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チョコ行燈(ショートショート)

 僕の住んでいた田舎町では、冬から早春にかけてお祭りが開かれていた。
 春の植物の芽吹きがうまくいくようにと願いを込められたものだった。
 とは言っても、大したことはしなかった。
 子供たちが行燈を掲げて、町中を練り歩くというもの。行燈によって照らされた植物はよく芽吹くようになるというのが、古くからの言い伝えだった。
 その行燈は普通の行燈とは違っていた。
 チョコレートでできていたのだ。
 明かりを灯すと、その熱で溶けてしまいそうな不安感があるけれど、その実真逆の反応を示す。明かりを灯すと、冷気を放つのだ。植物の芽吹きが良くなる(あるいはそうなると言われている)のもその冷気が一因らしい。
 厳しい環境で育った植物は強くなるというのはよく聞く話だ。

 けれどここで疑問が湧いてくる。
 なんで行燈にチョコレートを使っているのか。そして、そのチョコレートは一体どこから集めてきたのか。
 まず、行燈にチョコレートを使っている理由は大したことがなかった。
 ハロウィンに子どもたちへお菓子を配る習わしと似たようなものだったそうだ。行燈として使った後で、そのチョコレートが子供たちにプレゼントされる。
 確かに、かつて自分も貰ったような気がする。胸に吸い込んだチョコレートの甘い香りと、夜の冷気とが混ざり合って、とても幸福な気持ちになったのが、ぼんやりと思い起こされる。
 ではもうひとつの疑問。それを作るチョコレートは、一体どこから仕入れていたのか。
 田舎町だったので、いくつもの行燈を拵えるだけのチョコレートなんてどこの店にもなかった。
 結論、町に流れ込んでいる川の底に、泥のように沈んでいたらしい。僕の住んでいた町は、チョコレートの源泉がある場所ということで有名な土地ではあったから、「そうなるのは必然」とまでは言わずとも、選択肢のうちの一つに川底に沈むチョコレートがあったのだろう。
 それを掬い上げて、粘土細工の要領で成形して、行燈を作っていたらしい。
 川に映った月の青さや、星の冷たさが一緒に沈殿して、それによって行燈は青白く発光する。

 今暮らしている街の景色は、夜空の星の代わりに、ビル街の明かりが灯っている。白に青、赤にオレンジ。まさに夜空に浮かぶ星の色と同じような色をしている。
 ビル影の黒色の中に沈んだ純粋な青の冷たさがやけに、子どものころに田んぼの中で掲げていた行燈の色と重なる。
 匂いや気配は随分違うはずのものなのに、なぜか懐かしい気持ちになってくるのだ。

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