親の死目

令和元年11月17日16時48分に父は旅立った。直接の死因は肝細胞癌。癌発見より4年8ヶ月だった。17日はロードバイクのレースに仲間が出場するために大磯まで車を走らせる。7時前に会場に到着。ロードレースに朝は毎回早い。バイクの最終チェックをして受付、試走、出走サインをしていざレースへ。結果は15位。惨敗だ。表彰台に登ると意気込んでいたが。。。完全に練習不足だ。というより、勝つためにどの様な練習をしたらよいか分かっていない。これではいつまで経っても勝てる訳がない。その後12時過ぎ帰宅。朝早かったため、少しベットでウトウトしていた。14時42分に母より着信。父があぶないとの連絡だった。母はいたって普通に話していた。とても冷静で怖いくらい。母の強さを感じる。11月6日に余命3時間の宣告を受けていたので、父の死に対する覚悟は出来ているつもりだった。だがやはり怖い。妻を連れ車を病院に走らせる。とにかく早く病院に着きたい一心で車を走らせる。途中何度か母に連絡をしようと思うが怖くて出来なかった。病院につくなり急いで病室へ。外から病室を見る限り父は亡くなっていない。恐る恐る病室へ。ベットを囲む様に母と妹が父の側にいる。父はまだ必死に生きていてくれた。今の状態を母から簡単に聞いたが本日亡くなる事は間違えてないと。体温は下がり心肺機能も著しく低下しているらしい。父のそばへ行く。目は見開き天井を見ている。下顎で呼吸をし苦しそうだ。父に触れるが体が冷たく足は異常に浮腫でいた。異常な光景だ。まるでドラマのワンシーンの様にも思えた。今父は何を考えているのだろう。看護師が言うには苦しさや苦痛はないと言っている。ただただ生きるために必死に呼吸をしている様に見える。父の手を握る。手は冷たく握り返してくる事もない。手を握り父の目を見ながら、最後のお礼を言った。今まで本当にありがとうと。涙が溢れ出てくる。父の目にも涙が溢れている。私の声が聞こえているのかもしれない。最後に母と妹をよろしくと言っていたのかもしれない。だんだんと呼吸の回数が減ってくる、見開いていた目はだんだんと閉じていく。これが人の最後なんだと感じる。病院到着から約30分、父は天国へと旅立った。あっけなかった。いとも簡単に天国にいってしまった。臨終の宣告を医師に受ける。16時48分の事だった。家族全員に看取られた父は幸せ物だ。その日はみんな仕事も休み。父なりに気を使ったのかもしれない。私が病院に到着するまで待っていてくれて。本当にありがとうございます。昨日ご住職に話を聞いた。肉体をお返しした時に魂は自由に好きな所に行けると。それであれば父は母の側にいるに違いない。ご住職の言葉に救われた。

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