一千一秒の片隅(10/10)
古時計が動いた話
埃を被って動かなくなった古時計があった 家の片隅に縮こまって佇んでいたその時計が ある日突然 再び動き出した
家の主人はどうして動き出したのだろうとあれこれ考えたけれど 結局理由は分からず仕舞いだった
そんなある日 家に住む少年が 時計の置かれた物置に入り込んだ
夜だった いつまでも眠れなかったので 身体を動かせばそのうち眠気がくるかもしれないと思ってのことだった
その時に少年は 止まったはずの時計が再び動き出した理由を知った
それは星たちの仕業だった 彼らが時計のねじを巻き あるいはその部品の一つとなって時計を動かしていたのだ
少年は物陰に隠れてそれを見ていたけれど やがて星たちに見つかり 彼らと一緒に遊ぶことにした
その夜はやけに長く 町の人々も翌朝には全身の疲れがすっかり取れるくらい深い眠りにつくことができたらしい
唯一 朝になって眠気を訴えたのは少年だけだった
珈琲を泳ぐ星の話
夜明け前に淹れた珈琲の中から ちらちらと金属質な音が聞こえてきた 微かに触れ合う音が メロディーを奏でているようで心地いい
書き物をしながらそっと視線をそちらに移すと マグカップのふちから碧い光が湯気にのってふわりと立ち昇っていた
自分はそれの正体について 何となく分かっている 星たちが珈琲の中を泳いでいるのだ
彼らがやってきたのは数か月前のことで その日以来珈琲を淹れると泳ぎに来るようになった
彼らからするとこれは海水浴のようなものなのかもしれない 海があるから折角なら泳ぎに行こうよ というような
ちなみに自分が珈琲を飲もうとすると 彼らは一目散に飛び出して 部屋の片隅で私の様子を眺めている
そうして私が珈琲を飲み干してしまうのを見ると 今日はもう終わりだね というようにそっと夜空に帰っていく
星を助けた話
町の木に星が引っかかっているという話を聞きつけてやってきた
そこには確かに 木の枝に絡まって身動きの取れなくなった星が どうすることも出来ないまま空を眺めていた
朝が来てしまうと その姿が見えなくなってしまうので 夜のうちに何とか助け出さなくては
町の人々は様々な手段を使って 星を助けようとする
少年は木の枝でつつく 雑貨屋の主人はよく切れるのこぎりを持ってきて 星の引っ掛かっている木の枝を切り落とす
様々な人の助けによって何とか抜け出すことができた星は すう と空に吸い込まれていった
そうして町は また何事もなかったかのように朝を迎えた
月と話す
夜空を眺めていると お月様が何かを言いたげに町を見下ろしていた
「どうかしたのですか」自分は訊いてみた
お月様は「なんでもないよ」と首を振った
自分はそうかと納得して 目の前に広がる湖をぼんやりと眺める 左手には淹れたての珈琲 まだ湯気が立ち昇っている
湖面は月光を綺麗に映し出して静かに揺れている 風と珈琲の匂いが混ざって鼻腔をくすぐる それはやがて肺の中を満たして じんわりと幸福な感情が広がっていく
「そろそろ夜が明けるのかな」お月様はそんなことを言いながら 自分と同じように湖面を眺めている
「そうですね もうそろそろ」自分は答えた
「また明日だね」「はい」
自分たちは何でもない夜の 何でもない時間に集まって 何でもない話をしながら時間を過ごしている
MOONLIGHT
星たちが囁き合っている どこかから声が聞こえる
小さな声は風に乗って 耳元まで届く
お月様が町を眺めている 話し相手を探して 辺りを見渡している
町の片隅でBARが開店する どこからやってきたのか 次第にお客が集まり始める
星のひとりは街燈のあかりで煙草に火をつけ 煙をくゆらす
星の子どもたちが夜の中を楽しそうに駆け回る 微かに笑い声が聞こえる
空気に星の匂いが混じる アルコールに似た密度の高い空気に 町中が満たされていく
空気の栓を抜くと 月光味の蒸留酒が溢れてきそうだ
みんなでそれを吞みながら 夜を過ごそうか
楽器でも演奏しながら夜を楽しもう あれ? いつもはここに置いてあるはずの あのハーモニカはどこにいったのだろう