一千一秒の片隅(9/10)
雪と降る星の話
星空を見上げるために外に出てみると 雪の匂いがした
空から降ってくる雪は 風に揺れる綿毛のようにゆっくりと地面に落ちて 積もっていく
普段は夜の黒さに染まっている街路が白く彩られている その影は青白く 街燈のオレンジがその上から優しく覆いかぶさっている
雪に混じって星が降る 強烈な青色の光を放ちながらゆっくりと降ってくる 地面に落ちた瞬間に 鋼を打つような硬質的な音が鳴る
液体が沸騰するような音 蒸発する雪が空気中の微細な水の粒子を巻き込んで 青く発光する
星を運ぶ猫の話
街角でどこからともなく 小さな鳴き声が聞こえてきた
弱々しいその声はどうやら猫のもので 鳴いたあとに足元に置いてあった何かをそっとくわえた
どうやらそれは星のかけらのようで 辺りを見回しながらそれをとても大事そうに運んでいく 揺れるたびに星の塵が舞い散って 青白く空気に溶けていく
しばらくそれを追いかけていくと 子猫たちがにゃあにゃあと鳴いている その子らに星のかけらを分け与えているらしい 星のかけらを食べた子猫は毛が逆立って その瞳が夜空の色に染まる 夜の空気に守られているみたいに紺青を纏う
自分はその一連の光景を眺めていて どこか不思議な場所にやってきてしまったような 途方もない気持ちに支配されてしまう
眺める話
彼は一風変わった電気スタンドを使っていた 月光を集めて光るものだった 月の微かな光だけを集め そのほかのものから発せられる光は吸収しない
自分は そこで作業している彼の姿をそれとなく眺めている 机の上には数枚の真ッ白い紙が置かれている その上を万年筆がはしり 彼の思考がその中に反映されていく
空気をくすぐるような微かな音 さらさらと流れていく筆先の音
時々電気スタンドから 月光のかけらがこぼれ落ちて てんてんと紙の上を転がる 彼はそれには目もくれず ひたすらに何かを書き連ねていく
自分たちがいま時間の中に囚われていると 意識するのを躊躇してしまう 濃密な空気 何もしなくても時間が流れていく その事実に心を痛めながらも 今はまだその中から抜け出そうとは思えないままでいる
春の来る気配
青く霞む夜空の先に桃色の星が輝いているのが見えた 普段は見かけないその姿に目を奪われる 一体何という名前の星なのか 皆目見当がつかない
何しろ一度も見たことのない星だから名前も分からないのだ
輝きの具合からするとα星程度の輝きに見えるが これくらいの大きさの星が この時期の今の時間の空の中に浮かんでいる というのがどうも分からない
寒さに体を震わせながら夜道を歩く
雪が解けて もうじき春が来るだろうか 微かに空気に春の匂いが混じっているような気がした
瓶から夜空が逃げた話
街角に現れた商人が何やら怪しげなものを売っていた
話を聞くと どうやら夜の空気を瓶に閉じ込めたものを売っているのだという
なんとおかしな商売をしているな と思いながらそれを眺めていると 商人はそれに気づいたようで
「どうです。ひとつ飲んでみますか」とそんなことを言った
飲んでみる? いったいどういうことだろうと首を傾げると 商人は自身の後ろから一本の瓶を取り出した
それは紺色をした液体が入っていた 街燈や星のきらめきがその水面に反射してキラキラと輝いている
自分はそれを受け取って蓋を開ける ぷし と空気の抜ける音がした
「逃げられないように気を付けて下さいね」
今度は逃げられる? はあ と了承したことを伝えながら蓋を外した
「うわ」
思わず声が漏れた 瓶の中から光の粒が弾け飛んだ それは空へ昇っていく
逃げる というのはそういうことだったのか
納得しながら瓶のほうに目をやると いつの間にか紺色の液体も一瞬にして消えてしまっていた