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ある警察官

怪我をしても守りたかったものとは

 先日、近くの商店街を妻と歩いている時だった。
    前方の花屋の軒先に陳列してある生花を包丁様のもので切り落としている男性がいた。
    どう見ても花屋の店員には見えず、何をしているのだろうと不審に思いながらその前を通り過ぎようとした時だった。
    店内から出てきた中年の女性が、その男性に向かって
           あなた何をしているのですか
           それ売り物なのよ
と叫んだ。
    しかし男性は彼女の方向を振り向くこともせずに、何かブツブツと独り言をつぶやきながら包丁を振り回しはじめた。
            おかしい?
            危ない ❗
と直感した。

    私はひとまず妻を少し先に行かせて、花屋の店長とおぼしきその女性に近づいて
            ちょっとこの人おかしいですよ
            近づかないほうがいいと思います
            私110番しますから
と言った。
    あまり警察とは係わりたくないと思いつつも、通報が遅れれば人の命にかかわる緊急事態だと思った。
 好き嫌いなど言っている場合ではない。
 誰だってこのようなことにはかかわり合いになりたくないだろう。
 でも遭遇した以上は、最低限のことだけでもしないと悔いが残る。 

 妻のもとに行って少し男と距離をとり、スマホで110番通報する。
 横にいた妻は
   かかわり合いにならないほうがいいよ
   このまま行きましょう
と不安げに言った。
 その妻をしり目に、電話に出た警察官に自分の名前と要件を告げ、現場を知らせた。
 警察官が来るまでも人通りはあったが、見知らぬふりをして通り過ぎる人や恐れおののく感じで足早に通りすぎる人がほとんどだったが、男はその花屋の前付近で包丁を振り回し続けていた。
    事情を知らずに通りかかった人が傷つけられないかヒヤヒヤだった。
 
 待っている時間が以上に長く感じられたが、15分ほどした頃パトカーのサイレン音が聞こえ、しばらくするとその姿が見えた。
 パトカー1台と覆面パトカー1台が到着し、降りてきた警察官が手招きした私のもとへ駆け走ってきた。
 制服と私服の警察官合わせて5、6名くらいだろうか。
 全員がテレビで見る機動隊が持っているようなジュラルミン製のような大きな銀色の盾を持っていた。
 私に近づいてきたのは、年長者と思しき私服の刑事さんだった。
 私はその人に自分が見たままを伝え、男のほうを指さした。
 既にほかの警察官は盾を持って、男に近づいて行くところだった。

 サイレンの音や警察官が来たことで、より耳目を集めるところとなり今度は回りが野次馬で多くなり始めた。
 中には警察官の職務執行を見れると思ったのか、面白半分にスマホで動画を取り始める若者まで現れた。
 おそらくSNSにでもアップするつもりだろう。
 まったく、今時の若者といったら・・・

 私から話を聞いたのは現場の責任者だったらしく、手短に話を聞き終えると、男に近づきつつあった警察官に対して、語気鋭く
   確保しろ
と命令した。
 その命令一下、警察官は男との距離を詰めたかと思うと、それぞれ手にした盾を男に押し付けるようにして倒した。
 しかし男は倒されながらもさかんに包丁を振り回して暴れている様子が盾の隙間から見え隠れした。
 そして何か奇声をあげていたが、警察官の一人が取りだした手錠が男の手にかけられるのが見えたかと思うと
   〇時○分、確保
と声をあげた。
 その間わずか数十秒。
 あっという間の出来事だった。
 男は手錠をかけられながらも
   ちくしょー
   はずせこの野郎
などと怒鳴って暴れていた。
 この時になって初めて、男の近くに落ちている包丁が目に入ったが、その刃先には血が付いていた。

 初めて見る緊迫した現行犯逮捕の瞬間だった。
   
   よかった・・・
と、その場に居合わせた人は誰しも胸を撫で下ろしたことだったろう。

 しかし、その直後だった。
 集まった群衆の中から、女性の声で
   あんなに大勢でよってたかって
   押し倒すなんて
   やりすぎじゃない
            それにあの人どう見ても
            おかしいじゃない
            それを云々・・・  
という声が聞こえた。
 すると、それに賛同するかのように
   そうだよな
   逮捕はやり過ぎじゃないかな
           もっとほかに方法はなかったのかな
   あれじゃ、ちょっと可哀想だ
と言う声まで耳に入った。
 そのような声は、警察官が現場に来てから集まってきた群衆のなかから聞こえた。
 おそらくその声はスマホで動画撮影した人の映像にも音声として残っただろう。
 そして
   警察官の過剰な職務執行
などと無責任なタイトルをつけられ、拡散するかもしれない。

   おい、おい、ちょっと待てよ。
   通報した俺の立場にもなってくれよ。
   あんたら、あの男が花屋の店長さんに
   切りかかったかもしれない現場を
   見てもいないくせに・・・
   よくそんな無責任なことが言えるな
   こっちも命がけといったらオーバー
   かもしれないが必死に通報したんだぜ

と、内心愚痴ってしまった。

 しばらくすると、先ほどの刑事さんが私のもとへ再度駆け走ってきて
   通報ありがとうございました
   おかげで通行人には危害が
            及びませんでした
   男は精神的にちょっとどうかな
           という感じなので、責任能力が
           あるかですが、あとは警察で
           判断のうえ処理します
とお礼の言葉を述べて、部下たちのほうを振り返った。
 その時男を取り押さえていた若い警察官のひとりの右手から、だらだらと血が流れていた。
     包丁に付いていた血は彼のものだったのだろう。
 それを見た刑事さんは
   馬鹿野郎
   だからあれほど言ったろう
   確保する前に必ず包丁を叩き落せと!
   帰ったら早く手当てしてもらえ
と語気鋭く叱った。
 可哀想に、せっかく怪我をしてまで我々のために頑張ってくれたのに・・
 でも
   帰ったら早く手当てをしてもらえ
との優しい一言も忘れずに付け加えている。
 本当は部下思いの厳しくも優しい上司なのだろう。
 自らの危険を顧みず職務に励む警察の厳しい世界を垣間見た思いであった。

 私は刑事さんに
   怪我人まで出させてしまって
   ありがとうございました
と軽く会釈をして現場から離れようとした。

 しかし先ほど群衆のなかから声をあげた女性が、その刑事さんに近づいて来て
             ちょっとやり過ぎじゃない
             これは人権問題になるわよ
などと警察官に向かって文句を言ってから去って行った。
    よっぼど警察のやり方が気に入らなかったのだろう。
 私は刑事さんに
   ひどい連中もいるもんですね
   自分たちは助けてもらっていながら
と不満をぶちまけた。
 本来ならその女性に向かって言わなければならない言葉を真逆の立場の警察官に向かって言ってしまった。
 ところがその刑事さんは
   まあいろいろな考えの人がいますから
   そんな人も含めて全部守るのが
   我々の仕事ですから・・・
と言ったのだ。 
 耳を疑った。
 目の前で警察に批判的な言動をした人たちさえ
   全部守りますから
と言ったのだ。
 私は思わずその女性の前に行って、こう言ってやりたかった。
   あなたがどんな考えを持とうが
   自由だ
   でもこれだけは忘れないで欲しい 
   今の現場で警察官が怪我したけど
   彼らが来なければ我々の誰かが
   間違いなく怪我していた
   そりゃ警察の仕事と言えば
   それまでだ
   だけど彼らが頑張ってくれている
   お陰で平穏にいられるんだ
   まず、それに対してお礼を言う
   のが筋じゃないか
と・・・
 でも言えなかった。
 言葉さえ発することのできない自分が情けなかった。
 所詮私のできることと言ったら通報するくらいだった。

 その夜夕食を終え、ぼんやりテレビを見ている時
   ニュースにでもなるかな
とも思ったが何も報道されなかった。
    そうだろう。
 精神疾患者がニュースに出たりしたら、それこそ家族から
   人権侵害だ
などと逆に訴えられかねない時代だ。
 現場で警察官に文句を言っていた女性も、そのことがあったとからこそ騒いでいたのだろう。
     いわゆる人権派とかいう類の人だったのだろう。
 しかしそれは結果論でしかない。
 
 相手がどんな精神状態であれ、あの時近くにいた人に危害が及びそうだったことは事実だ。
     また、もし薬物依存性の者が被害妄想にかりたてられての行動だったとしたら、さらにひどい状況になっていたかもしれない。

 そしてもしあの時警察官が到着する前に、誰かがあの男から切られそうになったらどうなっていただろう。
 包丁と言えど相手が凶器を持っていれば、武芸の達人でもない限りこちらも何らかの武器を持たないと対抗できない。
 そうしないと自分の命が危ない。
 だから警察官は最悪の事態に備えて拳銃や警棒を持っている。

    あの女性は、もしウクライナのように日本が外国の軍隊から攻めいられた時、自衛官がそれを防ぐために戦って相手を死傷させても同じことを言うのだろうか。
            やり過ぎじゃない?
と・・・
    あるいは
            それとこれでは次元が違う
と考える人もいるかもしれない。
    そうだろうか。
    確かに次元は全く違うが、他国に攻めいる人の精神状態が正常と言えるだろうか。
    おそらく自国内で教育等を通じてマインドコントロールされているからこそ自分がやっていることが正しいと思いこんでいるはずだ。
     人を殺すことも厭わないことに従事するためには自分の行動を正しいものだと正当化できる強固な意志が必要なはずだ。
    しかしそれは他国からすれば正しいことではない。
    異常なことだ。  
    つまり不測の事態ということでは、精神疾患者や薬物依存者に直面した時と同じだ。

 この体験を通して、国防の重要性も身に染みてよく分かった。

    遠くでサイレンの音が聞こえている。
    今日も街のどこかで、我々国民を守るために昼夜の別なく奔走してくれている現場の警察官が たくさんいる。
    そしてそのほとんどはニュースにさえならない。
    こんなことにでも遭遇しなければ、サイレン音も街で聞こえる
            音の風景
のひとつでしかなかったかもしれない。
    彼らがニュースになるのはより重大な事件事故の時と、不祥事があった時だけだ。
    特に不祥事となれば、メディアはそれこそ鬼の首を取ったように大騒ぎする。
    まるで自分たちこそが正義の味方だと言わんばかりに。 
    しかし今日現場で会った刑事さんの一言は心に染みた。
            どんな人も守るのが仕事です
     彼こそが本物の正義の味方だ。
     とかくメディアは権力側にある人を叩きたがる。
     政治家、自衛官、警察官・・・
     確かにメディアには彼らなりに
             権力の暴走を止めるのは
             我々しかいない
と言った使命感があるのかもしれない。
    でも今回のように危機的事態にあって、最後に我々を守ってくれるのも、そのメディアが毛嫌いする権力だ。 
     権力がないと治安を守れないし、武器を持たないと国は守れない。
    憲法9条だけでは国は守れない。
    現実の平和は
           どんな国民も守る
という強い信念を持った多くの「防人」で守られている。

    それにしてもあの警察官の怪我、大丈夫だったろうか。
 かなりの出血だったようだが。
 大事に至らなければいいが・・・
  
    
    


   

   


             

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