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ラジオゼミ(ショートショート)

 夏の最中、家族で田舎町に出掛けることになった。
 別に親戚が田舎に暮らしている訳でもないのだけれど、自然が好きな父親の提案で、数日かけて田舎を満喫するということになった。

 田舎に来て感じるのは、空が広いということだ。
 いつも暮らしている街では、ビルの高さに空が隠れて、田舎町の半分ほどしか見えない。
 それが今は見渡す限りの青空。強いて言えば、周囲の山によって空が途切れてしまっているけれど、それ以外に視界を遮るものがあまりない。この開放感はきっと、経験してみなければわからないだろう。
 一日目は、あらかじめ決めていた観光地を巡った。
 二日目、つまり今日は一日目に泊まった宿で昼ごろまでゆっくりする。
 部屋のクーラーをつける。部屋の障子の奥には窓があって、さらに向こう側には大自然が広がっている。それを眺めているだけでも心が癒される。
 川のせせらぎや、木の葉のすれ合う音。
 耳を澄ますと、遠くからセミの声が聞こえる。あまり詳しくないので、その声が一体″なにゼミ″のものかわからない。ただ、その声は何気ない夏の気配を、より一層強くしているような気がした。
 ふと、その声に混じって、別の声が聞こえてきた。ラジオの音だった。
 どこから聞こえてくるのだろう。窓の外を見渡してみるけれど、人影は見当たらない。
 誰かが持っているラジオからその声が届いているのだと思い、人影を探してみたのだけれど、そう言う訳ではないようだ。
 ノイズ混じりのその音は、相変わらず止まらない。なぜだろうと首を傾げていると、父親がやってきて言った。
「お、ラジオゼミか」
「ラジオゼミ?」僕は聞き返す。聞いたことのない単語に、少し困惑しながら。
 それに対して父親は、とても嬉しそうに答える。自然界に興味を持ってくれて嬉しい、とでも言うかのように。
「そう、ラジオの音みたいな鳴き声を持っているから、ラジオゼミって言うんだ」
「へえ……」僕は反応する。そっけなくなった。その理由は、ラジオゼミがなにを話しているか、つまり、どんな鳴き方をしているかをよく聞きたいと思ったためだった。
 その様子を見ていた父親は、少し小さな声で、つぶやくように話した。
「このラジオゼミ、なにを言っているかよく分からないだろ? いや、内容は聞き取れて、意味も分かるんだけど、よく分からないものの名前が出てきたり……」
 僕は頷く。確かにその通りだった。
 話していることの辻褄は合っていて、なにを伝えようとしているのかなんとなくは分かるのだけれど、何についての話をしているのかが分からないのだ。聞いたことのない固有名詞が、ラジオの中で幾度となく聞こえてくる、と言った方がいいかもしれない。
 僕の頷きを見た父親は、より、こちらに体を近づけて、話の続きをした。
「実はこのセミの鳴き声、インコみたいに周囲の音をコピーして鳴いてるんじゃないかっていう話が出てきたんだ。つまり、このセミが元々は別の世界にいたんだけれど、ひょんなことがきっかけでこっちの世界にやって来た、と。だから、知らない言葉を使って鳴いてるんだ。みたいな話があるんだよ」
 好きなことの話をする時、うちの父親は結構早口になる。その感じは割と嫌いではない。そして、今しがた聞いた話にも、少し興味が湧いた。
 もしも、こことは別の世界からやって来たセミが今鳴いているのだとしたら、元いた世界は一体どんな場所だったんだろう。
 そんなことについて考え始めると、心がいつもよりもワクワクした。


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