紫陽花と水機関(はなしの続き)
「水機関って知ってる?」
「みずからくり?」
僕らは植物の生い茂る林の中を歩いている。僕と、同級生のAさん。それから、僕らを先導する不思議な少年。
少年の問いかけに、Aさんは首を傾げる。僕もよく分からず、彼女と顔を見合わせる。
「水機関はもともと、水の力を使って人形を動かしたりする演芸のことなんだけどね」
少年は目の前の草をかき分けながら進む。その動きは随分なれたもののようで、むしろ僕らが親に連れられる子どもみたいに感じる。
“おそらく道になっている場所”を進んでいく。周囲には変わらず紫陽花が咲いている。水の匂いが強い。
「僕は"水の力で水を操っている"んだよ」
きっと少年は、かなり核心的なことを言っているのだろうけれど、僕らはイマイチその意味を理解できないでいる。
「水を操る?」僕は聞く。
「ほら、ここ」少年は進行方向を指さす。
前方には開けた空間。紫陽花、植物、水の流れる側溝。かなり苔むしていて、もうすでに人は使っていない空間のように見える。
景色を眺めていると、僕らの後ろに回っていた少年が言った。
「僕はここから色々な場所に水を届けているんだ」
水を届ける。ということは、水道業者のような感じだろうか? けれど彼は少年で、それらしき服装もしていない。
「まあ、見ててよ」
そう言うと彼は、近くに通っている側溝から水を片手ですくい上げる。きちんと水はつかめたようで、手のひらで揺れている。
器用だなあと思って眺めていると、その水の塊が、ぷるぷると震えだした。
次第にそれは変形を始める。水本来の不定形ではなく、どちらかと言うと金属や結晶のように、規則的な結合で強度を保っている物質のような形へと変わっていく。
それは一つの歯車の形になる。日差しを反射して輝く、透明な歯車。
「きれい……」
Aさんは、隣で小さく呟く。僕もそれに同意するため、頷く。
水の歯車は、少年が指揮棒を振るように指先を回すと、彼の思い通りに動き始める。指さした方へと、くるくる回りながら移動する。やがて、一つのくぼみのところまでたどり着くと、一時停止する。
少年は最後にもう一振り、指を振るう。
すると──。
かちり。
静かな空間の中で、無機物がはめ込まれる音が響く。おそらく、水の歯車がくぼみにはまった音なのだろうけれど、乾いていて、ほんのりひんやりとした音だった。
その音の余韻が消えたあと、変化は起きた。
側溝の上流から、水の流れる音が聞こえてきた。今までは聞こえなかった、はっきりとした水流の音。
「近づいてくるね」
音の正体は何となく分かったのだろう。隣でAさんが呟く。僕は、向こうの方からかな、と、側溝の音がする方を見ながら言う。声はかすかにかれていた気がする。
水はすぐにこちらへ到達する。視界がまばゆい虹色に染まる。まるで電車が駅のホームを通り過ぎるのを眺めているような感覚。
世界のすべてが水に呑まれたのではないかと錯覚する、強い水の匂いと、その温度。
生き物で例えるなら、巨大な蛇や龍が通り過ぎたような。
あとには途方もない静寂が残った。
「僕はこの側溝を使って、魔法のかかった水を世界中に届けてるんだ。そのために、水機関を使ってる」
水機関。先ほど側溝のくぼみにはめ込んでいた歯車が、水機関を動かすための部品だったということなのだろうか。それにしても、不思議なことが一度に起こりすぎて、頭が混乱している。
そんな状態で、少年はさらに話を続ける。
「こんなふうに水を流すと、ときどき、世界中の端っこに溜まっていた、色んな人の人生や、会話のかけらが流れてくるんだよ。ほら、あれ」
少年が指差す先に、何やらきらきらと輝く宝石や、結晶のようなものがあるのが見えた。
「あれが?」
僕は、少年に尋ねる。彼は頷いてから、こちらに向き直り、言う。
「そう。僕はあのかけらを集めて、新しい物語を作ってるんだ。結構不思議な話が集まってきたから、もしよかったら聞いてみない?」
正直、そういう話にはかなり興味がある。隣のAさんに目配せをして、彼に答える。
「ぜひ、聞かせて」