストソング『時の扉』に、みごとに引き継がれていく。
完璧だ。

♯15 『時の扉』
作詞 伊藤アキラ 作曲 北野弦

壮大なテーマと曲調。感動をはるかに超えて、言葉を失い呆然とする。堂々と歌い上げる声には、もはやアイドル歌手の面影はない。山口百恵が横須賀恵に覚醒し、雲上に上り詰めた到達点かもしれない。このように壮大なテーマの楽曲は、もちろん、阿木・宇崎作品に多いものの、さすがに「横須賀恵」の生みの親ともいえる北野弦ならでは。このコンピレーションのラストで聴くとその思いが一層募る。
透き通った横須賀恵の伸び伸びとしたボーカルが世界観にぴったりとはまっている。これほど素晴らしい曲にもかかわらず、山口百恵のベストアルバムの類では選曲から漏れている。作曲者がプロデューサーでもあるために、自らの曲を「ベスト」に入れることをためらったのかもしれないが、わたしは激賞したい。この楽曲を聴かずに彼女を語るのは本当にもったいないことだ。
作詞は吟遊詩人(と勝手に呼ばせていただいている)伊藤アキラ氏によるもので、実に壮大な、突き抜けた世界観なのだ。山口百恵に、このような堂々とした世界観を歌い上げるアーティストとしての力量を最初に見出したのは、いったい誰だったのだろう。阿木燿子か伊藤アキラか。
伊藤アキラ氏は、フォーリーブス『ブルドッグ』、渡辺真知子『かもめが跳んだ日』、ゴダイゴ『ビューティフルネーム』など、音楽シーンでの幾多のヒット曲のほか、アニメソング、子供向けの歌など、様々なジャンルで多くの伝説的な作品を残されているが、なかでも特筆は、恐らく誰でも知っているCMソング、日立グループの『日立の樹』(♪この~木何の木、気になる木~、名まえも知らない木ですから)だろう。制作打ち合わせの際、曲のコンセプトは企業グループの発展をイメージした「大樹」だと説明する日立の関係者に、彼が「それは何の木ですか?」と聞いたところ、誰も知らなかったことをそのまま詩にしたという逸話がある。
どんな土地(業界)のどんな願いにも、たちまち素晴らしい伝説的作品を残されるということで現代の吟遊詩人と呼ばせていただきたい。
そしてもちろん横須賀恵にも素晴らしい作品をご提供いただいている。

時の流れの中に
避けられぬ渦(うず)がある
重い扉 通り抜ける時
全ては 過去になる

朝は夜になり 星になる
花は種子(たね)になり 土になる
今は夢になり 〇になる

上記の歌詞で、〇の部分に入る漢字一文字(読み仮名は二文字)は何か。という問題が出たとして、正解できる人は天才的な詩人だ。本当にそう思う。ここで正解は書かない。ぜひ聴いてみてほしいからだ。答えは想像を軽々と超えてゆく。しかし、聴けば、なるほどその文字しかないとも感じる。
このセンスがすごいのだ。

静かなピアノに始まり、盛り上げていくのは、ストリングスとサックス、そしてエレキギター。

横須賀恵の透明感のある声質がとても魅力的である。
そしてエンディングが実に潔い。
楽曲が終わった後、しばし余韻に浸る。
存在を忘れ、しばし浸る。浸らざるを得ない。

そして『時の扉』は音もなく閉じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?