月光りんごのアップルクランブル(ショートショート)
冬の寒さに耐えながら店内に入ると、ドアベルが澄んだ空気に響いた。
「あー、あったかい……」
喫茶店の店内に入ると、暖房の温度が凍えた体を優しく包みこんだ。思わず声が漏れた。
「いらっしゃいませ」
フクロウの店主はいつものように、静かな声で言う。
「今日は何にいたしましょう?」
僕は、カフェインレスのホットコーヒーを注文する。あとは、仕事の疲れを癒すために、何か甘いものを食べたい。
「何か甘いものってありますか?」
「そうですね……。今日だと、アップルクランブルはどうでしょう」
「アップルクランブル、ですか?」
あまり聞かない名前のものだ。一体どんな食べ物なのだろう。僕の口調から、僕がそれについて知らないことを悟った店主は、説明してくれる。
「アップルクランブルは、リンゴの上にクッキー生地を砕いて載せて、焼いたものです」
「へえ、アップルパイみたいな感じですか?」
「そうですね、アップルパイのもう少し簡単なものかもしれません」
僕は再び、へえ、と答える。
「今日のアップルクランブルは月光リンゴと、りんご座から採れた星のかけらに、月光バターを混ぜて作ったクランブルを使います」
店主はカウンターテーブルの奥から一個のリンゴを取り出した。青白い光を放つリンゴ。
「これが月光リンゴですか?」僕が聞くと、ええ、そうですと返ってきた。
皿の上に載せられたそれは、冬の街を静かに照らす街灯のようで、凛とした美しさをたたえている。
……食べてみたいな。
「じゃあ、そのデザートも一つ、ください」
「はい、かしこまりました」
しばらくして出てきたのは、キラキラ光る湯気を発散するアップルクランブルだった。
「最初の方は十分あったかいですが、しばらく置いておくと、シャーベット状になるくらい冷たくなるので、気をつけて下さいね」
と店主。
「え!? そうなんですか! 早く食べないとですね」
「ああ、ごめんなさい。そうは言っても、そんなにすぐには冷めないので安心して下さい」
そうなんですね、と笑いながら、一口頬張る。
リンゴの甘さと柔らかさが、クランブルのザクザク感と絶妙に合っている。噛むごとに月夜の空気みたいな、爽やかな香気が広がる。
幸福な湯気に包まれながら一息つく。
ネクタイを緩める前には決してつくことのない、疲れと安堵と、眠気と安らぎが混ざった息。全身の力が抜けていく。
暖房の効いた部屋の中で、そうやって食事をしていると、体が少しほてってくるのが分かる。あえてクランブルを冷まして、シャーベット状にするのもいいな、と思い至る。そんなふうに考えながらもう一口頬張ると、店内のドアベルが響いた。
振り向くと、納品をしに来たのかウサギの商人と思しき人物が入ってきた。店主は、いつもありがとうございますと言い、カウンターの端に移動して何やら話をしている。
僕は、いったいどんな商品を持ってきたんだろうと思いながら、アップルクランブルを咀嚼する。これって十分冷めるまで一体どれぐらいかかるんだろう。その間、どうやって時間をつぶそうかと考える。
周囲をキョロキョロすると、カウンターの脇に本棚と、その中にいくつかの本が収められているのを見つけた。一冊抜き取って席に戻る。ページをめくると、短い話が何冊も収録されている小説のようだ。
それを読んでいると、店主が戻ってきて言った。
「その本、面白いでしょう?」
「はい、この本の著者って?」
店主はニコリと微笑んで一言。
「このお店に来ていただいたお客さんの皆さんです」
「へえ」
「この喫茶店では支払い方法をいくつか設けていて、空想による支払いも承っているんですよ」
「空想による支払い?」そんな支払い方法について聞いたことがなかった僕は、聞き返す。
「ええ、空想によって生まれた物語を、代金として頂くかたちをとっているんです。他にもさまざまな世界や銀河で使われている硬貨、紙幣にも対応できますよ。もちろん、クレジットカードでの支払いや電子決済にも」
突然、聞き慣れた料金の支払い方法が出てきて、思わず吹き出してしまう。
店主は不思議そうに尋ねてくる。
「お客様の居住惑星はテルース、で間違いなかったですか? であれば、今お話しした支払い方法も」
笑いながら、僕は店主が言ったテルースについて記憶を巡らす。どういう意味だったろう? しばらく考えていると、こう聞かれた。
「ええと、地球にお住まいではなかったですか?」
「あ、ええ。地球です」テルースは地球のことだったのか。だとしたら、他の惑星はなんと呼ばれているんだろう。そして、どんな支払い方法があるのか。
店主は満足したような笑みをこぼす。僕も釣られて笑う。
そうこうしているうちに、アップルクランブルが随分冷えてきたみたいだ。
熱くなった体にひんやりと心地いい。
この世界というべきか、別の銀河なのか、どこかに暮らしている誰かのことを思った。僕も何か物語を書いてみようか。