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鱗苺(ショートショート)

 種の部分が鱗波のように輝く苺がある。海の中で栽培できる苺だ。
 それを使ったプレザーブスタイルのいちごジャムは、パンに塗ると、まるでそこに海があるみたいに、綺麗な波が見える。

***

 かつて海辺の街に住んでいた。耳を澄ますとすぐそばに波の音があって、雨が降ると塩の香りが強くなって、浜辺に流れ着く巨大な木の幹が不気味だったり。
 今は都会に住んでいて、人混みの音を波に例えてみたり、夜の信号の赤や緑を船の航路に見立てて歩いてみたりする。
 けれどなぜかあの頃と違う今に少し息苦しくなる。深く呼吸を吸えない。
 そのせいなのかはわからないけれど、前より猫背になった気もする。

 そんな日々の中、たまたま出かけた先で販売していたジャム。
 鱗イチゴジャムと書かれたポップと、その説明文に惹かれた。

 海の中で作られたイチゴ!
 プレザーブスタイルのイチゴジャムです。
 トーストやバニラアイス、チーズケーキにも。
 キラキラと波のように輝くジャム、ぜひお試しください。

 キラキラと、波のように輝く? 一体どんな感じなんだろう?
 気になって、買ってみることにした。

***

 とりあえず、先日買ったまま残っていた食パンに塗ることにした。
 スプーンですくう。照明がそんなにたくさんあるわけでも、眩しいわけでもないのに、ジャムがとてもキラキラ輝いている。
 パンにのせる。ぼたりと、重量感たっぷりのジャム。
 伸ばすと、パンの上にするすると広がっていく。不思議と、伸ばせば伸ばすほど輝きが増していく。
 その姿が、朝の日射しを反射する波のそれに重なる。
 左手の五指で支えているパン。じっと見つめる。
 大きな街の中の小さな部屋の隅っこで、僕だけは故郷の海を見つめているような気がした。

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