ねこの本質は気まぐれ
ネコの可愛さの一つ、それは気まぐれな性格にあるでしょう。
やりたいことを純粋にやる。
それがネコの本質かもしれません。
例えば窓際に行こうとするとき。
真っすぐ行けばいいものを、少し窓から離れたところでパソコン作業をしている僕の足を踏み越えて、わざわざ三角形の2辺を通るようなルートで動くこともあります。
いやいや、じゃ、最初から真っすぐ窓際へ行けばいいやんwと突っ込みたくなるところですが、ふと考えます。
別に窓の近くへ行きたいのであれば、わざわざ僕の足を踏む必要はない。
このとき、ネコの思考ってどうなっているんだろうか?
「僕の足を踏み越える」「窓の近くへ行く」という二つの目的が存在しているのか?
それとも、最初は「僕の足を踏み越える」のが目的だったものの、それを達成したら「窓の近くへ行く」という目的が新たに生まれたのか?
もしくは、そもそも最初から目的など存在せず、ただ気の赴くままに行動しているだけなのか?
ウメはお外に遊びに行きたいよ!とニャーニャー鳴くから、ハーネスを付けて行ってらっしゃい!と送りだしたら、数秒で飽きて帰ってくることも。
おーいw行かないんかい!
(多分、違うことを要求していたわけではないと思います。ハーネスを付けるときはゴロゴロ言って嬉しそうにしているので)
気まぐれ度合いはウメの方が強いかもしれません。
リュウはめっちゃ要求する訳ではありませんが、外に出たら出たで、それなりに楽しんでいる様子。
気ままに甘えたいとき(あと寒いとき)はくっついてくるし、一人でいたいときはお気に入りのマイスペースで寛ぐ。
そんなニャンコ生活をウメとリュウは満喫しているように思います。
そういえば…
「神の本質は気まぐれ」
人気映画、すずめの戸締りの一幕で、ネコに扮する要石としての役割を放棄して逃げ回るダイジン(神的な存在)に対して、主人公の一人、草太が放った台詞だ。
なるほど。神=気まぐれ=ネコ
という図式が見事に当てはまるわけですな。
………
てことは、ネコって神に近い存在ってこと??