『レジェンダリーシンガー横須賀恵(33)、天才「阿木・宇崎」作品を歌う。そして再び「山口百恵」へと回帰する壮大なるロック絵巻』コンピレーションアルバム『輪廻』の世界
「本格派レジェンダリーシンガー横須賀恵(33)、天才『阿木・宇崎』作品を歌う」というコンセプトで作成に着手したコンピレーションアルバム。おおよその楽曲の集約まで進めたところで、そういう企画についてnoteに書いたのが2023年の12月だったから、あれ以来およそ1年がたってしまった。実はこの間、折に触れて曲目の入れ替えや曲順の並び替えを幾度となく繰り返すうちに、ふと、自身の楽曲群への理解がまだまだ浅いことに気づき、コンセプトのスケールアップが必要だと痛切に感じるようになった。
当初は、天才「阿木・宇崎」作品をズラリと取り揃えると、さながら豪華絢爛なロック絵巻が現出することを想像していた。(それ自体は間違いではないが)今思えば赤面ものの見識の甘さだった。
もっともっと奥深いものが共通のテーマとして隠れていたことに改めて気づいたのだ。だから横須賀恵をコンセプトの起点としたコンピレーションにもかかわらずいわゆる「横須賀三部作」は含まれていないことをあらかじめお知らせしておきたい。(もちろん当初は含んでいた)横須賀三部作は、『横須賀ストーリー』から、天才「阿木・宇崎」が、百恵ちゃんのために制作した楽曲だからだ。今回のコンピレーションでは、天才たちが横須賀恵とともに創造する壮大な世界観がテーマになっていった。だから方向性が違う。遅ればせながら、天才たちの作品群にそのような隠れた構図があることに気づいたことでコンセプトがスケールアップしていったのである。
底流をつらぬいている深淵なるテーマは『生と死』、『世の無常、だからこその生の輝き』。さらにそうしたテーマをも支える『宇宙も時の流れも円環構造で輪廻転生し巡り巡ってゆくという壮大な世界観』である。こうした世界観は、恐らくは初めて「阿木・宇崎」が全曲を託されたアルバム『百恵白書』のあと、アルバム『COSMOS』の前後あたりから、天才たちの中で少なくとも潜在的に意識されていたものと想像できる。
『COSMOS』で山口百恵の中の横須賀恵が覚醒し、『銀色のジプシー』という傑作が生まれたのも偶然ではないだろう。もしかしたら天才たちが『銀色のジプシー』に触発された可能性さえある。
わたしは60年代の生まれで、今思えば、ビートルズにはやや遅れたものの、幸運にも山口百恵が歌手・女優として活躍した70年代をほぼ同ジェネレーションとして生きる機会を得た。そして天才『阿木・宇崎』も同時代の先端を走っていた。しかし当時は彼らと彼女が目指した壮大な世界観を理解するには幼過ぎた。還暦を跨いだ今、ようやくそこに織り込まれた世界観への理解に辿り着きつつあるところなのだ。
もとは17歳のアイドル歌手からのアルバム曲の発注だったのだ。続けてシングル曲を何曲か、そしてアルバムへの楽曲提供を続けていくうちに、天才たちの中で何かが起こった。それは「山口百恵」というとてつもない潜在的能力を秘めた「アイドル歌手・女優」が、少女から大人の女性にメタモルフォーゼしていく数年間に、奇蹟ともいうべき彼女との相互作用の中で生まれ出てきたものである。
そして恐らく上記の世界観は、まったく別のジャンルで同時代に比類なき活躍をしたもう一人の天才とも無関係ではないだろう。漫画の神様「手塚治虫」である。『鉄腕アトム』、『ブラックジャック』など膨大な傑作群を残した著名な漫画家であり、彼が上のような世界観を明確に打ち出した作品は、もちろんライフワーク『火の鳥』である。阿木燿子は幼き日より手塚治虫の愛読者だったのではないだろうか。少なくとも共に同時代の先端を走るクリエイターとして何らかの影響を受けていたとしても不思議ではない。
そして彼女は、どんな形而上学的な概念やテーマでも独特の曲想力から優れたロックミュージックに転化してしまうもう一人の天才宇崎竜童を最強のパートナーに得て、同時代のミューズ「山口百恵」という類まれな表現者とともに、意図したものかどうかはわからないが、この途方もない世界観を、手塚治虫とは別の形で具現化し、作品化していったのではないか。
このチームは、シングルで出す曲出す曲を、後世まで語り継がれる神がかりともいうべき歴史的ヒット曲として生み出しながら、その傍らで、アルバム制作において上記の離れ業を同時進行していたのである。文字通り「偉業」というほかない。(もちろん川瀬氏、萩田氏の存在がなければ成立しなかったことは言うまでもない)
かつてこんな神業をやってのけたチームが他にあるだろうか?と思いを巡らし、一つだけバンドの名前が頭に浮かんだ。世界は広い。そう『ビートルズ』だ。とはいえ彼らの偉業に引けは取らない。言語こそ東の果ての島国でしか通用しないために国際性においては遠く及ばなかったものの、60年代に西の果ての島国で起こった音楽史の革命ともいうべき偉業に匹敵しうる偉業だといってよい。
繰り返しになるが、底流をつらぬいている深淵なるテーマは『生と死』、『世の無常、だからこその生の輝き』。さらにそうしたテーマを支える『宇宙も時の流れも円環構造で輪廻転生し巡り巡ってゆくという壮大な世界観』である。
なんだか33歳になった山口百恵(仮想)からディスコグラフィー(オリジナルアルバム)を逆に発掘して辿るという仮想コンピレーションから始まって(『時の扉』に結実)、さらにその逆の試み、仮想の上に立つ仮想。つまり横須賀恵(33)の声質、表現力の魅力で山口百恵ブランドの代名詞でもある『阿木・宇崎』の楽曲を聴いてみたらどうだろうか、と、考えて始めたコンピレーションだったが、紆余曲折の結果、想像もしなかった高みに連れていかれることとなった。当初の構想はシンプルに、「横須賀恵(33)による山口百恵トリビュートアルバム」だったのだ。
前置きがたいへん長くなってしまって恐縮至極。
コンピレーションアルバム『輪廻』の曲目曲順は以下のとおりである。
『輪廻』
全曲:作詞 阿木燿子・作曲 宇崎竜童
序幕
1.「Space Opera」
2.「イントロダクション・春」
第二幕
3.「アポカリプス・ラブ」
4.「娘たち」
5.「死と詩 death and poem」
6.「A GOLD NEEDLE AND SILVER SPOON」
第三幕
7.「曼殊沙華」
8.「寒椿」
9.「想い出のミラージュ」
10.「ロックンロール・ウィドウ」(アルバム『メビウス・ゲーム』Ver.)
11.「夜へ…」
終幕
12.「不死鳥伝説」
13.「輪廻」
アンコール
14.「歌い継がれてゆく歌のように」
観客退場時のBGM
15.「シニカル」
もし上記のようなコンピレーションをスマホアプリで作成できる環境をお持ちでしたら、ぜひお試しいただきたい。聴き込むほどに素晴らしい、極上の音楽体験を味わえるものと信じている。わたし自身、何度リピートしたかわからない。
『輪廻』。このコンピレーションアルバムを、『時の扉』とともに、この先の人生で何度聴くことになるだろう。
時を改めて、なぜこの曲目なのか曲順なのかを含め、楽曲ごとのわたしなりの紹介についてもしたためていきたい。長くなってしまうので、それはまた別の機会に。
いささか長文の記事をお読みいただきありがとうございます。
改めて感謝申し上げます。