【あがり症】人前で話すことが苦手な人の5つの認知のゆがみ
動画紹介(文字起こし全文掲載)
今日ご紹介する動画は、「【あがり症】人前で話すことが苦手な人の5つの認知のゆがみ」です。
人前で話すのが苦手な人は、特有の認知のゆがみを抱いている人が多いと言われています。
その認知のゆがみを抱いていることで、生きづらさを感じるわけですね。
今回は、その認知のゆがみを5つに分けて解説します。
あなたはいくつ当てはまりますか?
今日は「人前で話すのが苦手な人の持つ5つの認知のゆがみ」についてお話します。
人前で話すことが苦手な人というのは、そうではない人と比べて、ある独特の考え方―しかも極端な考え方を持っています。
だから、人前を恐れるんですね。今日は、その認知のゆがみを5つに分けて解説していきます。
【1. 私は失敗してはならない】
今、私はYouTubeを通して、人前にいますね。
もしここで私が、「声を震わせているのを皆に見られたら、どもっているのを皆に見られたら、その失敗は絶対にしてはならない」と思って、頭が真っ白になってしまったら、見ている人に「あいつ、大丈夫か?」と思われるかもしれない。
それも怖い。
だから、人前で立っているときは、冷静で、リラックスしていて、落ち着いて、堂々と、ハキハキと喋っていなければならない。
けれども、そこまでは難しいので、せめて喋っているときには何とか声が震えないように、何とかつっかえないように、何とか顔が真っ赤になるのがバレないようにしようとする。
たった一つのどもりや声の震え、身体の震えが見られてはならない、という感じで、その一点の失敗すらあってはならないと考える。
だから、表面だけでもいいから、冷静で、大丈夫なフリを演じるようになります。
【2. 緊張、不安、恐怖、震えは抑えるべき】
緊張、不安、恐怖、震えは抑えるべき、という考え方なんですね。
なぜかと言うと、そのような姿を人に見られたら、とにかく恥ずかしい。
こんな恥さらしなことは、人前ではしたくない。
もうあんな思いは二度としたくないということで、これらの症状を抑える、軽減させる、なくす、コントロールしようとするわけです。
けれども、私がこれまで会ってきた1000人以上のあがり症の方で、自分の意志の力で、これらの症状を抑えられたという人はいませんでした。
力技で抑える人はいますよ。
ただ、内面は死にそうなんです。
震えが収まってたって、かなり意志の力で無理やり抑えているので、本当の意味で症状がなくなって、リラックスしている人なんて1人もいませんでした。
だから、その本来人間に当然あるべき緊張、不安、恐怖、震えに対して、むやみになくそうと格闘する。
これがあがり症のパラドックスと言いますか、絶対に負け続ける戦を永遠に挑んでいるという、あがり症の特徴です。
【3. あがることがバレてはならない】
人前であがることは、自分の価値の喪失なのです。
人前であがってしまうことで、自分は否定される、自分はこの場所にいられない、自分は情けない奴だ、という風になる。
一言で言うと、私はここに居てはならないという、「所属」からこぼれている感覚なのです。
皆は、普通に冷静に喋って、ワイワイと楽しそうに話しているのに、自分だけは何でこんなにできないんだろうと、孤立感を感じている。
“なぜ自分だけが”という、この思いというのは、「所属」に対する劣等感なんですよね。
だから、あがることがバレてはならないということで、必死に隠そうとし続ける。
隠そうとするということは、表面の自分と内面の自分が不一致になっていく。
そうすると、表面の自分というのは、ある種、他者の目にかなうような自分であり、表面的な自分を演じるようになるので、自分の生の言葉が出づらくなってくるんですよ。
だから、何かを聞かれたり、話そうとすると、とってつけたような言葉になるから、言っている言葉に自信がないし、言葉が出なくなるんです。
それは、生の言葉じゃないからです。
だから、そうやって、ますます緊張して、ますます話すことに自信がなくなっていく。
自分を生きていないんです。
まるで、他者が主役の世界の奴隷になったかのように、他者の目にかなうような誰かさんを演じる。
これが生きづらさの元なんですね。
【4. 他者は私を否定するに違いない】
少しでもどもったり、緊張したり、赤くなったり、そういう自分を見て、人は自分を否定するに違いない。
そのような思いで自分の話を聞いている人の様子を見て、あ、やっぱりそうだ。
ため息ついてる。
腕組みしてる。
やっぱり、ドギマギしている自分を否定しているんじゃないかな。
可哀そうな奴だと思っているんじゃないかなと、うじうじと考える。
けれども、こう言いたいんです。
「それって、本当なのでしょうか?」
本当にあなたが思うように、あがってしまった人っていうのは、否定されているんでしょうか?
私は、あがり症の講座やセミナーを行なっているのですが、参加者の悩みも色々なんですよ。
赤面症、どもり、あがり症、汗かきの方、色々なのですが、自分の悩み以外って、何それという感じなんですよ。
赤面の人がどもりの人を見ても、「ふ~ん」ですよ。
どもりの人が赤面の人を見ても、「どもらないだけで、どれほど良いことか。赤面くらいでそんなに悩むことなのかな」と考える。
人は、自分とは関係のない悩みはどうでもいいんです。
さらに言うと、あがり症じゃない人にとって、あがり症の人を見ても、何とも思ってないですよ。
本当に、自分が勝手に妄想して、ダメな自分に貶めているだけなんですね。
これは、信じられないかもしれないですが、客観的な意味で、あがり症じゃない人は何とも思っていないのです。
【5. 他者は敵だ】
以上の4つのような認知が起こる背景として、ある信念があります。
それは、「他者は敵だ」という信念です。
自分が人前に立っているとき、人と関わっているときに、敵とまではいかないとしても、何か失敗したら、バッサリと切られるんじゃないか、否定されるんじゃないかという風に、自分の敵となる人物を探してしまう。
先ほど、「自分が否定されている証拠探し」のような話をしましたが、他者は私を責めるに違いないと考える背景にあるのは、「他者は敵だ」という本能的な信念があるためです。
結論として、この5つの認知のゆがみは、ゆがみである以上、幻想なのです。
当たっていたとしても、過剰に捉えすぎなのです。
これらの認知のゆがみを軽減していくことが、非常に大事なんですね。
ところが、あがり症の方は、認知のゆがみの軽減にはノータッチで、緊張を抑えるために薬を飲めばいいのかな、話し方のテクニックを身につければいいのかな、と考える。
そんな問題ではないのです。
だから、仮に緊張がなくなったとしても、これらの信念体系が変わっていないために、次の悩みが必ず生じるのです。
例えば、赤面が治ったとしても、これらの信念体系が治っていないときには、違う症状が必ず生じるのです。
大事なことは、表面的な克服法に取り組むよりも、信念体系、生き方、認知のゆがみを変えていく。
これが本質的な克服法になってくるのです。
以上、ありがとうございました。
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