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ノーベル平和賞に思う
以外と腹黒い?
アングロサクソンの「平和」戦略
被爆者の立場から核兵器廃絶を国内外に訴えてきた
日本原水爆被害者団体協議会
が、ノーベル平和賞を受賞した。
受賞理由は
核兵器のない世界を実現するための
努力と、目撃証言を通じて核兵器が
二度と使用されてはならないことを
実証したことに対するもの
らしい。
戦後80年近くも経ってようやく気づいてくれたのか。
受賞時に同会を代表して
田中照巳氏(93歳)
がスピーチを行い
核抑止論ではなく、核兵器は一発
たりとも持ってはいけない
と呼びかけた。
その理想論をどう評価するかはともかく、受賞は世界で唯一の被爆国として価値あるもので、世界に発するメッセージは大きなものがあった。
事実、田中氏の被爆体験を交えた演説内容は世界中に発信され、多くの人に感動を覚えさせるとともに、核廃絶の重要性を知らしめることとなった。
ただ現実を見る時、世界の平和は「核抑止論」で成り立っている。
2024年時点で、核弾頭の保有数は世界中で
約1万5000発あまり
もあり、その9割が米ソ冷戦時代の遺物として、いまだにアメリカとロシアが大量保有している。
米ソ冷戦中のピーク時最大約7万発からすると一貫して減少傾向にあるものの、それは単に冷戦が終わったからである。
そして、核兵器不拡散防止条約(NPT)により核保有を正式に認められているのは
アメリカ、ロシア、イギリス
フランス、中国
の5か国だけであることから、いまだに世界は国際連合の常任理事国となった第二次世界大戦の戦勝国で牛耳られていることになる。
敗戦国のドイツはNATOに組み入れられ、日本は日米安保条約でアメリカの傘下に入れられ、欧米諸国の核の傘によって安全保障環境を保たれ、彼らの子分に甘んじている。
このほか、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮など隣国と覇を競い合っている国や独裁国家など政情不安定な国がNPTに加盟しなかったり脱退したりして核を保有していることも不気味だ。
その後崩壊したソ連に変わり、近年アメリカと覇権を争おうとしている中国に至っては物凄い勢いで核弾頭保有数を増やしており、新たな緊張の時代に突入している。
現在地球上にある核兵器で、地球が10回ほど破壊するだけの威力があるらしい。
冷戦が終わったとは言え、いまだに世界は核の抑止力によって平和が保たれているというのが実情だ。
日本への原爆投下後現在に至るまで、ただの一度も核兵器が実戦に使われていないことを思う時、その抑止力の大きさは計り知れないものがある。
広島、長崎の甚大な被害があったからこそ、世界はその威力に括目し
二度と使ってはならない
相互に使い合えば
人類の破滅に繋がる
ということを理解し、今の平和が保たれている。
そしてその核を持つということが、敵対国に対する強力なカードとして機能している。
残念なことだが、それが世界の現実だ。
広島には、有名な原爆ドームがある。
言わずと知れた、先の大戦で人類初の原爆投下により被爆した建造物で、世界遺産としても登録されている。
建物自体は大正4年(1915年)にチェコ人の建築家ヤン・レツル氏の設計により完成し、県の物産陳列館として主として県内物産の展示・即売会の会場として利用されたほか、美術展や博覧会など文化事業の会場としても利用されたらしい。
被爆前の戦争末期は内務省の地方事務所など官公庁として使われていたらしいが、爆心地から約160メートルという至近距離で被爆したため、建物は爆風と熱線を浴びて瞬時に全焼し、中にいた職員は全員即死した。
おそらく1平方メートルあたり35トンと言われる強烈な爆風と、爆心地付近で4000度近くに達するという高熱から、人間など瞬時に焼失したことだろう。
なにせ鉄が溶ける温度でさえ1500度だ。
建物の木材部分は瞬時に焼失したが、鉄筋部分と頑丈に作られたレンガ部分だけがなんとか原型をとどめ、1996年に原爆の悲惨さを後世に伝えるものとして世界遺産登録された。
しかし登録にあたっては、落とした本人のアメリカが最後まで反対したらしい。
広島の3日後、長崎にも型式の異なる原子爆弾が落とされたが、これら2発の爆弾の威力はすさまじく、それぞれたった1発で都市を壊滅させる威力があることを全世界に知らしめた。
数年前広島県に旅行した時、この原爆ドームを見学後
広島平和記念資料館
を訪れた。
館内には、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料が多数展示されており、改めて今の日本の平和の礎として、かつて多くの犠牲があったことに思いを至らされ、瞑目せざるをえなかった。
そして、資料館の外にある平和公園には、原爆慰霊碑があり、そこには
安らかに眠って下さい
過ちは繰り返しませぬから
という奇妙な日本語が刻まれていた。
この碑文については、以前から
被害者である日本が「過ち」を
犯したかのような文言
であることから物議をかもしたこともあるが、日本人で普通に国語を習った人ならば、誰しもそう思うだろう。
日本語は文脈で分かる場合「主語」を省くが、それを利用した姑息な自己批判の手段、すなわち戦後蔓延した自虐史観の臭いがする。
東京裁判にかかわったインドのパール判事も、原爆慰霊碑ができた年に広島を訪れて
原爆を落としたのは日本人ではない
のに、碑文は表現が不明瞭だ
などと指摘している。
このような批判にさらされた広島市は
すべての人々が原爆犠牲者の冥福
を祈り、戦争という過ちを再び
切り返さないことを誓う言葉であり
過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越
えて全人類の共存と繁栄を願い
真の世界平和を実現を祈念する
「ヒロシマ」の心が刻まれているもの
と説明し、その旨多言語でも説明板を設置している。
批判をかわすためのあとずけの詭弁にしか思えないと感じてしまう。
この碑文の作者は、広島大学の英文学教授だった
雑賀 忠義(さいか ただよし)氏
という方らしいが、氏は当時の広島市長から依頼を受けて、わずか2時間で構想をまとめ、翌日には現在の文を完成させたらしい。
その雑賀氏は、碑文の主語を
わたしたち全世界の人々
と説明している。
だったら最初からそう書けばよかったではないか。
雑賀氏の意図するとおり
全人類は・・・
とでも主語を付ければよかったではないか。
この碑文が完成したのは
1952年7月22日
で、日本がGHQの占領政策が終了してサンフランシスコ条約が発効し独立を回復した
1952年4月28日
の直後である。
思うに、それまでは占領政策により日本の隅々までGHQの検閲の目が光っていたような時代だったので、日本独自の「忖度」でもして、主語を抜いた曖昧な表現とし、アメリカを悪者にしないよう配慮でもしたつもりだったのではないだろうか。
しかし、この碑は全国より小学生から高校生に至るまで修学旅行等で訪れて献花をしたり祈りを捧げたりする場所でもある。
学校では先の大戦を負の遺産としか植え付けられていない子供たちに、碑の文面の持つ意味はあまりにも大きい。
碑文が変わらなければ、未来永劫日本の子供たちは広島に来て、さらなる自虐史観を植え付けられることにならないだろうか。
現在日本の平和教育は、必ずと言っていいほどこの自虐史観とセットになっている。
これでは子供たちは自国の歴史に誇りを持てないだろう。
なんとも残念なことだ。
また2023年G7サミットが開催された時、当時の岸田首相は迷うことなくその開催地を自身の出身地である広島にして、嬉々として各国首脳をこの慰霊碑にも案内したが、彼らはこの碑文を見て何を思っただろうか。
特に加害者という立場の国のアメリカのバイデン大統領は・・・
日本人はなんと稀有な民族だろう
自らを反省し、他者を恨まないなんて
決して表には出せない本音はそんなところか。
G7の加盟国ではないロシアの話であるが、日本人のことを
原爆を2発も投下されておきながら
戦後その国と同盟関係を結ぶなんて
ロシア人なら絶対にしない
と言ったそうだ。
なるほど、そういう見方をする国もいるのか。
実は先の大戦末期、日本も原子爆弾の開発に着手しており、陸軍は戦況を挽回するためにその爆弾による米本土爆撃も検討していたが、これを知った昭和天皇は激高し
いかに戦況の挽回とはいえ
そのような非人道的な兵器
を使えば世界が滅んでしまう
そのようなことになれば
私は先祖に対して申し開きの
しようもない
と、その使用を諫めたらしい。
しかしアメリカは人体実験でもするかのように、2種類の原子爆弾を日本の都市に落とし、その絶大な効果を検証した。
一説によると、戦後ソ連との覇権争いを予想したアメリカのソ連に対する威嚇だったというものもある。
どうだ!
俺たちはこんなすごい兵器を
持っているのだぞ
と・・・
本当であれば、それに利用された日本はたまったものではない。
広島市民約14万人、長崎市民約7万人が大国同士の覇権争いの犠牲となったと考えれば、何とも忍びがたい思いに包まれる。
またアメリカは、当時日本と同盟国であったドイツには、なぜか原子爆弾を使用していないが、これは有色人種に対する根強い人種差別があったからにほかならないだろう。
人間と思っていなかったからこそ、このような非人道的行為がやすやすとできたのだろう。
あまり今の日本人には知られていないことだが、先の大戦末期、米軍は人類史上かってない戦争犯罪を犯している。
東京大空襲だ。
昭和20年3月10日午前零時過ぎ、人々が寝静まった頃を狙い、帝都東京上空に現れた300機あまりの巨大爆撃B29は、東京墨田区江東区を中心とした周囲の東西5キロ、南北6キロの範囲に焼夷弾を落として住民の退路を断った上、その下に1平方メートルあたり3発、総計2000トンもの焼夷弾を約2時間半に渡って落とし続けた。
一夜にして焼死者10万人、負傷者11万人4000人、焼失家屋26万8000戸。
民間人大量虐殺以外の何物でもなかった。
一説によると、日本の敗戦間近と見た米軍が将来日本に駐留して統治するため、事前に抵抗勢力を根絶やしにする一歩だったとか。
その後米軍は、終戦までに人口の多い順に日本全国64の都市を焼き払った。
当時のアメリカ国民も、この国際法違反に対して何の良心の呵責もなかったようである。
その頃発刊された「ライフ」という雑誌にもこう書いてある。
アメリカ人はドイツ人を憎むことを
学ばなければならないが、ジャップ
に対しては憎しみが自然と沸いてくる
これはかつてインディアンたちと
戦った時と同様に自然なものだ
翻って日本は、明治維新以降、ひたすら国際社会で人種差別撤廃を訴え続けてきたが欧米各国に無視され続け、それがなくなったのは先の大戦が終わりアジア、アフリカ諸国が次々と独立を果たしてからであった。
そのことを思う時、負けたとは言え日本の果たした役割は大きい。
世界の覇権を握るためには良心の呵責すら感じずに原子爆弾を使用し、最近まで植民地政策と人種差別政策によりアジア・アフリカ諸国民の人権を一慮だにしなかった欧米諸国。
世界平和のために原爆の使用を諫めた天皇、そして自らの母体を苦しめても人種差別撤廃という理想を実現した日本。
どちらが真の平和主義者だろう。
今回の受賞に先立つこと約8年前の2016年5月、アメリカのオバマ大統領が現職の大統領として初めて広島、長崎の地を訪れ献花して祈りを捧げた。
彼がその地で何を思ったが定かないが、アメリカでは以前として自国の原爆使用を誤りと認めず、むしろ
自国民を無駄に死なせることなく
戦争の終結に貢献した
と肯定的に捉え、誇りに思っている人も多いらしい。
今でも広島に原爆を投下した
エノラ・ゲイ
という名前のB29という巨大な爆撃機は、
スミソニアン航空宇宙博物館別館
に、歴史的遺物として堂々と展示されている。
オバマ大統領は、2009年に
核なき世界
の平和理念を訴えてノーベル平和賞を受賞しているが、穿った見方をすれば、広島訪問はその実績造りの旅だったかもしれない。
ただ、なぜか原爆や東京大空襲という戦争犯罪による死者数およそ30万人と合わせるように、極東軍事裁判という陳腐な裁判劇で
日本軍による南京大虐殺30万人
という話が突然出てきたことは解せない。
数合わせで話をごまかすつもりかもしれないが、今回の受賞も
日米双方平和賞を出したから
これで手打ちとしないか
という腹黒いアングロサクソンの「平和戦略」のような気がしないでもない。
先日も12月8日未明の真珠湾攻撃によるアメリカ軍犠牲者を追悼する行事を日本のテレビ局がそれに同調するようにニュースにして流していた。
他国の犠牲者を追悼しておきながら、靖国神社に参拝し英霊に哀悼の意を捧げる政治家を糾弾する異常な国日本。
いつまでこの国は諸外国に迎合する気だろう。
アングロサクソンの高笑いが聞こえてきそうだ。
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