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届いた同窓会案内

あれから50年!

 先日高校の同窓会事務局から、同窓会案内の封書が届いた。
 高校は自宅から約30分くらいかけての汽車(電車ではない、ディーゼル車)通学だったので、学校近辺にあまり友人はいなかった。
 このため卒業後は、同じ駅から通学していた人や、偶然にも大学や社会に出てから再び顔を合わせることとなった人たちと細細とした付き合いがあった程度で、多数派とも言える高校所在地の人たちとは疎遠となり、同窓会の類のものは出席してこなかった。
 その封書を開けてみると、同窓会の案内状に同級生名簿が同封されており、そこには
   あれから50年!今年65歳になって
   年金も満額もらうようになり
   胸を張って高齢者と言えるように
   なった同級生の皆さん
   古き良き時代に思いを馳せて
   親交を取り戻し、今後の生きる糧
   としませんか!
と、なかなか参加意欲をくすぐる「名文(?)」が書かれていた。

 そうか、我が青春時代の真っただ中とも言える頃も、もう50年も昔のことになったか。
    50年といえば半世紀だ。
 懐かしいその頃に思いを馳せながら、同封の名簿に目を通した。
 同級生は全部で277人もおり、自分のクラスは41名もいた。
 少子高齢化の現在、今の若い人から見てこの人数が多いとみるか少ないとみるか分からないが、こうして目にすると
   そんなにいたか
と思ってしまう。
 名前を見ただけで、顔をすぐ思い出す人やそうでない人、クラスに女子生徒も10名もいたことになっているが、名簿は全て在校時のものとなっていたので結婚して姓が変わった人もいるだろう。
 顔がすぐに思い出せるということは、自分の記憶の中にとどまるなにかがあったからだと思うが、それが何なのか分からない。
 ただその人の顔が自分の記憶に刻まれているということは確かだ。
 それだけでも嬉しく、懐かしさがこみ上げてくる。
 でも50年も経てば、人相や体格もだいぶ変わっているだろうなあ。
 太った人、痩せ衰えた人、剥げた人、白髪だらけの人・・・
 会って分かるかな~?
 そしてクラスは違ったけど、密かに思いを寄せていたあの娘・・・
 結婚したのかな?
 もう子や孫に囲まれて幸せな老後かな?
 ひょっとして、まだひとり?
 名簿を見ているうちにいろいろな不安と少しばかりの期待が入り交って、少し顔を出すことに迷いも生じる。

 それを見抜いたのか、横で名簿をのぞきこんでいた妻から
   いいじゃない!
   顔を出しなさいよ
   私も中学校の還暦同窓会に
   顔を出したけど楽しかったわよ
と言われる。
 おまけに
   同窓会で変なロマンスとか期待
           しないでね
と、まるで心を見透かされたかのように釘をさされる。
   まさか、もう初老の域に入った
           じいさんとばあさんの集まりじ
           ゃないか
と言うと
   私ね、還暦同窓会で
   『昔好きでした』
   と告られたわよ
と言われる始末。
 おいおい、煽るのかよ。

 また名簿を見ていると名前の下にアンダーラインが入っている人もいたが、住所不明等により案内状が発想できなかった人とのこと。
 数えると全部で29名。
 全体の約1割。
 都会に出てもうそこに馴染んで、古里には目を向けなくなったのかな。

 さらに、各クラスごとの名簿の下のほうには、少し行をあけて
   逝去
の添え書きがついた人が15名もいた。
 その中には、優秀だった者や結構ワルだった者もいる。
 そうかあいつら、もうこの世にいないのか。
 5パーセントの人が既に鬼籍か。
 病気かな、それとも不慮の事故かな、なんだろう・・・
 亡くなった人には悪いが、逆にこの年まで生きて来られたことが奇跡に思え、自然と感謝の念が生まれる。
 名簿に目を通すだけで、いろいろなことに思いが至る。
 同級生というものはいいものだなあ。
 とも感じる。

 しかし、さあどうしたものか。
 出席か、欠席か・・・
 同封の返信用ハガキの回答期限は約ひと月先だ。
 行くとなれば宿泊先も確保しなければならない。
 楽しめればいいが。
 地元の連中ばっかり集まるのじゃないかな。
 しかもそこでいい顔になった連中ばっかり・・・
とか、どちらかと言えばネガティブなほうへ気持ちが傾く。
 歴史好きで過去を振り返ることは好きなのに、いざ自分の過去と向き合うとなると、そう華やかな青春時代とは言えなかった自分史を思い出し、今さらなあという気持ちも持ち上がる。
 おおいに悩んだ。
 その後、同窓会とは関係のない友人3名と飲んだ時に、そのことを話題にしてそれぞれに意見を求めてみた。
 すると3名とも
   出たほうがよい
   肩書を忘れて集まれる
   数少ない場所だ 
とか
   私は毎年楽しみにしている
など、肯定的な意見だった。
 そして決定的なアドバイスをしてくれた友がいた。
   出ないで後悔するより
   出なかったことを後悔する
   ほうがもったいない
   もう会うのが最後の人がいるかもしれ
            ないと・・・
 おい、おい、それって俺のこと、それとも同級生のこと。
 聞きようによってはちょっとイヤなアドバイスだったが、確かにその通りだと思った。
 あれから50年。
 出席したら、みんな自分にとって50年ぶりに顔を合わせる人だ。
 出席しなかったら
   永久の別れ
となってしまう人もいるかもしれない。
 そう考えると、出なかったことを後悔するだろう。
 そしてそれは自分にも言える。
 この先何年生きられるか何の保障もない。
 実際もう15名も鬼籍に入っている。
 もし次の案内状がきたら、その数はもっと増えているだろう。
 そう考えれば、この世の縁を少しでも増やしておくか。
 
 まもなく終戦の日を迎える。
 こちらは、今年戦後79年となるようだ。
 あれから79年・・・
 あの戦争を生き抜いた方は、どんな思いでその日を迎えるのだろうか。
   そうかもう79年も経ったか・・・
その思いには、単に同窓会に思いを至らすより比べものにならないほど深いものがあると思う。
 大切な家族を亡くした方や財産を全て失った方、そして戦後いらぬ嫌疑をかけられて処刑された方の遺族、戦後蔓延した自虐史観により戦争のことを語らくなった防人たちなど、思いや悲しみはいろいろだろう。
 そしてそれらを抱えたまま、また多くの人が鬼籍に入って行くであろう。
 そうなれば、ますます戦後は遠いものとなり、戦争の記憶は薄れ、先人たちが命がけで守ろうとしたこの国の形が少しずつ崩れていくようで寂しい。

 ただそういう私でさえ戦後生まれだ。
 あの戦争を実際に体験した人とは各段の差がある。
 私の父でさえ兵役にひっかからず、都会の工場に学徒動員で行ったぐらいだ。
 その時に遭った機銃掃射の場面を一度だけ語ってくれたが、平和な今では想像もできないものだった。
 それは命がけで生き抜いたひとりの人間の小さなドラマだった。
 その機銃掃射で父は友人を亡くしている。

 戦後の知識人は、アメリカの洗脳により日本を自虐史観一色に塗りかえ、それは現在も続いている。
 終戦の日の特集番組をみれば明白で、いまだにその洗脳から抜けられずにいる。
 過去を振り返り反省するのもいい。
 でもただ反省ばかりでいいのだろうか。
 もう少し本当に戦争を体験した人から、左右偏ることなく公平な態度で体験を聞きとることも大切なのではないだろうか。
 そうしないとこれから日本の未来を背負っていく若者から
   太平洋戦争(本当は「大東亜戦争」な
             のだが)って何ですか?
   どこの国で起こったことなのですか?
ということを聞かれかねない。
 実際、ゼロ戦の名パイロットとして生き抜き、戦後「大空のサムライ」を著した故坂井三郎氏が、生前電車の中で大学生が太平洋戦争のことを知らない話を耳にして愕然としたことがあるそうだ。
 
 もう残された時間はそう多くない。
 そのうちあの戦争を体験した世代は全てこの世からいなくなるだろう。
 語り部がいなくなるということは歴史が風化することでもある。
 単なる教科書に書かれた史実のひとつにしかならなくなる。
 
 自分自身の50年前のことさえ記憶が薄れていく。
 79年も前となると、健在な方さえその記憶は忘却の彼方になっていくだろう。
 そうなる前に、語り継ぐべき話を真摯に受け止めて未来に生かす糧とするべきではないだろうか。
 毎年8月にメディアが垂れ流す自虐史観たっぷりの歪んだ歴史観よりも、実際にあの戦争に関わった方の生の声は傾聴に値するものがあるはずだ。
 そこには現在の教育やメディア環境からは出てこない日本の近代史の光の部分があると思う。

 さて、50年ぶりの同窓会。
 ひそかに思いを寄せていたあの子は出席するのかなあ。
 でも50年ぶりだし、分かるかなあ。
 なにせ高校時代のアルバムもなくしたし、彼女の面影は私の脳内のハードディスクに刻まれているだけだ。
 仮にその記憶を頼りに分かったとしても、あの時でさえ話したことのなかった人とどうやって会話の糸口を作るか・・・
 そう考えるだけで心が高ぶって来る。
 青春時代に思いを馳せるのもいいものだ。
   
    
  

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