憲法9条を守れ?
日本は守らなくていいのか?
先日ニュースで、夫婦別姓のアンケートを実施したところ
別がいい
つまり結婚してもそれぞれ自分の姓を名乗ったほうがいいという人が全体の6割にのぼったということを報じていた。
ただその理由については「いろいろな理由があるようです」とアナウンサーの口調は重かった。
また別の日には、離婚後の親権について、離婚した男女それぞれが同等の権利を有する改正民法が可決成立したと報じていた。
確かに夫婦が別姓であれば、いつ離婚しても他人には分からないし、働いていても仕事にも差支えはないだろう。
そして離婚しても親権が同等であれば、双方いつでも子供とかかわり合えることになり、はたから見れば離婚したようには見えないかもしれない。
じゃあ最初から結婚などせずにおけばよいのに・・・
とか
離婚する前にもっと話し合えばよかったのに・・・
など、他人事とは言え余計な口出しをしたくなる。
とは言え、前述のアナウンサーが述べたように、人にはそれぞれ「いろいろある」のだろう。
では日本では、婚姻は法的にどう定義されているのだろう。
憲法第24条第1項では
婚姻は両性の合意のみに基づいて
成立し、夫婦が同等の権利を有す
ることを基本として、相互の協力
により維持されなければならない
と定めてある。
そして民法第750条は
夫婦は、夫または妻の姓を称する
と定めて、全ての夫婦に対して婚姻に際していずれか一方の姓を変更して夫婦同姓となることを義務づけており、それぞれが婚姻前の姓を維持したまま婚姻することを認めていない。
どちらかの姓にしないと婚姻届さえ受理されないのだ。
これを
夫婦同姓制度
と言うらしいが、前述の夫婦別姓のアンケートなるものを尊重しようと思えば法律の改正が必要になる。
また最近はジェンダーレスの風潮から同姓婚なるものもあり、一部自治体ではそれを認めて婚姻届を受理するところもあるらしい。
ところが前述の憲法の規定では
婚姻は
両性の合意のみ
に基づいて成立するものと書いてある。
また、法のもとの平等を定めた憲法第14条では
性別で差別してはならない
とも定めてある。
これらをごく普通に解釈すれば、「両性」とは男女のことを言い、「性別」とはその男女別のことを言うのではないだろうか。
性について上記のように憲法で定義しているのに、同性婚に何も法律的な問題はないのだろうか。
憲法に反する、つまり「違憲」な婚姻とはならないのだろうか。
まあ、単に両性を婚姻の当事者双方の性と捉えられなくもないが、このことをあまり問題視する人がいないのは不思議だ。
声を挙げれば、メディアから
ジェンダーレスの理解が足りない
と叩かれるからだろうか。
しかし夫婦別姓の問題は法律の改正で解決するかもしれないが、同性婚、つまりジェンダーレスを本当に解消しようと思えば
憲法改正
は避けては通れない問題だと思う。
しかしメディアは決してそのような声をあげようとしない。
同性愛者のためになることなのに・・・
憲法9条の憲法改正論議になれば、あれほど大騒ぎして反対しているから「憲法改正」という言葉がジレンマにでもなっているのだろうか。
日本国憲法の基本原則は、上の画像にあるとおり
国民主権
基本的人権尊重主義
平和主義
だ。
国民主権主義と基本的人権尊重主義は分かる。
この概念は、もはや世界の民主主義国家の根幹をなすものである。
ただ平和主義とはいったい何なのか。
その根拠は、憲法第9条の
第1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、国権の発動
たる戦争と武力による威嚇又は武力の
行使は、国際紛争を解決する手段とし
ては、永久にこれを放棄する
第2項
前項の目的を達するため、陸海空軍そ
の他の戦力はこれを保持しない
国の交戦権はこれを認めない
になるだろう。
しかしこの憲法が制定された後の世界情勢を振り返れば、この条文がいかに陳腐な理想論でしかないことが分かるだろう。
平和主義を掲げている国は世界中にたくさんあるが、軍隊を持たないうえに交戦権を否定しいてる国などない。
永世中立国のスイスでさえ、徴兵制と武装中立で国を守り、おまけに兵器製造はスイスの主幹産業でもある。
ハリネズミのように武装してこそ成り立つ平和なのだ。
日本だけが第1項に書いてある
正義と秩序
を基調とする国際平和を求めても、これまでいつの時代も戦争や国際紛争だらけだった。
お隣中国などは、国際紛争を解決する手段として
武力による威嚇と行使
を常として、南シナ海や尖閣諸島、台湾近海など世界中で猛威を振るっている。
第2項に至っては、回りにそういう国があっても
日本は憲法がありますから
何も反撃しません
そのための戦力も持ちません
どうぞお好きに侵略してください
と堂々と宣言しているようなものだ。
さすがにこれではまずいと思ったのか、後にあとづけで
自衛のための武装とその戦力保持は
許される
と拡大解釈されるようになり自衛隊を持つに至ったが、決して軍隊とまでは言わない。
今や他国から見れば十分な戦力を持つ世界有数の「軍隊」であるにも関わらず「自衛隊」という名前でごまかしている。
どう見ても、これはもう憲法を改正するしかないところまで来て久しいが、日本では未だに
憲法第9条
を金科玉条のごとく信奉している一派が少なからずいる。
これはもう、現実の世界情勢からしたら一種の宗教とも言える概念なのではないだろうか。
ウクライナのように突如外国が攻めてきたら
我が国には憲法9条がある
出ていけ
とでも言って敵の銃口の前に立つつもりだろうか。
そこまでの覚悟があればまだ立派だ。
百歩譲って、自衛のための戦力しか持てないのであれば、集団的自衛権の行使の問題は避けて通れないだろう。
日本だけで自国の防衛に不安ならば、他国と同盟するしかない。
ただこの問題についてメディアでよくある論調は
戦争に巻き込まれる
他国の戦争に関与していいのか
というものだ。
では、もしウクライナがNATOに加盟していたらどうだったろうか。
おそらくロシアはウクライナに手を出していないと思う。
なぜなら、ロシアはNATOに加盟している西欧諸国をはじめアメリカとも戦わなければならなくなるからだ。
平たく言えば、他国と同盟を組むことが集団的自衛権なので、そのほうが戦争に巻き込まれないですむのだ。
つまり同盟を結んだほうが平和ということになる。
もっと分かりやすい例をあげれば、学校で一番強いガキ大将(古い例えで申訳ないが、今も昔もそういう類の子供は必ずいる)の取り巻き連中に手を出す子供がいるだろうか。
いないと思う。
なぜならガキ大将が怖いからだ。
子供でも分かる理屈だ。
例えは悪いが、ガキ大将の下にいればいじめられない。
ガキ大将をアメリカに置き換えれば、かの国と軍事同盟を結んでいる日本の立ち位置がよく分かる。
ガキ大将と例えられてアメリカは面白くないかも知れないが、日本に本気で手を出そうという国はいないだろう。
なぜなら世界最強の軍隊を持つアメリカが怖いからだ。
つまり、子供でも分かる理屈で平和は保たれている。
だから中国やロシア北朝鮮などは、日本にあらゆるチャンネルを使って恫喝したり、領海や領空を侵犯したり、日本近海にミサイルを落としたりするだけで、日本に攻めこもうとはしないだろう。
同盟国のアメリカが怖いからだ。
中国にしても、相手が弱いかつけいる隙があると見れば、武力による威嚇や行使をするが、決して強い国であるアメリカやNATOなどとは事を構えようとしない。
北朝鮮も、本当に日本にミサイルを落としたらどうなるか分かっているから、その近海にわざと落としている。
それをメディアは真に受けて、大騒ぎし国民の危機を煽る。
まあ他人の危機を煽って部数を伸ばすのが仕事だから、しっかり備えはして話半分程度に聞いておけばよい。
しかしメディアの影響力は大きい。
多くの国民が影響を受けるだろう。
ところが、これだけ危機を煽りながらも、こと憲法のことになれば、一部メディアは
憲法9条改悪反対
と、烈火のごとく反対する。
現下の危機的な安全保障環境を煽りながら憲法9条には反対することが矛盾する、つまり二枚舌になっていることには気づかないのだろうか。
夫婦別姓の問題、離婚後の親権の問題、ジェンダーレスの問題、いろいろ問題提起するのはまだ良い。
世界は、日本は常に変わってきている。
いつまでも昔と同じ価値観のまま推移するとは思っていない。
変わるべきものは変え、新しくすべきものは新しく、またその必要性がないことまで含めて多いに議論して結論を出し、国民の総意が法改正の必要や憲法改正の必要を望むならそのほうに進むしかないだろう。
ただそれを最終的に決めるのは、あくまでも主権者の国民であって決してメディアではない。
メデイアの役割りは、その意思決定のためになるべく多種多様な情報を国民に提供することだ。
ジェンダーレスの問題についても、以前ある官僚が
見るのも近くに住まれるのもいやだ
と発言したことをオフレコで取材しておきながら、それを公表して彼を辞職に追い込むという汚いやり方でつぶすのではなく、そういう考え方の人の意見もきちんと報道するのが本来のメディアの姿ではないだろうか。
あとは国民がその両方の意見を見比べて判断し、最終的には法制化すればよいのである。
今のメディアは、何かその前段階で自分たちの価値観を国民に押し付けているような気がする。
まだ夫婦別姓やジェンダーレスの問題はいい。
時代の流れでそういう時代になっているのかもしれない。
しかし国防については、メディアが偏向した報道ばかりすると、国民の正常な国防感覚を阻害し、ひいてはそれが某国の危機を招きかねないと思う。
憲法9条改悪反対!
と叫ぶ前に、その眼を世界に向けてから言って欲しい。
そしてどのような言論空間であろうと、己の務めを誇りに国防の任についている自衛官に敬意を払って欲しい。
日本は言論の自由が保障されているので、どのような主義・主張を叫ぼうと自由であるが、それが可能なのも、厳しい安全保障環境に苦慮しながらも平和を維持している自衛隊があってこそということにも気づいてほしい。
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