たけ

自転車大好き40代。

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最近の記事

あれからしばらく経つ

父が亡くなり5年が経とうとする。 2019年11月28日だった。 家族や命に対して、久しく色々と考えさせられ、自分の生きる意味や、生きている目的を悶々と考えていた。 父とは特段中が良かったわけではないが、今でも父を思い出さない時はない。 残された母、父を思い出さいない時はないだろう。 あれから仕事も変わり、ようやく本当の幸せを感じる日々。 子供を授かり、妻と子三人で楽しく幸せな日々を送っている。 育児をしている妻は、私の自慢の妻だし尊敬でしかない。 愛情とはどうゆうことなのか

    • 師走

      今年も残すところ9日となった。今年は仕事、プライベート、全てが順調だ。仕事は十数年間続けてきた自分の店舗を法人に売却し、コンサルタントとして他社へ出向している。今まで上司の居る環境に身を置いたことない私としては不安だらけのスタートの年だった。昨年1,000万円の赤字中古車販売店を再生しなければならない。責任者不在の販売店は24才の車好きの青年だけしかスタッフが居ない。代表者は本業があり、店舗には不在だ。そんな中一から店舗を作り上げ、短期間で店舗の売り上げを上げるべく、私が抜擢

      • 引越

        みなとみらいに住んで12年と半年だ経つ。当時お付き合いしていた彼女がみなとみらいに良いマンションがあるとの事で内見に行き当日に借りる事を決めた。家賃は24万円。私は当時28才。会社を経営して4年が経ち売上も順調に伸びて行きこの位のマンションの住む事はたやすい事だった。月日が流れ約5年前。賃貸契約の更新のタイミングで手狭になったマンションから同じマンションの広い部屋に移ることになって。65平米から100平米のマンションに引っ越した。家賃は33万円。みなとみらいという好立地で10

        • 月命日

          父が亡くなり1ヶ月が過ぎた。あれからもう1ヶ月。

          会社譲渡

          4年間経営していた会社を譲渡した。譲渡した相手は従業員。11月いっぱいで経営からは退いた。親父が亡くなった件もありバタバタしていた11月。登記簿上は

          会社譲渡

          住宅展示場

          今日は母と妹、妻と4人で住宅展示場に行った。以前から実家の老朽化が進み建て直そうと話していた。実家は築45年。もうそろそろ限界みたいだ。雨漏りはするし、床はきしんでる。父が亡くなって丁度2週間。母の気晴らしにも丁度良い。13時の横浜駅で母と妹をひろって、平沼橋の展示場へ。私たち夫婦は2階目の展示場。以前行った旭化成ホームズに行く。色々と説明を受け約3時間。

          住宅展示場

          母親

          親父が亡くなり母親と過ごす時間が増えた。実家を出てもう15年が経つ。今まで母親と会う時は何か用があった時か、家族の誕生日や正月等だけだった。今までクリスマウスや家族の誕生日でも父親に一番のプレゼントをしてきた。よく考えてみたら、父を立てる事で母が喜ぶのではと思っていたのかもしれない。母親と過ごしてきた時間が一番長い分、母親に対する思は一番強い。

          父の亡くなった病院に行った

          父の入院していた費用を支払いに病院に行った。母が一人で行くと言っていたが一緒に車で行く。車で実家で母を拾い、一路病院へ。だんだん近くになって来るにつれ胸が苦しくなってくる。病院が見えるとなぜか涙が。父が亡くなってしまった病院。父の最後をとげた場所。ここ数日は病院に行けば、父が入院している様な気がしていたが、病院に到着すると、やはり父は居ない不思議と思った。駐車場から受付に行き、お見舞いの手続きをし病室に行くルーティンだった。11月17日は父の最後の日。それからもう2週間近くが

          父の亡くなった病院に行った

          家族

          26日に葬式が終わり48時間が経った。親父の遺骨がある仏間に日に二度行ってる。職場から車で20分程度か。昼間は明るく部屋の灯りを付けずにお線香をあげる。母と少し話会社へ。業務を済ませまた親父の居る実家へ。18時過ぎに仏間へ。夜は暗く部屋の灯りをつける。灯りを付けると親父の微笑んだ写真が目に入る。親父が俺に微笑んでいる様だ。普段は厳しい顔をしてた親父も歳を取るにつれよく笑っていた様な気がする。写真を見る度にまだ涙が出る。亡くなったとはまだ思えない。病室に行けばまだいる様な気がす

          別荘

          別荘が河口湖にある。祖父が残してくれた大切な物。小さい頃からよく家族で旅行に行った。本栖湖でカヌーをしたり富士天でスキーをしたり思い出がたくさんある。そんな河口湖に水線を閉めに母と妹と妻で行く。車の中では終始親父の思い出話に花が咲く。

          お葬式

          本日は父の葬儀でした。父の昔からの旧友や親族に久々にお会いしとても懐かしく感じた。ついにこの日がやってきてしまった。小さい頃から最も恐れていた事だ。親の死。いくつになっても親父は親父。葬儀場の入り口に名前の入った案内版が目に入った。親父の名前だ。何とも言えない。そのまま進み会場へ。写真が飾られ、その脇にはたくさんのお花。写真は何度も迷った結果、選んだ物だ。弔問してくれた方達皆さんに良い写真だと言ってもらえた。住職にもお花より写真が目に入ったと言って頂けた。父の最後の写真。かっ

          通夜当日

          とうとうこの日が訪れてしまった。通夜に行くのが怖い。この日迄我慢していた物が爆発しそうだ。出棺の挨拶も完成させ葬儀に備える。明日は父の友人や知人が来て下さる。父の思い出話に花が咲くだろう。父は賑やかなのが好きだった。未だ父が亡くなった事が信じられない。明日は16時30分に実家に母と妹を迎えに行く。その前に父に供えるウィスキーや寿司を買いにSOGOに行く。今から胸がいっぱいだ。息苦しくてたまらない。この16年商売を始めてから初めて仕事の事を考えていない。こんな時ぐらい家族の事を

          通夜当日

          葬儀の準備

          明日は父親の通夜だ。先ほど葬儀屋と最後の打ち合わせが終わった。通夜の食事やお花の順番などだ。葬儀で使用する写真が出来上がってきた。本当に良い顔をしてる。明日は通夜。親父に会えるのが楽しみだが、お別れは嫌だ。お別れなんて寂しすぎる。いつかやって来るとは分かってはいたが。。。。明日は長男としてしっかりと務めたい。親父が安心して天国に行けるように。

          葬儀の準備

          親父の死から144時間

          親父が亡くなってから6日が経つ。死というものを毎日考える。人はいずれ死ぬ。例外なく100%亡くなる。先日、住職のお話を聞かせて頂いた。私は無宗教だ。七五三は神社へ行き、結婚式は教会でやった。親族の葬式は仏教式だ。住職のお話によると四十九日までは7日事に本来はお経をあげるらしい。初七日で初めて三途の川を渡る。そんな話も私は知らなかった。実家には仏壇がある。お盆には毎年お墓参りもする。仏教の事は何も知らない。少し勉強せねば。いよいよ父の葬儀が明後日に迫ってきた。正直行きたくない。

          親父の死から144時間

          大磯クリテリウム・ピュアビギナー優勝

          3回目の参戦にしてようやく優勝と言ったところ。過去2戦は4位、5位とスプリントで競負けた。私のロードレース経験は約2年になる。最初の一年はパワーメーターも取り付けず走っていた。というよりはパワーメーターの必要性を感じなかった。普段は週3回程度練習をする。距離にして100Kmから200Kmくらい。仕事が不定期なため週によって乗る距離もバラバラ。最初に参戦したロードレースはひたちなかエンデューロー。3位だった。その次が川崎マリンエンデューロ。1時間の部で優勝。と順調にいっていたが

          大磯クリテリウム・ピュアビギナー優勝

          親父の死から120時間

          父が亡くなって5日が経つ。今日は朝から息苦しい。葬儀を三日後に控え喪服の確認等をした。幼い頃に遊んでもらった父の友人達ともしばらくぶりの再会だ。こんな形で再会とは。。。 数日前から葬儀が怖い。ずっと我慢している悲しみが爆発しそうだ。まだ未だに父の死を受け入れることが出来ない。父がいないことが信じられない。住職が言っていた。生まれてくる時も10月10日。人が亡くなっても1年は傷が癒えないと。仕事をしていても父の事で頭がいっぱいだ。気持ちを切り替えなければならない。とにかく父に

          親父の死から120時間