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対話考#1「聴くこと」 【連載】
1 きっかけ
最近「対話」について考えることが多いです。考えたことを小出しにして、連載としてまとめていこうと思います。
#1では、対話とは何か筆者のエピソードを起点に、簡単にまとめようと思います。
さて、なぜ筆者が「対話」を追いかけるようになったか。
それは筆者自身が、対話的でなかったことに起因します。
対話を知らなかったことに、最近気付いたのです。徐々には気づいていたものの、無教養で、何がどのように不足していたか曖昧でした。
そして、最近「対話」に本格的に出くわしました。
出会ったというより、今まで蓄積してきた知が連鎖したおかげで、すれ違いになりませんでした。何度か「対話」と遭遇しましたが、今回はしっかり筆者を認知してくれたようです。
自分に足りなかったのはコレだ!とヒットしました。
まさに「邂逅を果たした」という感じです。
筆者自身が対話的でなかったとはどういうことか。なんともお恥ずかしい過去の自分を一言でいうと、「友達や恋人に悩みを相談されると、すぐに問題解決してしまう。」ということです。
「いやー実はさ、、」なんて、友人がせっかく相談しにきてくれたのに、「なるほど、こうしたらいいんじゃない?」と即座に回答。
「どうしたらいいかわかんない。」と嘆く元恋人に対して「なんで◯◯しないのか理解できない。」と一喝。
こんな問答では、相手にしてみれば大変居心地が悪いですね。
「そんなの知ってるよ。でもできないんだよ。」と内心思っていたでしょうに。
何を思ってわざわざ相談しにきてくれたのか、想像力に欠けていました。
2 すぐ問題解決しちゃってたボク
恋人の作り方や結婚相談所チャンネルを見るのにハマっています笑。
気をつけるべきポイントとして、「相談を受ける時には傾聴を意識するとよい」と挙げられていました。
その先生達が言うには、若い頃モテなかっただろうなと思う人は、男女問わず「人の話を聴かない」そうです。
かつて、相談しにきてくれる異性がいたとしても、すぐに自分の意見を述べてしまう。その異性にとっては不完全燃焼なわけです。
お悩み相談の目的はいろいろあるはずです。すでに答えが出ている場合もあるし、聴いてほしいだけかもしれない。相手によっては、本質は「自慢したいだけ」なのかもしれない。
こういった想像力で賄う可能性を全部すっ飛ばして、筆者らのようなモテない連中は、「速攻解決くん」に成り下がるのです。
もっと若い時からこのことを知っておきたかったと、後悔しています。
ボクちゃんもっとモテたのになあと。
結婚相談所のユーチューバーさんがいうには、基本的に、「男性」は性質上、「問題解決」したがる生き物。一方で、「女性」は「共感」を大切にする生き物なんだそう。なんとなくわかります。
いろいろ言説飛び交う中、男性脳・女性脳という言葉もあります。本当かどうか知りませんが。
「男子会」より「女子会」と聞くと、なんだか妙に納得します。おしゃべり会それ自体が目的なレディたち。目に浮かびます。
確かに原始時代は男性は狩り(問題解決が必要)の役割、女性は調理・子育て(協調が必要)の役割にがあったそうです。もちろん、完全に性別で役割を分け切っているのではないでしょう。女性が狩りをするのは全然ありそうです。
ただ、「男性の筋力」や「女性の色覚・嗅覚」の発達を考えると、そういう役割分担はちょっと合理的です。
筆者は、どちらかというと男性的な思考の傾向でした。問題解決に重点を置いておしゃべりするくせがありました。
そう、「悩み相談=何か解決してほしいことがある。」と速攻解釈してしまっていました。
3 ぼんやりと、対話ってこんな感じ?
原始時代にはそれで良かったのでしょうが、現代の友情関係、男女関係そして上司部下といった「人間関係」においては、問題解決だけではうまくいかないことが多いです。
言わずもがな、課題を解決し価値を提供する「会社組織」では、もちろん「協調」しているだけでは何も実績は残せません。
そこで、筆者の友人・恋人関係の失敗を超えて、汎用性のあるものにするにはどうしようかと考えているわけです。
そしてお見事、先日邂逅を果たしましたのが「対話」の発想だったのです。
まず、『哲学・思想事典/廣松渉(岩波文庫)』を覗くと、対話の語源は、Dialoge(ダイアローグ)。分解すると「ディア(分ち持つ)」と「ロゴス(言葉)」となります。哲学用語って感じです。もっと深く、変遷としての記述がありますが割愛します。
また、webilioによれば、対義語はMonologe(モノローグ)。一方通行の伝達ということです。聞いたことくらいはありますか。
20年前に相当売れたゲームに「モンスターハンター」というのがあります。筆者は結構プレイしていました。そこにディアブロスという二本角のモンスターと、モノブロスという一本角のモンスターがいます。
ダイアローグは、「ダイア→1と1」という双方向的なコミュニケーションのイメージ、モノローグは、「モノ→1」という一方通行のコミュニケーションだとイメージできます。
語源や意味から、なんとなく「対話」の大枠がつかめました。
4 聴く役割を受け入れる
さらに、立教大学の中原淳先生たちは「対話する組織(2009年)」の、中盤あたりで、ざっくり「対話」を定義します。
1 共有可能なゆるやかなテーマのもとで
2 聞き手と話し手で担われる
3 創造的なコミュニケーション行為
この大雑把さが、良いきっかけを与えてくれます。
筆者は特に「2 聞き手と話し手に担われる」を誤解していたようです。
当時、「問題解決」をすれば、聞き手になったつもりでいました。
中原先生は、「対話」のざっくりした定義の後、
対話の本質は「話すこと」ではなく「聴くこと」からはじまる。
と喝破します。
「聞く= hear」という受動的な行為ではないです。「聴く=listen」という積極的かつ意図的な行為です。それも、聴いているように見えるのではやっぱりダメで、内的に「聴く」という役割を引き受けるということです。
筆者の過去の失敗に戻りましょう。
「友達や恋人に悩みを相談されると、すぐに問題解決してしまう。」場面を思い起こすと、「聴く」役割を引き受けたのではないですね。
そこではやっぱり、話し手のスタンスで、相槌だけはとりあえずしていたというイメージです。
相手が話し終わると、次の瞬間には、筆者の考える「最善策」を提案していました。
「ああした方がいい。こうすべきだ。」と、解決策を準備している時点で、もうすでに話し手としての準備です。
今になって思います。「大事なところをすっ飛ばしているぞ。」と。
聴く役割とは、「相手の信念のベクトルに合わせること」だと考えます。それは相手に「迎合すること」とは、似て非なるものです。
「ベクトルは同じ?でも相手のお悩みと自分の意見って違うことはあるよね。ベクトルの向きは反対なんじゃないの?」と思ったアナタ。鋭い!
ちょっと別のアプローチで考えてみましょう。次は、筆者の趣味である音楽の話です。
5 ハモリの極意
小学校のある校長先生が、「対話は、ハモることだ」と喩えました。これには、筆者自身スカッと腑に落ちました。
相手の音がある。その音を聴いて、私は違う音を出す。別々の聞こえているが、綺麗に三度で調和する。大きな音を出しても美しくない。小さすぎてもいけない。それが、ハモること=対話することだ。
アカペラを6年間やってきた筆者にとっては、膝を打つ美しい喩えです。
どうでしょうか。
ベクトルを同じにする意味がつかめてきましたか。
文脈としては、「地域・学校・保護者が一つのチームになるには」というテーマのディスカッションの一場面でした。
さて、この「ハモりの例え話」を、「大まかな対話プロセス」に添えて、眺めてみましょう。
1 共有可能なゆるやかなテーマのもとで
→高すぎず・低すぎず、お互いの声帯が出しやすい音域で。
2 聞き手と話し手で担われる
→話し手(ド)と聞き手(ミ)で行われる。
→場に複数いる場合は、話し手(ド)と聞き手(ミ、ソ、シ)になるか。
3 創造的なコミュニケーション行為
→二重奏、三重奏、オーケストラといった、協働的な演奏行為。
「聴く役割の自覚」は何を意味するか。「対話」プロセスの波が、見えてきた感じがします。音楽好きの筆者だけでしょうか?
もし、音楽にあまり触れない生活の方も、スマホでピアノアプリをダウンロードしてみてください。「ドとミ(三度の和音)」を同時に弾いたあと、「ドとレ(不協)」を同時に弾いてみてください。前者の和音は整って聴こえ、後者の二音がぶつかって聴こえれば、成功です。
余裕があれば、ピアノの「ド」の音に、ご自身の声で「ミ」の音を「ウー」で出してみてください。
声がうるさすぎてもダメです。ピアノの「ド」を思いやって「ミ」で「ウー」と言うのです。それが「ハモる」です。
連載「対話考」は、まずはこんなところから始めます。
ぜひ読者の皆さんの中で、お持ちのご経験・エピソードと照らし合わせて、「あの時のあの瞬間なんとなく対話っぽい?」を集めてみてください。