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クラゲ柿(ショートショート)

 海で泳いでいると、何やら遠くのほうでプカプカと浮いているのが見えた。
 こんなところに珍しい、クラゲだろうか?
 滅多に見かけないその姿を近くで見るため、少しワクワクしながら近づいていく。
 けれどそれは、クラゲとは全く異なるものだった。
 柿である。これは別に文章の打ち間違いをしたわけでなく、シンプルに、果物の柿が海面近くを浮かんでいるのだ。
 なんでこんなところに、と、おっかなびっくり近づいていき、観察する。見た目は柿でも、もしかしたら猛毒があるかもしれない。まだクラゲである可能性も捨てきれていない。
 普段見かける柿よりも、ヘタの部分が大きい。果実を完全に包み込んでしまうほどの大きさ。このサイズだと、まさにクラゲそのものに見えなくもない。
 どんな味がするのか、気になる。
 それは突発的に浮かんだ欲求だった。
 もちろん、どんな方法で食べればいいかなんてわからないけれど。まずは安全にこれを持ち運ぶ方法を模索しなければ。
 あたりをキョロキョロ見回してみると、波間に一本の木の枝を見つけた。しめた、と思い、そこまで全速力で泳いでいき、掴む。少し細い気もするが、これくらい長さがあれば十分だろう。それを持ったまま、柿のもとまで戻る。
「それ!」
 勢いをつけて、枝を柿まで伸ばす。けれどうまくいかず、あたりの海面をほんの少し揺らし、それで終わる。
 このままではどうにも諦めきれないので、今度は先程よりも力を込めて、木の枝を振り下ろす。
 さくり。確かな手応えがあった。
 おそらく柿に刺さったのだろう。それも結構しっかりと。
 そのせいか、枝がずしりと重くなるのが分かった。あとは、枝の持ち手側を軸にして、柿を回転させ、こちらに引き寄せる。

 ……けれど。
 結局食べ方もわからないまま、浜辺まで持って帰ってきてしまった。
 誰かこれの正しい食べ方を知らないだろうか。柿を枝に刺したまま歩く姿は、はたからみたら随分おかしな光景だろうと思う。
 誰か……。
 半ばゾンビのような声で唸りながら歩く僕の下に、一人の人物がやってきた。
「おや、それはクラゲ柿じゃないか」
 クラゲ柿。それがこの柿の名前だったのか。
 ……いや、それよりこの人は誰だ?
 様々な疑問が頭の中をよぎったけれど、とにかく一つ、聞いてみることにした。
 「クラゲ柿、ですか?」
 真っ白いヒゲを蓄えたその男性はうん、とうなづいた。体の線は細いように見えるが、しっかりと筋肉が付いているらしく、弱々しくは見えない。
「この辺でもいるのか、クラゲ柿」
「生き物なんですか?」
 男性はううん、と唸って応える。
「何とも言い難いなあ、果物といえば果物だし、動物といえば動物っぽくもある」
「動物なんですか? これが」言いながら、枝の先のものを見る。
 だらんと垂れ下がっている。見ようによっては生き物っぽく見えなくもない、のか?
「よくわからないけど、味だけは美味い。それは保証する。こっちで切ってやろう。おいで」
 彼が指さしたのは、プレハブ小屋を木材で継ぎ足して増築した建物だった。観光客と思しき人達が数名いるところを見るに、何かしら商売をしているのだろう。
 男性は店の隅をスルスル抜けるように、調理場と思しき場所に向かう。別のところでは、一緒に店をやっているらしい人が、お客さんと談笑をしている。その姿を横目に見ながら、さらに奥へと進む。

「ほい、おまたせ」
 言いながら男性は、先程の柿をくし切りにしたものをくれる。
 皿の上では、太陽の光を浴びてキラキラと光るクラゲ柿。内側ではもっとたくさんの黄色やオレンジ色が輝いている。
 どうやって食べるか悩んでいると、男性はその一切れを素手で掴み、口に放り込んだ。つまりはそうやって食えということなのだろう。その満足そうな表情を見て、あ、うまいんだろうな。と直感した僕も、素手で掴み、一口頬張る。
 驚きだった。柿というのだから、もう少し強度があるか、完熟のものでもまあ、柔らかい程度だろうと思っていた。
 けれど、この柿の柔らかさは、普通の柿のそれとは異なっていた。
 まるで、ゼラチン質のものに触れたような、ぷるりとした感触。太陽の日差しをその中に閉じ込めたみたいな色の中からあふれる、柿のクリーミーな甘み。最後にほんの少し、秋特有の、世界中をこんがりトーストしたみたいな香りが鼻を抜ける。
 こんな美味しい柿を食べたのは初めてだ。いや、もしかしたら生き物なのかもしれないけれど。
 そんなことを頭の中で考えていると、男性はニコニコしながら、僕の肩をがしりと掴む。
「え?」
 僕が理由もわからず戸惑っていると。
「よし、うまいもんごちそうしたからな。少しくらい″ここ″を手伝ってもらわないとな」
「え、あ。え?」
「大丈夫、ちゃんと報酬も出すから。このクラゲ柿二、三個でいいよな」
「え!? いいわけないでしょう!」
 日に焼けた男性の細く見える喉から、豪快な笑い声が響き渡った。

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