おくちがま口(ショートショート)
僕の口はがま口である。
一般的な人からしたら何を言っているのだ、ということになってしまうわけだけれど、やっぱり、何度でも同じことを言おう。
僕の口はがま口である。
まだ何を言っているんだ、という怪訝そうな顔をしている人が多数いる気がするので、より、分かりやすく説明することにする。
早い話が、僕の口はお口チャックの劣化版なのである。劣化版なんて言うと、語弊があるかもしれないが。
お口チャック、と言えば、静かにする、もしくは秘密の話を守るために使うもので、人によって多少の差はあるものの、大抵しっかりと閉まるものだ。
それが、僕に関してはがま口なのである。
何でだ。と思った。
何度この口を呪ったことか。チャックできた! と思っても、毎回どこかからは漏れてくるのだ。だってそもそも、チャックじゃないんだから。
いくらチャックした気になっても、現実は閉じたがま口ほどの保持力しかない。
静かにしなければいけないタイミングで声を上げてしまう。
秘密にしておいて、と言われたことをすぐに話してしまう。
僕の人生の時間はおおよそ、それによる被害を極力和らげるために費やされてきた。
そんな日々にいよいよ嫌気がさしてきたある日、とある広告を見つける。
「がま口をチャック口に!」
整形の広告だった。そこに写る人物の表情はとてもはつらつとしていて、見惚れるほどに魅力的だった。
これしかない、と思った。
早速、僕はそこに書かれていたお問い合わせ先に連絡し、あっという間に整形してしまった。
ダウンタイムはなかなかに辛いものだったけれど、腫れや痛みを乗り越えた先にはきっと素敵な未来が待っているのだと自分を鼓舞した。
思わず見違えた。
いままで、いかにもな「がま口です!」という感じだった口が、とてもスマートに、「どうも、チャックと申します」と言っているようにすら感じた。
……いや、実際に言った。僕自身が。ちょっと何やっているのか、このときばかりはじぶんでもよく分からなかった。
けれどきっと、それぐらいには嬉しかったことなのだ。
新しく手に入れたチャック口で、さっそくお口チャックを試してみよう、と思った。
知り合いに会いに行く。もうずいぶん話していなかった気もするが、勇気をもって話しかける。
……と、口元に違和感を感じる。
理由はすぐに分かった。口がチャックなせいだ。
いままで、この人生の中で、口がチャックだったことなんて一度もなかった。それゆえに、がま口にかなり慣れていたのだろう。チャック口の開け方が分からないのだ。
どうしよう、うまく言葉が出てこない。
そうこうしているうちに、周りの人々はどんどん会話をつなげていって、僕はその中に入れないまま、口を開くこともできないまま、ひたすらその光景を眺めていることしか出来なかった。
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