ブラック/ホワイトの二分法では見えてこないエンゲージメント(個人的体験記)
現在はフリーランスですが、会社員として4社を経験することになった・・・
それぞれの会社で当然ながら、良いところ/悪いところ、はある。これは私のポジションから見た風景であって、他のポジションであれば逆に見えていたこともあるだろう。労務上、ブラックと呼ばれるところでも働いた。逆に、超ホワイトと言えるところでも働いた。でも、ブラックだからエンゲージメントが低かったわけでもなく、ホワイトだから高いわけでもない。その点、労務上の指標だけでは見えてこない、エンゲージメントに関わる様々な要因があると思う。そんなことを書いてみよう。
(1)ブラックな職場は実はエンゲージメントが高かったりする。なぜか?
正直に言おう。最初に入った会社はブラックだったと思う。
「だったと思う」(過去形)
とは、今だから言えることであって、当時はそうは思っていなかった。友人からは『君の働き方は、変だよ』と言われても、逆に『お前こそ、甘ちゃんだ。仕事っていうのはな〜』と心の中では反発していた。
今になって気づいたことを箇条書きにしてみよう。
(1)顧客対応の仕事なので、顧客が喜んでくれると心理的に報われる。
(2)給料が低い。こんなに働いてこれくらいしか貰えないのだから、働くことは厳しいことなのだ・・・と思い込んでしまう。(周囲も同じだし。)
(3)休みがほとんどない。だから他業種の友人との交流や転職活動をする余裕がない。
(4)この職場で長年耐えている人はいわゆる根っからの体育会系。そういう人じゃないと出世できないし、それが組織の価値観になっている。弱音は吐かない。
なので、社内イベントや営業活動については、みんな学園祭の前のような一致団結で戦う。意気込みがあると認めてもらえるので、それを励みに頑張る。結果、抜け出せない。
(2)では、なぜ抜け出せたのか?やっぱり「出会い」は大切。
私の場合には、当時持っていた出世欲が奏功した。本社へ栄転となったのだ。それを機に、和歌山から大阪へ勤務地が変わった。
ここで価値観の大転換が起こる。
(1)会社帰りにセミナーや勉強会に参加することができるようになった。
(2)他社との取引が増えた。
やはり、他社の方々や他業種の方々と話し合う機会が増大すると、今までの狭い価値観は相対化される。一気に名刺が増える。それと共に視野が広がる。『あれ?今までの働き方ってなんだったのか?』と思い始める。いわゆる地方の「現場」と「本社」では働き方も価値観も異なっていた。
幸いなことに、他社の方々とプロジェクトを行なっている中で、『ウチに来ない?』という冗談半分・本気半分のオファーを受けることが増えてきた。
そんな中、ある起業家が集まる勉強会でこんな質問をした。その回答に心打たれた。
(私)『私は起業をしようとは考えていません。今の会社でしっかり働きたいと考えています。そんな私のような会社員でも、起業家精神を持つことにはどんなメリットがありますか?』
(講師)『あなたがその会社で誠心誠意働くことは素晴らしいことです。そして誠心誠意働くからこそ、私は起業家精神が必要だと思います。というのが、あなたが頑張ってトップに近づいていくとします。近づけば近づくほど、トップの考え方や方針に違和感を感じるはずだからです。それは、そのトップがダメだからでも、あなたがダメだからでもない。「個性」の違いなのです。それを本気で感じることができたら、もう一度、起業を考えてみてもいいのではないでしょうか?その時のために、今から少しマインドを高めてみてはいかがでしょうか?』
という旨の回答だった。(と記憶している。)
そうか、個性か・・・自分にしかできないこともあるだろうし、自分にしか感じ取れないものだってあるはずだ。起業を実際にするかどうかではなく、常に「自分の個性を大切に育てていく」という姿勢は持つべきだ、とその時に実感しました。
その時の講師は、千本倖生さん。稲盛和夫さんと一緒に第二電電を創業した方です。
そんな出来事があり、常に「自分が経営者だったら・・・」という視点で仕事をするようになっていきました。社内で有志で勉強会を開いてみたり、取締役に月に1度、企画書や提案書を勝手に送ってみたり(ほとんど返事はなかったけれど)。
そうこうしているうちに、ある大事件が起きます。あまり詳しく書けないのですが・・・簡単にいうと経営者の配偶者の方に引き立てられたと同時に、それを断り、大惨事。もっと抽象的に言うと、経営者の方針と自分のキャリアプランが180度逆をいってしまったのです。
その時、他の会社に行くしかない、と決意します。
(3)大手の子会社ベンチャーでの重要ポジションへ
ちょうど、東京の企業から3社、大阪の企業から1社、声が掛かっていました。その中の一社が、大手通信会社が新しく作った子会社ベンチャーで、かなり上のポジションを用意してくれることになりました。
誰もが知っているブランドで、部長職というのは、周囲もかなり驚いていました。
ただ、生まれてこのかたずっと関西在住だったので、初めての東京暮らしにはかなり心理的抵抗もありました。
それでも決め手になったのは、社長から毎日のようにラブコールが来たことでした。ここまで期待してくれているなら、頑張ってみよう、と。
最初は意気揚々と新天地に向かいました。
しかし・・・このラブコールをしてくれる背景に、落とし穴が隠されていることに気づくのには、一週間も掛かりませんでした。
ブラックあるある
・固定化したスタッフが毎日帰宅が終電30分前くらいになる
・管理職はほぼ土日もサービス出勤
・親会社への報告会議が週1実施→その準備で業務時間が圧迫する
親会社は「働き方改革」を推進しているのに、子会社は非常にブラックな職場でした。
特に、社長(親会社では部長職)が初めての社長職でテンション上がりまくっているというか・・・良い意味では「何とか認知度を高めようとしている」のですが、一方で言うと部下や親会社に根回しする前にスタンドプレーに走ることも多く、親会社と社長とに我々部下が板挟みになるという状況でした。
しかも、社長が素性のわからない人をいきなり雇ってくることもありました。週1の会議出席(実質2時間程度)だけの仕事。それで
月収80万円!?
いや、私たちレギュラースタッフよりも高いし。。結局、全く役に立たないので業務委託契約を終了させていただきました。
このような敗戦処理のような仕事も溜まってくるので、本来の仕事ができない中、新宿御苑に土曜日の15分だけ散歩するのが生き甲斐のような生活が続きました。
そんな中、社長に対してスタッフが一致団結していくということが起こります。
面白いのは、数年経った今でも、その時の同僚たちとはいまだに交流があったりする、ということです。「戦友」みたいになっているんですよね。
ところが、そんなハッピーなことだけが続くわけではありません。あまりに抑圧が大きく長く続くと、どんどん「戦友」も「落武者の集団」になっていきます。
私は外部からの入社だったのですが、他はほとんど親会社からの出向組でした。
すると、手慣れたもので、「まあ、こんなものですよ」という顔で平然と業務をしていました。
この文化には最後まで慣れませんでした。
私が言われたことで今でも覚えているセリフがあります。
上司に対する返答は「はい」か「イエス」か「喜んで!」
しかない、というものでした。
大企業の「闇」を体験しますが・・・みんなそれを「闇」とはあまり思っていないというのが、結構辛かった記憶があります。(いい人ばかりだったんですけれどね。)
そう考えた時に、ブラック企業ってブラックな人たちが集まった結果生み出されたものではない場合があるんですよね。
つまり、みんな真面目なので、尻拭いや敗戦処理をどんどんしはじめる。そうすると、本来の業務を圧迫して、残業が増えるんですよ。ところが、社長はそのような敗戦処理の存在を知らない。だから、疲れていると「効率が悪いのよ!」などと言い出す。悪循環でした。
(4)やっと超ホワイト企業へ転職!
数年経ち、メディアでも取り上げられるような仕事をして、一番ノリに乗っている時に、結婚します。
その時にふと思ったことがあります。
妻に自分が楽しそうに仕事していると思われているのかな?
妻に対して、胸が張れる仕事をしているのだろうか? そう思った時に、夜は22時を回らないと帰宅できない、家族で旅行している(休暇中)時にも会社から連絡が入る、という状況が非常に辛くなりました。
そこで思い切って、改めて転職することを考えます。
すると、大阪の出版社からオファーがありました。次期社長が「新しい事業を立ち上げたいから一緒にやってほしい」と。老舗だがスピリッツだけはベンチャーだ!という威勢の良さを信じたというのが本音です。
私も妻も元々関西人。いつかは関西に帰ることも意識していたのですが、当時、妻は新宿に事務所を構えていたこともあり、テレワーク前提で入社することになりました。
入社してびっくりしたことは多々あります。詳しくは、その企業で起こったことを記したので、よければご一読ください。
ホワイトだと感じた理由
いくつかあります。
・定時の17時ちょうどになると、半数近くのスタッフがタイムカードを押して帰る
・残業は定時以降15分刻みで支払われる
・出張だけではなく、日帰りであっても外出手当が支払われる
・業務ノルマというものが明確に設定されていない
・会議が少ない(というか、ほぼ無い)
・業務報告書や計画書の提出はなく、日報を簡単に書く(訪問先とか)だけ
とりあえず、働いて給料をもらうという点での不満は一切ありませんでした。
平成ジャンプな職場
ただ、驚いたこともたくさんあります。令和になった時に社内報で「平成ジャンプ」と書いたら削除されたのですが、それくらい昭和な職場でした。全然ベンチャースピリッツなどなし。
まず、2018年秋の段階でPCが一人一台ありませんでした。だから、日報を書くのも、順番待ち。その順番を待っている間も残業代が出ます。
普通だったら訪問先から直帰すればいいのにわざわざ会社に戻ってきてタイムカードを押して帰る人もいました。残業代が出るからです。
そんな状況で、私は「業務効率化」という名目でPCおよびSlackアカウントの導入を提言し、経営陣を説得して導入しました。
その結果・・・
改革派は疎まれる
という状況になります。つまり、今まで、「PCがないから」「帰社してからしか報告ができないから」という言い訳がなりたたなくなり、残業できなくなったのです。
そのようなこともあり、ホワイト企業と言われるところには、それなりの問題があることも理解しました。
言われたことをしておけば給料はもらえます。
経営陣がどんな要求をしていても、対応すれば仕事したことになります。
だから、焦りもなければ工夫もする必要がないのです。むしろ、業務の無駄こそが自分の収入にプラスになるので。
そうやっているうちに、「それでもいいかあ」と思ってしまった自分がいます。
そこで、改めて自問しました。
経営陣や同僚のやる気のなさを愚痴っている姿を妻に見せたいか?
この会社で働いていることが誇りになっているか?
やはり、労務上のホワイトさだけでは担保されない、業務の「充実感」というものがあります。
また、業務遂行の仕方が経営陣への忖度が重視されると、「誠実さ」が失われます。
私は、あるクライアントの業務終了を期に、退職を決めました。
もう「この会社でやるべきことはない」と思ったことと、その分の人件費を他に使った方が良いと思ったというのも事実です。
また、見ているポジションがちがえば、私が働いていた東京のベンチャーでのように、私自身が「次期社長のお気に入りで入社したいけすかないやつ」のように見えていた可能性もあります。(まあ、その点は他の方々とも仲良くはしていたので、ないと信じたいが。)
どちらにせよ、私はエンゲージメントをすることができませんでした。
最後に
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
充実感、自分の生き方の基準というのは、人によって異なるので、私の話を読んで「なんか、ちがうなあ」と思う方もいるでしょう。
それはやはり「個性」なのだと思います。
正解は分かりません。残っていた方が良かったのかもしれません(少なくとも収入面では)。でも、自分の人生でため息ばかりついている生き方にウンザリしました。それは、ホワイト/ブラックという二分法で、どちらかの陣営に属しているから解決されるものでもありません。
自分なりに、これからも考えて発信していければと思います。